86年大会の準々決勝ではアルゼンチンが2−1で勝利。先制点となるマラドーナの「神の手」(写真)は語り草だ。(C)Getty Images

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 イングランド対アルゼンチン――。北中米W杯の決勝進出を懸けたこのカードほど、試合前から空気を変える対戦も少ない。

 アルゼンチンがスイスを延長戦の末に3−1で破った準々決勝の後、カンザスシティのスタンドには「El que no salta es un inglés(跳ばない奴はイングランド人だ)」というチャントが響いた。

 跳んでいる者は仲間、跳ばない者は敵。南米のスタンドで広く歌われる定型の挑発だが、次の相手がイングランドとなれば、言葉の熱量は一段と増す。

 ロッカールームでは、選手たちが「マルビナスのために、ディエゴのために、そしてレオ(=リオネル・メッシ)の最後の大会のために」と歌っていた。マルビナスとは、英国でいうフォークランド諸島である。1982年のフォークランド紛争から44年。記憶と復讐心が、今も一つの歌の中で結びついている。

 現在も政治的な火種は消えていない。アルゼンチンでは近年、フォークランド諸島の主権を改めて強く訴える動きがあり、ハビエル・ミレイ大統領も今年4月、「マルビナス諸島は、かつても、今も、そしてこれからもアルゼンチンのものだ」とSNSに投稿した。英紙『タイムズ』のインタビューに応じたアルゼンチンサポーターの1人も、「マルビナスのために、ワールドカップでイングランドと戦いたい」と語る。サッカーの勝敗が、国家の記憶と無関係ではいられないカードなのだ。
 
 両国がW杯で対戦するのは今回が6度目だが、準決勝では初めてとなる。

 最初の対戦は1962年のチリ大会。だが、本当の意味で因縁が始まったのは、66年イングランド大会の準々決勝だった。

 英国のウェンブリー・スタジアムで行なわれた一戦は荒れに荒れた。アルゼンチンの主将アントニオ・ラッティンが退場を命じられながら、約8分間、ピッチを去らず、試合は中断。イングランドは1−0で勝ったが、試合後、同代表を率いていたアルフ・ラムゼー監督は、相手を「Animals(動物)」と呼び、選手たちにユニホーム交換をさせなかった。そこには侮蔑と反発が残った。

 そして20年後、両国の感情はさらに激しい形で噴き出す。

 1986年メキシコ大会の準々決勝。舞台はアステカ・スタジアム。フォークランド紛争から、まだ4年しか経っていなかった。アルゼンチンではこの試合が戦争の記憶と結びつき、英国メディアもナショナリズムをあおった。

 先制点は、ディエゴ・マラドーナの「神の手」だった。GKピーター・シルトンの頭上で、拳を使ってボールを押し込む。審判は見逃した。直後、マラドーナは今度は正真正銘の天才を見せる。イングランド守備陣を次々とかわし、最後はシルトンまで抜き去った。

 マラドーナは後に自伝でこう書いた。

「時々、手で決めた方のゴールの方が好きだと思うことがある。なぜかって? イングランド人の財布を盗んだようなものだったからだ」

 2005年にマラドーナが謝罪しても、シルトンは受け入れなかった。イングランド側には怒りが残り、アルゼンチン側では勝利が誇りに変わった。
 
 次の大事件は1998年フランス大会で起きた。決勝トーナメント1回戦、18歳のマイケル・オーウェンがアルゼンチン守備陣を置き去りにするスーパーゴールを決める。だが、人々の記憶を支配したのはデイビッド・ベッカムだった。

 後半開始早々、ベッカムは倒れたままディエゴ・シメオネに足を出し、退場となった。10人のイングランドはPK戦まで耐えたものの敗退。ベッカムは帰国後、敗戦の責任を一身に背負わされ、国民的なバッシングを浴びた。

 しかも1年後、シメオネは「審判は私の罠にハマったと言っていい」と語った。さらに「私が倒れたことで、イエローカードがレッドカードに変わったのかもしれない。本来なら警告が妥当だった」とも明かした。この発言は、イングランド側の被害意識をさらに刺激した。