暴言、暴力、徘徊……認知症の問題行動にはどう対応すればいいのか。認知症専門医の繁田雅弘さんは「誤解されやすいが、アルツハイマー型認知症という疾患は、人を暴力的・攻撃的にするものではない。多くの場合、置かれた状況や、周囲との関係が引き金になっている」という――。

※本稿は、繁田雅弘『認知症になって幸せな人、不幸せな人』(PHP研究所)の一部を抜粋・再編集したものです。

■もともとの性格か、症状か

診療の現場で、ご家族から「暴言、暴力、徘徊がいつ起こるか不安です」と相談を受けることがあります。

そんなとき、私は「認知症であることを全部許してあげたら、感情の不安定さや攻撃的な症状は出ません」とお答えします。

おそらく、家族がなおそうとする。

なおそうとするから症状が出る、というケースが多いのではないでしょうか。

それは家族だけじゃなくて、本人もそうです。

本人自身も自分の認知症を許せたら、葛藤はぐっと減ります。

もちろん、もともとの性格の影響も大きいでしょう。例えば、認知症になる前から気性が荒い方や、活気ある現場で声を張り上げて働いてきた方などは、言葉遣いが激しいものです。でもそれは単なる習慣かもしれません。

写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

■周りの関わり方次第で「強くなる症状」

そもそも認知症には、「その人の脳の病気そのもの」によって起こる症状と、「周りの関わり方しだいで強くも弱くもなりやすい症状」があります。

怒りっぽくなる、不安が強くなる、同じことを何度も聞く、幻視や妄想が出るといった症状は、病気のためにどうしても出てしまうこともあり、家族の努力だけで止めることはできません。

ただしその症状が出たときに、周りが強く否定したり、無理にやめさせようとすると、かえって興奮したり、暴言・暴力が強まることがあります。

まずは抑えようとせず、話をよく聞き、不安に寄り添い、安全を確保しながら、さりげなく気持ちや行動の方向を変えていくように関わると、症状は残っても、落ち着くこともあります。

■患者を暴力的にする病気以外の要素

アルツハイマー型認知症という疾患は、人を暴力的・攻撃的にするものではありません。暴言、暴力、徘徊をおこさない人のほうが、割合として多いのです。数百人の外来患者さんを見ていても、そういった症状が問題になる方は圧倒的に少ないです。

しかし、その人が置かれた状況によって、あるいは周囲との関係によって、暴力的・攻撃的になることはあり得ます。追い込まれて、本人がどうしようもない中で出てきていることが多いように思います。

心の苦悩、痛みが発露しているといいましょうか。

本人が一番言われたくないことを、誰かが言ってしまったのではないでしょうか。周りから頭ごなしに言われたりすることがなかった人生なのに、「認知症扱い」をされたのではないでしょうか。

こんなケースがありました。

いきなり施設に押し込められた母親が、「出ていく。ここは私の場所じゃない」と言って、暴れて、徘徊が始まった。娘さんは、「何も説得しないまま、半ばだまして施設に入れてしまった。それは暴れるだろう。不安だし、本人が一番つらかったと思う。『認知症の人が何もわからないわけじゃない』ということが、今ならすごくわかる」と涙ながらに語っていました。

帰宅願望に寄り添ってくれる人など、誰もいません。そんなことをしたら、また暴れて、「帰る、帰る」と言うにきまっています。

でも「いたくないけど、我慢をしてここにいる」という気持ちをわかってもらえたのなら、「もうちょっと辛抱しようか」となるかもしれません。

わかってもらえないから、暴れてしまうことも多いと思います。

■「100%認知症になる人」はいない

精神病理学では、人の心が100%うつ病になってしまうことはなく、人の心が100%統合失調症になってしまうこともないといいます。

心の中には、病気ではない「健康な心の部分」も必ず存在するとされます。

アルツハイマー型認知症などの認知症疾患の場合も、暴言に至った経緯や興奮して家族と口論になったことを覚えていて、本人の口から後悔の念が語られることがあります。

認知症でも、自己の状態や周囲の状況を客観的に捉えることのできる「精神の存在」を、認めてもよいのではないでしょうか。

「客観的に状況を把握している本人の意識が存在する」と考えれば、どんなにひどい症状をもつ認知症の人とも、「コミュニケーションをとろう」と試みることができるでしょう。

■「徘徊」の真意とは

また、普段から置き忘れが多く、探し物ばかりしている人は、その延長で徘徊が生じるかもしれません。探し回っているうちに、何を探しているのかわからなくなれば、目的なく歩き回っていると思われてしまいます。

繁田雅弘『認知症になって幸せな人、不幸せな人』(PHP研究所)

何をしていたか、探していたかを忘れたからといって、それに伴って本人の不安や焦りはなくならないようです。その点がつらいところでしょう。

その気持ちを汲み取ることができれば、本人にかけるべき言葉に思い当たるのではないでしょうか。

また、場所の見当識が混乱しやすいため、自分の住まいを勘違いすることもあります。頭に浮かんでいるのは、引っ越す前の家か、結婚する前に住んでいた借家か、幼少期に育った実家か――。本人もうまく説明できないのですが、多くの場合「自宅」に帰ろうとしていると、周囲は理解するでしょう。

しかし他人の家であっても、快適であれば誰でも皆、「そこにいたい」と思うものです。反対に自宅であっても居心地が悪ければ、そこから抜け出したくなるのは当然です。

「帰りたい」という訴えの背景に存在する想いを理解する必要があります。外出を思いとどまらせるより、「居心地のいい場所」になるような工夫をすべきです。

■注意すべき“タイミング”がある

冠婚葬祭や家族の行事などが、徘徊を誘発することもあります。

家中が準備でせわしないと、本人もじっとしていてはいけないように感じるかもしれません。もし行事が予定されているのであれば、家族間で、認知症の人に向けた説明を申し合わせておくとよいでしょう。

写真=iStock.com/kyonntra
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra

「今日は、太郎君の結婚式だから、9時に出かけよう」などと、わかりやすい表現で、聞かれるたびに、落ち着いて伝えるのです。

家族によって言うことが違ったり、忙しい中で何度も聞かれるからといって、「さっきも言ったでしょ!」などと怒ったりすれば、混乱するのも無理はありません。

情緒的な不安定さは、家族の気持ちの反映でもあることを忘れてはならないと思います。

■「もの盗られ妄想」の真意とは

「もの盗られ妄想」も、物を置いた場所を忘れるという記憶の障害と関連して生じることが多いものです。

ある77歳のアルツハイマー型認知症の女性は、財布や芝居のチケットなど、身の回りのものがなくなるたびに、「同居している次女が盗った」と息子や別居する長女に訴えるようになりました。さらにもの忘れがひどくなると、息子の嫁を犯人扱いすることも増えました。

妄想が出現した当初、家族は「盗むはずがない」と説得して一緒に捜すことはしたけど、大切なものが見つからなくなったときの本人の困惑や焦燥を受け止めることをしませんでした。

診療の場では、「あなたは軽率に人を疑うような人ではない」と私の考えを伝え、記憶力の低下については触れずに、話を聞きました。

体調がすぐれないときや、デイケアでほかの利用者と口論したときなどストレスがかかったときに「盗まれた」と訴えることはあるものの、その数は著しく減少していきました。

写真=iStock.com/andrei_r
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/andrei_r

大切なことは、本人も周りも、「疑ってしまう心」を客観視することです。

「誰かが盗んだ」と繰り返し訴えたのは、もしかしたら大切なものがなくなって困っていたのではなく、「大切なものを失くして困っている自分」のことを、心配してくれる人がいなかったことが問題だったのかもしれません。

そうした想いに共感してもらったとき、妄想が続いていても、互いに許容できるようになるのかもしれません。

「100%認知症になる人」はいません。
暴言、暴力、徘徊の真意は、「わかってもらえない」ことへの抗いです。
認知症であることを許せたら、収まる症状も多い。

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繁田 雅弘(しげた・まさひろ)
認知症専門医・精神科医
栄樹庵診療所院長。メモリーケアクリニック湘南名誉顧問。1983年東京慈恵会医科大学卒業。1992年スウェーデン・カロリンスカ研究所 研究員を経て、2003年東京都立保健科学大学精神医学教授、2005年首都大学東京 健康福祉学部学部長、2011年首都大学東京 副学長、2017年東京慈恵会医科大学精神医学講座教授、東京都立大学 名誉教授。2024年東京慈恵会医科大学名誉教授。生家を改装し、『安心して認知症になれるまち』を育む目指す活動拠点の「SHIGETAハウスプロジェクト」代表。著書多数。
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(認知症専門医・精神科医 繁田 雅弘)