JRT四国放送

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特徴的な役者絵で一世を風靡した、江戸時代の浮世絵師・東洲斎写楽。

その正体は、徳島藩お抱えの能役者だったという説が有力視されています。

そんなロマンとミステリーに包まれた写楽で、徳島を盛り上げようと活動する男性を取材しました。

誰もが一度は目にしたことのある、この浮世絵。

江戸時代の、歌舞伎役者を描いた作品です。

作者の名は、東洲斎写楽。

(写楽の会・田村耕一 会長)
「浮世絵界では異端児、江戸の人たちはびっくりしたと思いますよ」

写楽が描く歌舞伎役者は、それまでの役者を美しく描くものとは違い、思い切ったクローズアップで見るものに迫ってきました。

役者絵は、スターが印刷された、今でいうブロマイド。

一枚が、かけそば一杯ほどの値段だったと言われていて、庶民が手軽に楽しめる娯楽でした。

寛政6年1794年の5月、当時、全く無名の浮世絵師だった写楽は、28点の役者絵をひっさげて江戸の町にデビューしました。

彗星のごとく現れた正体不明の絵師に人々が驚く中、写楽はわずか10か月の間に約140点の作品を残し、忽然と姿を消しました。

(記者)
「浮世絵界に衝撃を与える作品を次々と生み出した東洲斎写楽」
「その正体は、徳島藩お抱えの能役者だった斎藤十郎兵衛という人物である可能性があることをきっかけに、有力視されるようになりました」

1997年、埼玉県にある寺で見つかった過去帳に、斎藤十郎兵衛が実在したことが分かる記述がありました。

(写楽の会・丁山俊彦さん(当時))
「写楽は斎藤十郎兵衛で間違いないということがここで立証された」
「今まで迷走していた写楽探しが終止符を打つということで、非常に意義があるんじゃないかなと考えています」

資料には「八丁堀地蔵橋に住み、阿波藩に仕えていた斎藤十郎兵衛が亡くなった」と書かれていて、写楽の正体をめぐり諸説が飛び交う中、斎藤十郎兵衛説が注目されるようになったのです。

(記者)
「世界的にも注目が集まる写楽の浮世絵、一体何がそれほど魅力的なのでしょうか」

(記者)
「おはようございます」

(写楽の会・田村耕一 会長)
「おはようございます」

(記者)
「きょうは、よろしくお願いします」

(写楽の会・田村耕一 会長)
「こちらこそ、よろしくお願いします」

写楽の会の田村耕一会長は、写楽で徳島を盛り上げようと活動しています。

会は徳島駅近くにあるこの通りに、「写楽通り」という愛称を定着させようとしています。

田村さんたちは2025年12月、写楽通りのパンフレットを作製。

東西約400メートルにわたる通りの地図が描かれ、写楽とゆかりがあるスポットが紹介されています。

(写楽の会・田村耕一 会長)
「昔ね、ちょうどこの辺りに長屋形式の役者屋敷があったんですよ」

(記者)
「役者屋敷ってなんですか?」

(写楽の会・田村耕一 会長)
「当時お能は武家のたしなみだったので、徳島藩お抱えの能役者が当時21人いて、江戸とか京都とか大阪に居まして」
「徳島に呼び寄せて、徳島城内に能舞台があったので、その人達が徳島に来た時に泊まったのが、この辺にあった役者屋敷」
「写楽がここで滞在していた、それが役者屋敷なので、役者屋敷から徳島城までのこの通りを、写楽通りと呼ぼうと提案した」

役者屋敷をさらに進むと、写楽の代表作の一つ「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」が出迎えてくれます。

(写楽の会・田村耕一 会長)
「ここが結構最近撮影スポットになっているらしい」

(記者)
「えっ?ここ玄関だったんですか」

(新町川を守る会・中村英雄 会長)
「わたしんとこですよこれ」

登場したのは、ひょうたん島クルーズでお馴染みの中村英雄さん。

写楽通りのプロジェクトに賛同した一人です。

(写楽通りに賛同・中村英雄さん)
「想いを江戸の時代に馳せるのは楽しい、夢があるしね。徳島を盛り上げていこうと思ってやっています」

(記者)
「ノリノリでやった?」

(写楽通りに賛同・中村英雄さん)
「そりゃそうですよ」

県内には徳島城博物館のモザイクアートや、藍場浜公園の給水塔など、写楽スポットが複数あります。

しかし、写楽の本物の作品は現在、世界中に散らばってしまっています。

そこで、海外に流出した作品の全容を把握しようと、木版画の技術の保存などを行う東京のアダチ版画研究所では、創業者の安達豊久さんが作品の復刻作業に取り組みました。

1984年には全ての作品の復刻が完了し、当時の色鮮やかな色彩を現代に蘇らせました。

(アダチ版画研究所・中山周 取締役)
「写楽(の作品)を一堂に見るのはなかなか可能ではない、復刻版であればそれができる。復刻版としての意義がある」

人々の努力と探求心により、少しずつ明らかになってきた写楽の素顔。

しかし、なぜ能役者が絵を描いたのか、どんな人物だったのか、未だに謎に包まれています。

(写楽の会・田村耕一 会長)
「ロマンがあるじゃないですか、写楽は普段どんな活動をしていたのか、まだまだ未知数なところがあるので」
「写楽を徳島ゆかりと打ち出していくことで、徳島の文化の魅力を国内だけではなくて、海外にも発信していけるようになったらいいなと思って、活動しています」

江戸の町に忽然と現れ、衝撃を残して去った東洲斎写楽、世に残ったのは魅力あふれる作品と多くの謎です。

みなさんも写楽通りを歩いて、ロマンに想いを馳せてみてはいかがですか?

写楽の会などは今後、写楽通りにある店に、写楽の絵が描かれた藍染の暖簾を設置することを計画しているそうです。

また、2026年、写楽の全作品を復刻版で紹介する展覧会を開く予定で、今後、徳島で写楽を知って感じられる機会が増えてきそうですね。

ここまで、東洲斎写楽についてお伝えしました。