意外と知らない、なぜ日本の「賃金上昇率」はもっと加速しないのか
年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。
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ひっ迫した需給が仕事の質を高める
労働市場で良質な仕事を増やしていくためにはどうすればいいか。そのためには、市場メカニズムを適切に発露させることが何より大切である。
深刻な人手不足に陥ったとき、企業はどう行動するか。
賃金水準を引き上げて仕事の魅力を高めなければ、廃業の憂き目にあってしまう。また、企業が安定した経営を営むためには、働きやすい労働環境を整え、従業員の離職を防ぐ必要がある。人手不足になれば、企業は生き残るためにも従業員の労働条件を改善せざるを得なくなるというのが市場経済の掟である。
労働市場がひっ迫している現代においては、労働者に希少価値がある。そうした状況下で市場原理が適切に働いていれば、賃金は上がり、労働条件も改善することで、質の高い仕事が必然的に増えていくはずなのである。
実際に、その兆候は見えている。厚生労働省「毎月勤労統計調査」から短時間労働者の時給水準を算出すると、近年一貫して上昇している(図表3-2)。働き方に目を転じてみても、労働時間が減少し、有給休暇の日数も増加するなど、人々の労働条件は日々改善している。
現代の労働社会が進んでいるこうした方向性に大きな間違いはない。しかし同時に、そのスピード感はなんとも心もとないものである。賃金の上昇率はなぜもっと加速しないのか。労働環境はなぜもっとよくならないのか。それは、質が高い仕事の浸透を妨げる環境があるからにほかならない。
その筆頭に挙げられるのは、外国人労働者に関する施策である。
近年、外国人労働者の受け入れに関する規制緩和が相次いで行われている。なぜ政府が外国人労働者の受け入れにここまで前のめりになっているのかといえば、それは深刻な人手不足に直面する企業からの強い政治的要請があるからである。
労働市場は年々ひっ迫度を強めており、経営体力が弱い企業はどんどん人を取れなくなってきて、人手を確保しようにも、求職者に対して高い賃金を提示することもできない。結局、事業を存続させるためには、安い賃金で働いてくれる外国人労働者の導入に活路を見出さざるを得なくなっている。
しかし、経営が厳しい企業を救うために安価な労働力を認めるという考え方は、非常に危険である。人が取れないのであれば、経営改善を行い、より良い労働条件を提示することができるように努めることが筋だ。時代に合わせた経営改革を行わず、質の低い労働力に頼る企業があるのだとすれば、こうした環境に甘んじようとする企業は淘汰されて然るべきである。
これは、きつくて給与が低い仕事に従事させられる外国人労働者がかわいそうだからというだけでは済まされない。日本社会がこうした働き方を認めることが、賃金など労働条件を改善しようとする企業の努力を抑制させてしまうことにもつながるのである。ゾンビ企業を延命するために海外から安い労働力を移入させようとする政策で日本の労働市場が良くなることは、決してない。
機械化・自動化が今世紀最大の技術的課題になる
安い労働力の導入がイノベーションを阻害することも懸念される。現在、科学技術の発展によって、あらゆる産業で機械化・自動化が推進されようとしている。
AIが仕事を奪うという懸念を聞くこともあるが、これからの日本の労働市場においてはむしろ人は人でしかできないことに注力し、機械に任せられるところはすべて機械に任せるくらいでなければ、日本の経済社会は回っていかないだろう。AIやロボットの活用などによっていかに仕事を自動化して生産性を高めていけるかが、日本だけではなく、少子高齢化が進む多くの先進国にとって今世紀最大の技術的課題になると考えられるのである。
現代日本にこそいま最も必要とされている機械化や自動化に関するイノベーション。これを推進させる原動力となるのは、何よりも高い労働コストである。機械化、自動化に関する技術開発や設備投資を行うかどうかの意思決定にあたって企業がまず考慮するのは、それによってどの程度の人件費を削減できるかということである。労働市場のひっ迫によって労働者の賃金が高騰してはじめて、企業は人手に頼ることの危険性を認識し、イノベーションを起こそうと考える。
機械化・自動化で期待される効果は省人化にとどまらない。あらゆる仕事についてその中身を詳細に見ていけば、人手に頼らず完全自動化できる仕事というのは労働者が担っているタスクのごく一部であることに気づく。近未来においては、イノベーションの力によってロボットと人との協働が進み、一つひとつの仕事をより無理のない仕事に変える段階が、将来の完全自動化の前段階のステップとして挟まれるはずなのである。
たとえばドライバーの仕事について考えれば、公道における完全無人運転や荷役の完全自動化を達成し、人が介在しないサービスを実現するには相当の年数が必要になると考えられる。しかし、その手前で自動運転技術によるサポートによってドライバーの精神的な負荷を低減できるかもしれない。また、これまで手作業に頼っていた荷物の積み込みや荷下ろしについて、荷姿の標準化が進み、自動フォークリフトや自動搬送機が普及すれば、ドライバーの身体的負荷を下げることができるかもしれない。
スーパーの販売員の仕事に関して言えば、レジの無人化は今後急速に進むと見込まれる。しかし、中小規模の販売店において、レジ打ちの仕事をなくすだけで直ちに人員を削減することはできない。商品の品出しや陳列の作業は今後も残るだろうし、無人化されたレジにおいてもトラブル対応であるとか、客の求めに応じた案内などが必要になってくる。しかし、レジの無人化のおかげで従業員は顧客とのコミュニケーションにゆとりをもって取り組めるようになり、品出しの際にもロボットとの協働で重くて冷たい冷蔵物の陳列が無理なくできるようになる。
国全体としての技術水準が高く、他の先進国に先駆けて少子高齢化が進む日本は、この領域の技術革新を進めるにあたって、本来は優位な立場にあるといえる。産業機械やセンサーなどの技術領域で先行する日本が「自動化の世紀」の実現に向けて、国際社会で貢献できる余地は大きい。その一方で、安い労働力に無理に仕事をさせる方向に労働政策の舵を切ってしまえば、日本経済は厳しい国際競争からむしろ取り残されてしまうだろう。安い労働力の導入が市場全体に与える悪影響は計り知れない。
安くて質の高いサービスと消費者優位の市場環境
このようないびつな労働市場のあり方が、日本人の働き方に数々の弊害を生み出している。この問題を業界に関わっている人たちだけの問題だと考える人もいるかもしれないが、それは実態と異なる。こうした労働市場の諸問題は、むしろ日本に住むすべての人に関係している問題である。なぜなら、安い労働力の受益者は、ほかならぬ私たち一人ひとりの消費者だからである。
現在の日本の経済構造をみると、消費者と働き手との関係性に一定のゆがみが生じている。それを示唆する調査を一つ紹介したい。日本生産性本部が行った「サービス品質の日米比較」である。
この調査は日本のサービス産業の労働生産性を探るために行われた調査であり、米国滞在経験がある日本人を対象にした日本人調査と、日本滞在経験がある米国人を対象に行った米国人調査から構成される。調査の実施期間は2017年の2月末から4月上旬までの期間で、インターネットモニター調査によって実施されている。
同調査は日米両国に滞在経験がある人に対して、生活に身近な29種類のサービス(価格に関する調査が行われていない官公庁のサービスを除けば28種類)の品質と価格について、日本と米国のどちらが優れていたか、またどちらが安かったかを回答させている。本調査では、日本と米国でどのようなサービスを好むのかという嗜好性の差もあることから、米国滞在の日本人が答えた結果と日本滞在の米国人が答えた結果を合成したうえで、品質と価格の指数を作成している。
調査結果は驚くべきものとなっている。28種類のすべてのサービスで日本のサービスの質が高いという結果となったのである(図表3-3)。一方で、価格についてみると病院や大学教育のサービスについては日本のほうが明らかに安く、それ以外のサービスについては日米で概ね拮抗した結果となっている。つまり、高水準の品質のサービスが相対的に低い価格で提供されているのが日本のサービス関連市場の特徴になっているのである。
生産性の問題を語るとき、ものさしになるのは結局そのサービスがどの程度の貨幣価値を生むかということになる。つまり、どんなに質が高いサービスが存在していても、そこに適切な値付けがされなければ、そのサービスは生産性が低いサービスだとみなされてしまう。
日本の低い労働生産性は主にサービス業の生産性の低さからくるものである。サービスは他国と貿易することができないことから、同じサービスであっても異なる価格で取引されることは避けられず、そこには一定の内外価格差が生じることになる。日本ならではの良質なサービスが実際の価格に反映されないことで、物価指数やGDPの計測からサービスの質に関する情報が漏れているという事情も、日本の生産性が上がらない一つの要因として隠れているとみられる。日本の生産性が低いというと日本人の努力が足りないのだと思われがちだが、生産性の正体が何かと考えていけばサービスに対する「評価」の問題に直面することになるのである。
もちろん、サービスの価格はその時々の為替レートの影響を受けることから、単純な比較は難しい。この点、近年は日本銀行による大規模金融緩和によって為替が円安方向に推移していることから、日本のサービス価格が米国に比べて安くなる傾向があるという事情には留意しておかなければならない。ちなみに、この調査が行われた2017年3月の対ドルの為替レートは、概ね110円台前半での推移となっていた。
このように調査結果を読みとく際にはいくつか注意する事項はあるものの、調査の結論として、市場原理主義国家ともいわれる米国よりも、日本のほうがより低価格で高品質なサービスが広く普及しているという事実は注目に値する。
同調査においては、日米のサービス価格と品質の分析に合わせて、日本のサービスのどのような点が優れているのかも洗い出している。調査の回答者は、タクシーや宅配便など運輸関連のサービスであれば「正確で信頼できるサービスを提供してくれる」こと、飲食・小売関連サービスであれば「接客が丁寧である」ことや「迅速にサービスを提供してくれる」ことなどについて、米国よりも日本のほうが優れていると考えていることがわかっている。
このように見ていくと、こうした生活に身近な仕事について、働き手はその仕事の価値に見合った適正な賃金を受けとれるべきではないか。そして、このような仕事に対して対価をしっかりと支払うべきだという提案は、決してバラ色の選択肢ではない。適正な賃金を支払うということは、その分のサービス価格の上昇を社会が甘受すべきであるということであり、これはすなわち消費者が相応の負担を受け入れるべきだということにほかならないからだ。
低価格で高品質なサービスがいつでもどこでも受けられる経済環境が定着することは、消費者にとっては非常に心地がいいものだ。日本の消費者がこうした利益を放棄し、小さな仕事で働き続ける人に適正な対価を支払う覚悟を持てるか。働き手が不足し、その希少価値が高まっている現代において、こうした痛みを日本に住む全ての人が受け入れ、消費者優位の市場環境を転換させていくことができるかが、今問われているのである。
つづく「多くの人が意外と知らない、ここへきて日本経済に起きていた「大変化」の正体」では、失われた30年を経て日本経済はどう激変したのか、人手不足が何をもたらしているのか、深く掘り下げる。