ダーティなイメージを背負う「悲劇の名車」、3代目セリカGT-FOUR

WRCでのレギュレーション違反が深い傷として語り継がれてしまう3代目ST205型セリカGT-FOURだが、ERC(ヨーロッパラリー選手権)などローカルイベントでは活躍していたことなどは、日本だとあまり知られてはいない

名車と呼ばれるクルマも、ずっと名車でいられるわけではありません(それなら今でもずっと代替わりして売っているはず)。

大抵はモデルチェンジの過程で不評だったり、時代の変化で不要になったりと消えていく運命にあり、最後の方のモデルは「悲劇の名車」扱いされますが、さしずめ今回紹介する3代目トヨタ セリカGT-FOURなど、その代表格でしょうか。

もっとも、主戦場となるはずだったWRC(世界ラリー選手権)では活躍しきれないうちに重大な違反発覚、失格にポイント剥奪などダーティなイメージがあるモデルでもありますが、その志は高いものでした。

今回は以前MOBY編集部がAIに聞いた「30~50代のクルマ好きが気になる名車」に基づく歴代セリカGT-FOURの記事、”宿敵ランチアを撃破!元祖「WRC最強の国産4WDターボ」ことトヨタ セリカGT-FOUR【推し車】”をセルフリメイクし、3代目に焦点を当てます。

ライバルと同時期モデルチェンジ、大きくても軽くなったものの…

ST205型3代目セリカGT-FOUR

RVブーム以前に「デートカー」として人気だったスペシャリティクーペというジャンルでは、王者ホンダ プレリュードが3代目の時に5代目日産 シルビア(S13)が1988年に蹴落としという構図で知られていますが、ひっそりと人気だったのがトヨタのセリカです。

4代目T160系からフルタイム4WDの初代ST165型セリカGT-FOURを追加、5代目T180系ベースの2代目ST185型ではWRC(世界ラリー選手権)でドライバー、マニュファクチャラーズ(メーカー)のWタイトルを取るなど大活躍しています。

しかし1993年、ライバルのFRクーペ、6代目S14型シルビアと同年にモデルチェンジした6代目T200系セリカは、ライバル同様に大型の3ナンバーボディとなっており、実際には数十kgの軽量化を達成していたのに、「太って鈍重なイメージ」がつきました。

1989年の税制改正で自動車税が安くなったにも関わらず、まだ贅沢品というイメージが残る3ナンバー車ではバブル崩壊後に始まっていた大不況や、価値観の多様化で旧来のセダンやクーペを駆逐しつつあったRVブームの中で、かつての人気は見る影もありません。

1994年2月にちょっと遅れてデビューした3代目セリカGT-FOUR(ST205型)も同様で、エレガントな流面形デザインに4つ目ヘッドライトの中央には冷却風を取り入れる大きなフロントグリルによる迫力あるフロントマスクも、人気回復の決め手になりませんでした。

WRCでの苦戦、そして突然の退場

グッドウッド・フェスティバルなど、往年のモータースポーツ用マシンも走るイベントには登場するST205型3代目セリカGT-FOUR

255馬力にパワーアップした2リッター直4DOHCターボの3S-GTEエンジンも、その頃になるとスバル(インプレッサWRXとEJ20ターボ)、三菱(ランサーエボリューションIIと4G63ターボ)のパワー競争についていけていません。

さらにST205型セリカGT-FOURは、ベース車同様に先代モデル(ST185H型)より軽く、ST185H型のグループAホモロゲーション車、GT-FOUR RCに対しても80kgの軽量化に成功していましたが、ライバルはより小型軽量ハイパワー化しているため不利です。

ST185H型の時点でワイドフェンダーを組んで3ナンバー化していたので、GT-FOURの先代・現行比較ではST205型の方が優れている面もありましたが、ライバルの進化に追いついていけないのが実情で、WRC用ワークスマシンの開発も難航していました。

結局、デビュー年の1994年はWRCの最終戦(RACラリー)に顔を出したのみ、2位に入ったので、そこまで先代ST185H型が頑張って重ねたポイント差を死守して2年連続のWタイトル獲得に貢献はしたものの、明るいニュースはそこまで。

翌1995年のWRCでは戦闘力不足により、第4戦フランスのツール・ド・コルスで1勝を上げるのが精一杯、しかも第7戦スペインのラリー・カタルーニャでは、エンジン出力を規制する「リストリクター」というパーツに不正が発覚してしまいます。

要するに不正行為でパワーアップしていたわけですが、これで失格のみならず同年のポイントは全て剥奪、トヨタワークスはWRCに1年の参戦禁止を言い渡され、ST205型は「勝てないうえに不正で退場させられたWRCマシン」という汚名まで被ったのです。

1998年にトヨタはWRCへ復帰しますが、その時のマシンはもうセリカGT-FOURではなく、ライバル同様に同車のパワートレーンを小型軽量のカローラFX(E110系・日本未発売)へ詰め込んだ、WRカーのカローラWRCとなっていました。

最後のセリカGT-FOURはライバルに劣っていたのか?

JGTCに「GT-FOUR顔」で参戦していたセリカも、中身はJTCC用コロナEXiVの転用で、実はセリカGT-FOURとは関係ない

結局、販売実績はパッとせず、WRCでの汚名を挽回するチャンスもなく終わったST205型3代目セリカGT-FOUR。

トヨタ製フルタイム4WDハイパフォーマンス車の称号「GT-FOUR」も、次のT230系セリカではなく、ステーションワゴンの3代目T240系カルディナが受け継ぎ、しかも4速AT車のみの設定でしたから、「GT-FOUR」ブランド自体もパッとしない終わりを迎えます。

グループA時代の末期でセリカがWRカーのベースに選ばれる可能性は低かったと思えば、最初から第一線のラリー車としては短命を運命づけられたモデルですが、それでもセリカが7代目へモデルチェンジする1999年まで、セリカGT-FOURは存続しました。

根強い人気というよりは、RVブームで不人気のまま、開発費をいくらかでも回収すべく細々と販売を続けていた印象で、ライバルのように3S-GTEが280馬力自主規制値までチューンされることもなく。進化させる意義が薄かったのも事実です。

しかし1994年のデビュー当時なら、「3ナンバー化にも関わらず軽くてパワフルな4WDターボスポーツの名車」であり、RVブームによる極度のクーペ不振がなければ、エボリューションモデルが誕生していたかもしれません。

もちろん、トヨタが採用したサスペンションシステムの中でも、扱いにくさで悪名高いスーパーストラットサスペンションがなければ、あるいは廃止していればの話ですが…

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