裏の国家予算・特別会計は436兆円…なのに「日本に金が無い」は本当か? ムダ遣いに明け暮れる国土交通省の実態

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自分より学歴が「上」の人間は賢いと思い込んでしまっていないだろうか? 元明石市長の泉房穂は、日本の学歴社会が生む致命的な欠陥を『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』にて指摘している。

【画像】泉房穂さんが「この人がいなかったら今の私はない」が語る人物

書籍から一部抜粋・再構成し、なぜ財務省の言葉を鵜呑みにしてしまうのか、そしてその無批判の精神の危険性について解説する。

本当に日本にお金はないのか?

あえて言わせていただくと、財務省へのエリート信仰は、いわば思いこみにすぎないのではないでしょうか。政治家にしてもマスコミにしても、思いこみが強いから、受験競争を勝ち抜いた財務省主計局とはケンカができない。だから財務省が出してきた数字を、なんの検証もせずに信じる。

一方、私は田舎の貧しい漁師の息子で、塾に行くお金もなく、本屋で立ち読みしながら猛勉強して、東大に合格しました。すこし傲慢に聞こえるかもしれませんが、東大に行って最初に驚いたのは、学生たちのレベルの低さです。

記憶することや、数字の置き換えは得意なのですが、なにもないところで絵を描いてみてと言うと、止まってしまうのです。ゼロから1を作り出す力がありません。

すでにある数字の置き換えとか、作業効率は高く、要領はいいのです。受験というせこい競争をよりせこく勝ち抜いた者が財務官僚ですから、私は財務官僚を賢いと思ったことがありません。国民の負担を減らし、国民を笑顔にするのが、賢い人間だと私は思います。

みんな財務官僚のことを賢いと「思いこんでいる」だけです。私に言わせればマスコミの人間も受験エリートですから、反骨精神が強いようでいて、財務省へのコンプレックスがあるのかもしれません。

立憲民主党にしても、この物価高のときに、「今の経済状況は減税する場面ではない」などと言っていますが、スーパーで買い物をしている側としては、物価が上がっても、それ以上に負担が軽減されるなにかがあればいいわけですから、「食料品や生活必需品には消費税をかけない」など、国民の負担を軽減する政策はいくらでもあるはずです。

財務省の言うことが正しいと思いこんでいるから、そんな当たり前のことすら見えていない。国民が見えていないし、見る気もないようです。

そんな財務官僚の中にも面白い人はいて、私にも仲良くしている方はいます。主計局出身のその方いわく、「財務省の数字は適当ですよ。私も噓ついてましたから」とのこと。「誰も反論しないし、議論しようともしないから、マスコミなんてイチコロです」と彼は言っていました。正直で屈託のない男です。

「お金がない」というセリフは財務省の決まり文句ですが、そもそも財務省の発表している数字が本当であると、検証した人がいるのでしょうか?

まずひとつは、表の国家予算である一般会計から算出したプライマリーバランス(基礎的財政収支)だけをもとに、財務省は「お金がない」「財政赤字縮小のための増税を」とのパフォーマンスをしている節があります。そして政治家もマスコミも、その数字を鵜吞みにして「お金がない」と言っています。

また仮に財務省の数字を信じるとしても、プライマリーバランスの早期黒字化の見通しが立っている現在、これ以上「財政赤字縮小のための増税」は必要ないはずです。

表の国家予算である一般会計に対して、裏の予算である特別会計があります。財務省によれば、2024年度の予算は一般会計が112兆717億円。それに対して、裏の国家予算にあたる特別会計は約4倍の436兆円で、一般会計と特別会計の行き来を差し引きした歳出総額の純計額は207兆9000億円です。

特別会計についてはブラックボックス化されたままで、石井紘基さんが追及していた「本当の国家予算」については、いまだ議論されていません。

本当に日本にお金はないのでしょうか?

地方交付金の根拠は謎

私の感覚でいくと、明石市長を12年務めての結論は「お金はなんとかなるし、人もやりくり可能な状況だ」でした。市長になったころは私も「日本にはもうお金がない」と思っていたので、私もだまされていたのでしょう。市の財政部局とも何度もケンカしました。

2011年、明石市長に就任してまず、財政部から「将来見通しでは3年後に破綻する」と聞かされました。当時の明石市の年間予算は、一般会計と特別会計を合わせて約1700億円。

市の貯金額は70億円でした。財政部の出してくる予測では、貯金がすぐに崩れてなくなっていきます。そのままで行けば、たしかに3年で財政は破綻します。

私も最初の3、4年は、財政部の言葉を真に受けていました。しかし一向に破綻の兆しは見えてきません。5年目に堪忍袋の緒が切れて、担当者を問い詰めました。「初年度の予測どおりなら、もう財政破綻しているはずではないか。しかし現実には、借金は返済できているし、貯金も積み増してきている。どういうことなのか?」と。

結論から言うと、財政部が出していた数字は、最悪の事態を想定した現実的ではないものでした。「市にお金が最も入ってこない可能性」と、「市がお金を最も使う可能性」を組み合わせて算出していた数字だったのです。そんな計算方法では、いずれ財政破綻するに決まってます。

でも現実の世界、実際の行政では、そのような「最悪の事態」は起こりません。

これはいかにも官僚的な、リスク回避の発想です。明石市のような地方自治体の職員にしても、中央省庁の官僚にしても、基本的に役人というものは、自己保身と組織防衛の論理で動いています。

彼らにとって最もリスクが少ないケース、つまり最悪の事態を前提に計算するから、「3年後に財政破綻」というような、現実から乖離した数字がためらいもなく平気で出てくるのです。

私はもうすこし幅を持たせるように、「お金が最も入ってくる可能性」と「お金を最も使わない可能性」を組み合わせた見積りも出すように指示したのですが、担当者は「国の数字が出てこないから、それはできない」と言います。

国からお金がいくら来るかわからないから、数字を置き換えて計算することができない。それが地方自治体の限界なのだと。

実際に国は数字を出してきません。ですから市の財政部も、気の毒な面もありました。

地方財政で困るのは、交付金措置です。「地方間の平準化」の名のもとに、地方の財源を国がいったん集めて、「地方交付金」として各地方へ分配していきます。たとえるなら、親が兄弟3人の貯金箱を取り上げて、言うことを聞いた子からお金をあげるようなシステムです。

それだけでも理不尽な話ですが、なんと、そもそもその交付金の計算方法が「明確ではない」のです。

たとえば明石市に交付金が総額100億円振りこまれたとして、どういう計算で100億が明石に来たのか、その明確な内訳は誰にもわからないのです。交付金として来たかどうかも、わかりません。ある金額が振りこまれて、国はただ「交付金措置をしました」と言うだけです。

言うなれば、国が好き勝手に数字を出して、どういう計算で増減して「100億」という数字になったのかは、ブラックボックスの中。財務省に内訳を問い合わせても「所管省庁が幅広いから説明できません」と答えようとしません。

私も相当彼らとケンカをしましたが、納得のいく回答はついに得られませんでした。「中央省庁が上で、地方自治体が下」という前時代的な特権意識で、お金がどのように流れているのか、わからせないようにしているとしか思えませんでした。

目の当たりにした国交省内のムダ遣い競争

明石市長の最後の年には、私は兵庫県治水・防災協会の会長をやっていました。県内の河川、砂防事業の促進をはかる任意団体で、その関係で国土交通省にもたびたび足を運びました。私がそこで見たのは、右肩上がりの予算競争でした。

たとえば水管理の部局があって、海岸とか河川などいろいろな部門があるのですが、全国大会と称して、部署ごとに予算を競い合うのです。前年度より予算が何パーセント伸びたかを棒グラフにして、伸び率の高い部門の課長が出世するような風潮です。

私に言わせれば、「ムダ遣い大会」です。官僚にとって大切なのは、自分の所轄でいかに多くの予算を獲得するかで、総コストを抑える発想などありません。一番お金を使った者がその後、局長になっていくような世界です。こんな時代に、右肩上がりの競争を官僚同士でしている。私は呆れていたのですが、みなさん真面目に戦っているから、なおさらタチが悪い。

公共工事の予算については、自治体側からも要望を行ない、私は県の会長として、兵庫の41市町を束ねて要望書を提出しました。ですが驚くことに、要望書に具体的な予算額を書かせないのです。かつ、工事のスケジュールも書かせません。

書かされたのは、工事の予定地だけ。緊急性のない工事も含めて、県内の山や河川を10ぐらい羅列させて、その中の2、3の工事を、担当課長の権限で許可するという段取りです。言うなれば、工事予定地の水増し申請。明石市の公共工事については、私は当初、本当に必要な2、3の工事予定だけを申請しようとしたのですが、「市長、そんなことをしたら、ゼロか1になります」と市の職員に止められました。

国交省のやり方に異を唱えたと見なされて、予算をつけてもらえなくなると。

そして要望書を提出した後も、具体的な予算額と工期は不明のままで、こちらから再度うかがいを立てなければならないのです。まるで「早く工事を始めたいのなら、そちらから頭を下げてこい」とでもいうような見下した態度で、腹が立って仕方がありませんでした。

工事のコスト見積りを安くでもしようものなら、なぜか怒られてしまいます。官僚社会では、大きな金額の仕事をする者が偉いのです。予算額を上げると、実際の工事の発注金額との差額が生まれます。官僚の自由裁量で使える予算なので、差額を返す必要はありません。その差額がどこに行っているのか?その行方は、透明化されていないブラックボックスの中です。

ある道路部門の課長は、「道路は造れば造るほど国民が幸せですよね」と本気で言っていました。道路は広いほうがいい、きれいなほうがいい、長いほうがいい、等々。この方も、予算は大きければ大きいほどいいとの考えをお持ちでした。

災害対策も同様で、「お金が大きいほど、できることが大きくなる」という発想のようです。担当の課長は、「山奥にある1軒の山小屋を土砂崩れから守るために、何10億円を使った」という話を美談のように語っていました。

「災害対策のための工事」と言われると、つい反対しづらくなりますが、安全な場所に新しい小屋を作るという方法もあります。数百万円の山小屋を守るために、税金で何十億円もかけて、大がかりな土砂対策の工事をする必要があるのでしょうか。疑問でしかありません。

わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇

泉 房穂

2024年9月17日発売

1,045円(税込)

新書判/256ページ

ISBN: 978-4-08-721330-0

志半ばで命を奪われた男の、よみがえる救民の政治哲学!

◆内容紹介◆
2002年10月、右翼団体代表を名乗る男に襲撃され命を落とした政治家・石井紘基(こうき)。
当時、石井は犯罪被害者救済活動、特殊法人関連の問題追及等で注目を浴びていた。
その弱者救済と不正追及の姿勢は、最初の秘書・泉房穂に大きな影響を与えた。
石井は日本の実体を特権層が利権を寡占する「官僚国家」と看破。
その構造は、今も巧妙に姿を変え国民の暮らしを蝕んでいる。
本書第Ⅰ部は石井の問題提起の意義を泉が説き、第Ⅱ部は石井の長女ターニャ、同志だった弁護士の紀藤正樹、石井を「卓越した財政学者」と評する経済学者の安冨歩と泉の対談を収録。
石井が危惧した通り国が傾きつつある現在、あらためてその政治哲学に光を当てる。

◆目次◆
はじめに 石井紘基が突きつける現在形の大問題
出版に寄せて 石井ナターシャ
第Ⅰ部 官僚社会主義国家・日本の闇
第一章 国の中枢に迫る「終わりなき問い」
第二章 日本社会を根本から変えるには
第Ⅱ部 “今”を生きる「石井紘基」
第三章 〈石井ターニャ×泉房穂 対談〉事件の背景はなんだったのか?
第四章 〈紀藤正樹×泉房穂 対談〉司法が抱える根深い問題
第五章 〈安冨歩×泉房穂 対談〉「卓越した財政学者」としての石井紘基
おわりに 石井紘基は今も生きている
石井紘基 関連略年表