「14万円のオイルディスペンサー」の共同製作者が語る、料理家・有元葉子の「こだわりを実現する力」

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「有元葉子」で統一された部屋

料理家 有元葉子さんのスタジオは、どこもかしこもすっきりとしている。無機質という意味ではなく、ちりひとつない清潔さときちんと整理整頓された空間には、籐のかごや温かみのある自然素材の家具や道具はあっても、違和感のあるものがひとつとしてない。

スタジオの中にあるものは、すべて「有元葉子」のイメージで統一されている。

この統一感はどうしたら得られるのだろう。

有元さんは、よく「買ったものは自分」と言っている。著書の中でも、「最後まで『食べきる』『使い切る』ことで初めて、そのものが生かされる――」(『使い切る。有元葉子の整理術 衣・食・住・からだ・頭』講談社刊)と書いており、自身で選んだものへの責任と覚悟を感じる。

ふきん一つとっても、まずは食器拭きに、少しくたびれてきたら台ふきんに、さらに穴が開いたり、ほつれたりしたら雑巾にして使い、文字通り“ぼろ雑巾”になるまで使い倒す。

イタリアで購入したミトンは、薄くなったりほつれたところは繕いながら大事に使い続けていたし、お茶を点てる茶筅にしても、古くなって先がぼろぼろになったら、「すり鉢掃除にちょうどいいのよ」と見せてくれた。

このようにして、自分らしいものだけに囲まれる暮らしを得たのだろう。

その有元葉子さんが17年越しで、ようやく理想のオイルディスペンサーを手に入れたという。

オイルディスペンサーとは、缶で購入しているオリーブオイルがそのままでは使いづらいので、注ぎ移して使うものなのだが、納得のいくものがなかなか見つからなかったのだそうだ。

イタリア、イギリス、日本……。暇さえあれば道具屋さんやインテリアショップをのぞき、いつも捜し歩いていたが出会いはなく、ついに「これは、つくるっきゃないね」と腹を決めたのだ。

前編「『買ったものは自分』有元葉子が『14万8500円の道具』を17年かけて手に入れたかった理由」では、オイルディスペンサーがなぜ有元さんの暮らしに欠かせないものなのか、手にするまでの17年間をどう過ごしたのかを、続く中編「有元葉子の14万円のオイルディスペンサーは、なぜ『100年絶対に変わらない』と言えるのか」では、頭の中にイメージしていたオイルディスペンサーを、どうやって形にしたのか、理想を見事に再現した製作者とはどこで知り合い、どんなプロセスを踏んだのかを、有元さんのインタビューでご紹介している。

後編では、「素材も技術も文句なし。ものづくりも、結局は人なのです」と有元さんに言わしめた、オイルディスペンサーの製作者で鍛工舎の渡邉和也さんのインタビューをご紹介したい。

大事にしたのは“愛着を持てるもの”を作る

――有元さんとは、今回が初めてのお仕事ではなく、実は10年以上も前に玉川堂で、その時はひとりの職人として一緒に“湯沸(ゆわかし)”を作られた、とお聞きしました。

当時、有元葉子さんの名前はご存じでしたか?

「当時は失礼ながら、存じ上げておりませんでした。

後になって先生のご活躍を聞いて、自分とは別の世界にいらっしゃる方なんだろうなと思ったのが正直な印象です」

――オイルディスペンサーの依頼は、どんな風に頼まれましたか?

依頼主の頭の中のイメージを共有するのは、とても難しく思えるのですが、どんなやりとりがあったのか、工夫されたことがあれば、教えてください。

「今回の依頼は、ササゲ工業の代表で友人の捧さんを通じていただきました。

先生のイメージのインプットは以前からお使いのディスペンサーを見せていただくことから始まりました。

『買ったものは自分』みたいな感覚に似ているのですが、オイルディスペンサーを通して先生を表現することだと思いました。

モノづくりにはいろいろな価値基準があると思いますが、私は先生が“愛着を持てるもの”をお作りすることが、今企画のいちばん大事にしたところです。

具体的には大まかな叩き台となるディスペンサーを、実際に銅で数パターン制作したものや、スケッチで提案も織り交ぜながら、とにかく先生のこだわりを聞きまくりました。

伝わりきれないところは調整し、次はまた別の部分を調整し、の連続です。

そこは地道にトライ&エラーを積み重ねましたね(笑)」

今まで経験した中で最も長い試作期間

――有元葉子さんは依頼主として、どんな方ですか。

「先生はとにかく優しいです。いつもやわらかく要望を伝えてくださいます。

『あ、でもこれは絶対譲れないところだな』というこだわりの芯みたいなものをしっかり持っていらっしゃるので、やり取りの中に曖昧さはありませんでした。

長く時間がかかったのは、こちらの仕事の事情もありましたが、それだけこだわりや思い入れの濃い内容だったということに尽きます。

私が今まで経験した中で最も長い試作期間でしたが、最後まで面倒と思わせないところも先生のお人柄の凄さかなと思います」

――鍛工舎の前、渡邉さんはどんなことをされていたのでしょうか。モノ作りに興味を持たれたのはいつ頃からですか。

「子供の頃から自分の手で何かを作るのが好きでしたね。

図画工作や美術の授業で、いつも(5段階〜10段階評価で)一番高い評価をいただいていました。

お恥ずかしい話ですが、今思えば、その大いなる勘違いで今の道に進むことに決めましたし、全く迷いはありませんでした(笑)。

長岡造形大学に進み、鍛金という分野に初めて触れました。

専攻の期間はおよそ2年と短く、卒業後、大学院に進みもう2年アカデミックに進めていくのか、世の中に出て実践的に進んでいくのかの選択でした。

分からないなりにずっと続けていきたい、早く世の中に出たいという若気の勢いみたいなものはありましたから、早く実践できるであろう玉川堂の門を叩きました。

これはもう時効かもしれませんが、入社して割とすぐに自分の中で勝手に『5年。独立するまで5年』と決めていました。

玉川堂の一員として職人人生を全うするか、自分の能力でこの技術と生きていくか

ここにも選択がありましたが、やはり性分なので後者を選びました。

先輩方から仕事を学ばせてもらいながらコツコツと自分の工房を準備する、そんな5年を経て、2005年春に鍛工舎を立ち上げ、今に至ります」

“有元葉子”を工芸を通して翻訳する

――渡邉さんの以前の取材記事(「わたしの名品帖」)の中に、「結局は人間力です。依頼者の人間力もあるんですが、技術力はもちろんのこと、コミュニケーション力や製作する体制も含めて、自分も準備しておかないと、大御所が依頼してきても対応できません」とありました。

「自分も準備しておかないと」とは、どんな準備ですか。

今回、有元さんからのオイルディスペンサーでは、いかがでしょうか。

準備とは自身の感性やモチベーション、知識を高めていくことだと考えています。

普段から広く自身の仕事以外のモノやコト(経済や政治、環境問題、エンタメetc)に積極的に目を向けています。“どう工芸するのか”よりも“工芸で社会にどう表現するか”という社会性を大切にしています

今回のオイルディスペンサーづくりは、先生の考えていらっしゃること(無形のもの)から、先生という存在・フォルム・仕様のこだわり・価格・生産数などを落とし込んで、永く愛着を持って受け継がれるものを具現化する作業でした。

言い換えれば、“有元葉子先生を工芸を通して社会に向けて翻訳する”ということですかね」

――今後、どんなお仕事をしてみたい、また作ってみたいなどがあれば、ぜひ教えてください。

「これまで、いろいろな方達や企業案件を多くやらせていただきましたが、今後はさらにオリジナルで、まだ世の中にないものを生み出せたらと考えています。現在も進行形で建築とのお付き合いがあって、こちらの世界では工芸の拡張性や時代性を考えさせられます。

従来の工芸品制作だけでは見えてこない工芸の在り方や解釈、可能性を感じることでモチベーションも上がるので、続けていきたい分野ですね」

◇主に工業として製品を作る人間を「職人」と呼ぶのなら、渡邉さんはその枠の中だけに収まる方ではないように思えた。

依頼されたものをただ作るのではなく、依頼主である“有元葉子”という人物を、工芸を使って世の中に発信しようとしているからだ。

渡邉さんは、“どう工芸するのか”よりも“工芸で社会にどう表現するか”を大事にしているとも言っていた。さらにオリジナルで、まだ世の中にないものを生み出せたらと考えている。

100年変わらず使い続けられるという確かな技術をもって、社会に何かを表現するとは、アーティストそのものの発想ではないか。

14万のオイルディスペンサーは用途から考えれば高価な道具かもしれないが、アーティストの作品と見るなら、どう感じるだろうか。

アートの価値は、買い手が決めるものなのだ。

料理家・有元葉子が「14万円のオイルディスペンサー」を作った「切実な理由」