「子どもへの虐待が止められないんです」…我が子を傷つけずにはいられない42歳主婦が訴える「DV夫と義両親」への恨み

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夫婦間のDVと子どもの虐待は連鎖する

「私は子どもへの虐待がどうしても止められないことに苦しんでいます。子どもを傷つけずにはいられない愚かしい自分が憎い。私をそういう人間にした夫や、夫の両親も憎くて仕方ありません」

こう話したのは野口夏希さん(仮名・42歳)だ。自己嫌悪してみせる一方で、まるで自分が子供を虐待するのは、夫と夫の両親のせいだと言わんばかりの言いぐさだ。ただ、憎悪を訴える夏希さん自身もDVの被害者である。

実は母親が子どもを虐待する背景に、夫婦間のDVが存在することは少なくない。

当然、夫からDVを受けているからといって、母親の我が子への虐待が正当化される理由は一切ない。ただ、そんなありふれた指摘は、誰かに断罪されるまでもなく彼女本人が一番理解しているだろう。

恐ろしいのは、「DVの連鎖」にはそれでも虐待してしまう、異常ともいえる心理状態に陥るところだ。

実際、裁判長が「尋常では考えられないほどに凄惨な虐待だった」と指摘した、野田小4女児虐待事件(2019年)でも、家庭内におけるDVの連鎖が発生していた。

この事件では、傷害致死罪に問われた父親が「日頃のストレスの発散」で女児を虐待したが、「ほう助」の罪を問われた母親は、自身も夫から日常的にDVを受けていたことから「やらないと(虐待に加担しないと)自分がやられると思った」と証言している。

「DVの連鎖」は、一般的には<暴力をふるってくる夫に、妻は同調することで自分の身を守ろうとし、その一方で夫のDVによるストレスが、子どもへのDVを誘発する>と考えられているが、今回は冒頭の野口夏希さんのケースで追っていく――。

お見合いプロジェクトで知り合った夫

「夫の哲史(仮名・50歳)とは10年前に自治体が開催した『お見合いプロジェクト』で結婚をしました。夫は次男でしたが、長男が都内でサラリーマンをしていたため、実家の農業を継いでいました。私は農作業が好きでしたし、義両親からも歓迎してもらえたので、安心して夫の実家に嫁ぐことができました」

実家に嫁いだといっても、母屋と離れでそれぞれ暮らす「敷地内同居」。義両親との関係も夫婦仲も良好。3人の子宝にも恵まれた。

「夫も子煩悩だったし、子どもたちもすくすく育ってくれたし、家業も安定していて笑顔の絶えない家庭でした。この頃が我が家の絶頂期だったと思います」

ところが夏希さんのいう「怖いくらいに幸せだった」日々は、3人目の出産から半年もしないころに終わりを告げる。

「長男である夫の兄の陽一(仮名・53歳)が突然会社を辞めて戻って来て、『家を継ぐ』と言い出したのです。『会社勤めに疲れたから、これからはのんびり畑でも耕して暮らすよ』なんて言い出して、夫は『何を勝手なこと言ってるんだ!』と腹を立てていました。そりゃあ、そうですよね。元は、お兄さんがサラリーマンになってしまったことで、夫が家業を継ぐ羽目になったのですから」

義両親の「手のひら返し」がはじまった

陽一さんは、不快な表情を浮かべる夏希さん夫婦と目を合わせることもなく、「やっぱり長男が後を継ぐ方が自然だろ?」と義両親に媚びていたという。後日わかったことだが、陽一さんは会社をリストラされており、是が非でも収入源が欲しかったらしい。

ただ…、「そんな急に言われてもねえ…」と戸惑っていた舅と姑の顔が一瞬ほろこんだのを、夏希さんは見逃さなかった。

「まさかとは思いつつも、イヤな予感しかありませんでした」

数日後、夏希さんは義両親の「長男至上主義」に基づく「手のひら返し」が始まったことを思い知る。残念ながら令和の時代においても、こういう事はまま起きている。

「義父は義兄だけを畑に連れて行くようになり、夫は自宅の作業場で農機具の手入れをさせられるようになりました。さらに義父は義兄を『新後継者』として農協を始め、関係者にこっそり挨拶回りまでしていました。完全に夫は部外者扱いです。私の方も兄嫁に仕事を教えるように言われました」

そんなある日、離れに義両親があらたまった様子でやって来たという。どことなくバツが悪そうにも見えるふたりの表情に、再び「イヤな予感がした」という夏希さんだったが、義両親の要件は想像以上だった。

温厚だった夫のDVがはじまった理由とは

「『ここ(離れ)をつぶして陽一の家を建てる』と言われたのです。つまり私たちにこの家を出て行けということです」

あまりにも身勝手な仕打ちにあきれた哲史さんが呆然としていると、義両親は間髪入れずといった感じで「引っ越し先はもう決めてあるから」と借家の賃貸契約書を差し出したという。

「今の家からは目と鼻の先です。事後承諾というのがどうにも許せませんでした。ただ、家賃は義両親が出してくれると言うし、あきれすぎて、すぐにどうでも良くなりました」

引っ越しと同時に「もう手は足りているから」と、夏希さんも農家の手伝いはお役御免となったが、

「夫は家の仕事を続けることになりました。素人同然の義兄が使い物にならなかったからです。それなのに休日や給料、作業内容など、あらゆる場面において、義両親は義兄ばかりを贔屓し、夫は蔑ろにされ続けました。そして夫がその不満や怒りのはけ口をDVという形で私にぶつけるようになりました。これがDVの始まりです。温厚な人だったのに…」

これまで声を荒らげることすらなかった哲史さんの暴力は、夏希さんの子どもへの虐待に繋がり、壮絶な「DV連鎖」へと発展して行く…。

つづく後編記事『「我が子を傷つけずにはいられない」…DV夫の妻への暴力が、子どもたちへの虐待に波及する「DV連鎖」の闇』では、崩壊していく一家の絶望的な顛末を詳報します。

「我が子を傷つけずにはいられない」…DV夫の妻への暴力が、子どもたちへの虐待に波及する「DV連鎖」の闇