二宮清純の「“平成・令和”スポーツ名勝負」〈青木宣親“好捕”でサムライを鼓舞〉

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「日本VSキューバ」WBC1次ラウンド・2017年3月7日

「100点満点です。苦しいことも、いいことも全てですね」

「本当に幸せな野球人生だったと思います。やり残したことがない状況で、現役生活を終えることができる」

 東京ヤクルトの青木宣親は引退会見で、淡々とそう話した。

 会見後にはサプライズで後輩の村上宗隆が花束を持って登場し、涙ながらに「ミスや人間的にダメなことをした時に、面と向かって叱ってくれた。表に出ないところでもたくさん叱ってもらい、人として愛を持って接してくれた」と語った。

 後輩が号泣する姿を見て、「やめてくれよ」と青木も、もらい泣きしていた。

 この一事をもってしても、青木のすぐれた人間性、リーダーシップが伝わってくる。プレーで、そして言葉で青木は後輩たちを引っ張ってきた。

 青木といえば、日米通算2730安打(今季終了時点)の安打製造機。NPB史上唯一の2度のシーズン200安打(2005、10年)を記録している。

 2012年に海を渡り、MLB6シーズンでの通算打率は2割8分5厘。どの球団でもコンスタントにヒットを打ち続けた。

 その巧みなバットコントロールが高く評価された青木だが、俊足をいかしての外野守備にも定評があった。

 忘れられないのは、17年の第4回WBCだ。この時、青木35歳。侍ジャパンの中では最年長だった。

 3月7日、東京ドーム。1次ラウンド・プールBの初戦は強豪キューバ。

 センター青木のビッグプレーが飛び出したのは1対0と日本リードの3回表。1死三塁で、2番アレクサンデル・アヤラが放った打球は右中間最深部へ。

 これを青木はフェンスに激突しながら好捕、犠牲フライで1点を取られたものの、失点を最小限にとどめた。これが抜けていたらビッグイニングになるところだった。

「先発の石川歩は立ち上がりから不安だったけど、あれで落ち着いた」

 後日、こう語ったのは小久保裕紀監督のたっての依頼で投手陣を預かっていた権藤博だ。

「この時にアイツがものすごくリーダーシップを持った男だとわかった。ベンチに帰るなり、選手やコーチたちとハイタッチをかわしたんですが、ものすごい音を立てるんです。普通なら、せいぜいパーン、パーンのところが、彼はバーン、バーン。口にこそ出さないけど『さあ、行くぞ!』というメッセージがこもっていた。あのバーン、バーンで気合いが入り、チームは一枚岩になりましたよ」

 青木は続く4回にもファインプレーを披露した。1死でウィリアム・サーベドラが放った頭上を襲う打球を、半身の姿勢で捕り、勢い余って後方にダイブした。

 このゲーム、日本は11対6で勝利したが、青木のふたつのファインプレーがなかったら、試合はどう転んでいたかわからなかった。

 青木にとっては、これが3度目のWBC。06年と09年大会は世界一に輝いている。メダルこそ獲れなかったが08年北京五輪でもレギュラーを張っている。

 国際大会の難路を誰よりも知る男が、身を挺したプレーで、チームにスイッチを入れたのである。

 引退会見で青木は「いまだに野球が好きなので、絶対に次も野球に関係する仕事がしたい」と語っていた。

二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森保一の決める技法」。