V4系との競合を避けた直4のAEROフォルム、ただエンジンは真っ向対決していた!

ホンダは1986年の3月、V4エンジンの第3世代となるVFR400Rをリリース。
そして3ヶ月後の6月に、同じ400ccクラスに今度は伝統の直4エンジンを搭載したCBR400Rを発表した。
ただCBR400Rは、AEROと銘打ったフルカバードボディというべきエアロダイナミクスのカウルを纏い、V4系とは一線を画した路線であるのを伺わせていた。
わかりやすくいえば、新しいホンダの顔をなりつつあったV4系の主役の座に遠慮しつつ、多気筒エンジンをメジャーにした伝統の直4は消さずに残す……ホンダファンにはそんなステートメントに感じられていた。

パフォーマンスに優れる最新テクノロジーによるV4エンジンに対し、CBRを名乗る刷新された直4は、エアロフォルムで位置づけをスポーツ・ツーリングのカテゴリーへと一歩下がったように見える。
これは750ccクラスでも同様のランク変更があり、ハリケーンと新たなシリーズを意識させるCBR750スーパーエアロがデビューすることとなった。

しかしこのカムギヤトレーンをはじめ世代交替で刷新されたNew直4は、スーパースポーツの座を明け渡す気なんぞ皆無だったのが、実際の仕様をチェックしていくと露呈してきた。

まず超高回転域まで正確なバルブ・タイミングを刻むホンダ核心のカムギヤトレーンを、最新V4系と同じくカセットに収めることで、生産性と整備性を両得。
動弁系が小さなロッカーを介する最新仕様なのはいうまでもない。
空冷CBR400Fから水冷化されたCBR400Rは、表向きレプリカ路線ではないルックスを纏ってはいたが、性能はツアラー的なキャラクターではなくスーパースポーツとして頂点を狙う姿勢を貫いたままだったのだ。

戦略上の立場を守りつつ、実際にはライバルとして牙を研ぐ姿勢は貫いていた!

もちろんエアロフォルムも単なるカタチだけのものではない。初の本格的エアロダイナミクスの開発で、たとえば後輪を覆っていたリヤフェンダーは、カウルのボディ内部を冷却風が抜けやすくする導入の役割を与えたモノ。
そして全体に空気を採り入れ、効率良く排出していくノウハウは、まさにHRCのワークスマシン開発からのフィードバック。
アルミのツインチューブ・フレームも、部材が目の字断面にリブが入ったVFR系と同様に剛性が高い仕様だ。

さらにレース活動もV4の影に隠れて表立つのを避けてはいたものの、ツアラーとしての役割へ身を転じる気など毛頭ない直4開発チームの勢いが漲っていた。
これがその後に功を奏し、4気筒はV4主流から直4がメジャーな位置づけへと戻ったとき、ライバルたちに一歩もヒケをとらないポテンシャルを維持してみせた。

こうして運命に翻弄されたCBR400Rだったが、翌1987年にハリケーンを名乗りながら最終モデルとなり、ご存じレプリカのCBR400RRとして再び主役の座を務めるのだった。
この間、会社の方針に従うそぶりを見せながら、それこそエアロフォルムに隠れるカタチで虎視眈々と逆転への弓を引いていたしたたかさは、さすがホンダという他ないだろう。

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