日本での成功を生んだ、外国名画の「絶妙な邦題」
「原題のままでよかったのでは」と思う作品もあるという(写真:Fast&Slow/PIXTA)
「Amazon Prime Video」「Netflix」「Hulu」「Disney+」「U-NEXT」などの登場により、手軽にストリーミングで映画が観られるようになりましたが、それは「映画を劇場で体験する」という贅沢で特別な時間とは違った楽しみ方だ、と語る映画パーソナリティのコトブキツカサ氏。
映画がスマホゲームやSNS、マッチングアプリなどとの「時間の取り合い」に打ち勝つためには、映画の周辺にあるアミューズメント・システムの内情を広く知ってもらうことも重要だと指摘する同氏が、一般にはあまり知られていない映画業界の「内幕」について紹介します。
※本稿は、コトブキツカサ氏の著書『教養として知っておきたい映画の世界』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
訴求力が低いと判断されると邦題がつく
海外の映画を日本の配給会社などが購入した場合、その作品の国内タイトルは原則として日本の配給会社などがつけます。
原題をそのまま使うケースもありますが、長いタイトルや意味がわかりづらいタイトルなど、訴求力が低いと判断された場合は邦題がつけられることになります。
日本映画界の歴史に刻まれるような秀逸な邦題はたくさんあります。
例えば、原題「The Fast and the Furious」(ザ・ファースト・アンド・ザ・フューリアス。直訳すると「速くて猛烈な」)は、2001年、「ワイルド・スピード」というイメージが湧きやすい邦題で公開されました。
ディズニー(ピクサー含む)作品は、子どもにもわかりやすい、それぞれの世界観にふさわしい邦題になっています。
「Up」(アップ/2009)→「カールじいさんの空飛ぶ家」
「Frozen」(フローズン/2013)→「アナと雪の女王」
「Big Hero 6 」(ビッグ・ヒーロー 6/2014)→「ベイマックス」
「Coco」(ココ/2017)→「リメンバー・ミー」
ちなみに2020年に公開された「2分の1の魔法」の原題「Onward」(オンワード)は直訳すると「前へ」です。
「前進」や「成長」の意味としても使える、本作のあらすじにふさわしい、シンプルで覚えやすいタイトルかもしれません。しかし、日本国内ではアパレル会社のイメージが強いため、原題からタイトルが変更されたといわれています。
邦題への変更が功を奏した多くのヒット作
その他にも、この邦題に変更したからこそ成功した(原題のままだった場合、ヒットしなかったのでは……)と個人的に思う映画を何作品か挙げておきます。
「Bonnie and Clyde」(ボニー&クライド/1967)→「俺たちに明日はない」
「Dawn of the Dead」(ドーン・オブ・ザ・デッド/1978)→「ゾンビ」
「The Thing」(ザ・シング/1982)→「遊星からの物体X」
「An Officer and a Gentleman」(アン・オフィサー・アンド・ア・ジェントルマン/1982)→「愛と青春の旅だち」
「Sister Act」(シスター・アクト/1992)→「天使にラブ・ソングを…」
「Almost Famous」(オールモスト・フェイマス/2000)→「あの頃ペニー・レインと」
「Crust」(クラスト/2002)→「えびボクサー」
「The Italian Job」(ザ・イタリアン・ジョブ/2003)→「ミニミニ大作戦」
「The Notebook」(ザ・ノートブック/2004)→「きみに読む物語」
「Whiplash」(ウィップラッシュ/2014)→「セッション」
シルヴェスター・スタローン主演「ランボー」(1982)の原題は「First Blood」(ファースト・ブラッド)で、直訳すると「最初の血」です。
流血が多いボクシングの試合では、「draw first blood(ドロウ・ファースト・ブラッド)」(最初の血を招く=先制する)という用語があります。クライマックスでランボーが大佐に対し、「誰が警察に先に仕掛けたんだ!」と怒りをぶつけるシーンがありますが、この場面にインスパイアされて「ファースト・ブラッド」というタイトルがつけられたという説があります。
「ランボー」シリーズ2作目の邦題は「ランボー/怒りの脱出」(1985)ですが、原題は「Rambo: First Blood Part II」(ランボー・ファースト・ブラッド パート2)となっています。
ほかにも邦題で印象に残っているのが007シリーズ2作目のショーン・コネリー主演「007/危機一発」(1963)です。
同作品の原題は「From Russia with Love」(フロム・ロシア・ウィズ・ラブ)ですが、「危機一髪」の「髪」を、意図的に銃弾をイメージさせる「発」と誤字を使った邦題でヒットさせたのは、当時、日本ユナイテッド・アーチスツ映画会社(通称:ユナイト映画)の宣伝部に在籍していた故・水野晴郎氏(その後、1972年のリバイバル上映時には「007/ロシアより愛をこめて」に改題)。
一定年齢以上の方にとって水野氏は、1970年代のテレビ番組で映画解説を担当する際、「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」と語ってお茶の間の人気を集めた映画評論家として知られていますが、もともとは映画配給会社の宣伝総支配人として、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」(1964、原題は「A Hard Days Night」)など、数々の邦題を考案したとされています。
映画ファンからすると「残念な邦題」も
以上のように原題に比べて日本の観客に伝わるよう工夫した邦題もありますが、映画ファンからすると「残念な邦題」も存在します。
例えば、アカデミー賞9部門にノミネートされ、アルフォンソ・キュアロンが監督賞などを受賞した「ゼロ・グラビティ」(2013)の原題は、真逆の意味の「Gravity」(グラビティ=重力)です。「重力」というタイトルの映画を「無重力」(ゼロ・グラビティ)にしたため、一部の映画ファンがSNSなどで嘆きました。
公開前に同作品の関係者から聞いた話によると、社内会議では最初に原題を直訳した「重力」にする案が出たようです。邦画の歴史をひもとくと漢字2文字のタイトルが定番としてあることと、当時、松たか子さんの主演映画「告白」(2010)が大ヒットしていた影響もあったといいます。
しかし、反対意見が出たため白紙に戻り、その後、ベストセラー小説『永遠の0』の映画化が発表され、公開時期が両作品とも2013年12月だったことから、「ゼロ対決」という話題性も期待した上で「ゼロ・グラビティ」になったそうです。
もう1本取り上げたい作品が「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015)です。
原題は「Mad Max: Fury Road」。マッドマックスはそのままですが、サブタイトルは「フューリー・ロード」です。今の邦題が嫌いというわけではないのですが、僕は作品解釈的に原題にある副題のほうがよかったと思っています。
フューリー・ロードのフューリーとは「怒り」の意味で、ギリシャ神話の復讐の女神「フューリー」から派生した言葉ですが、この物語はイモータン・ジョーの軍団に虐げられてきた女性たちが、逃げた道を引き返して復讐する話だけに、フューリー・ロードというサブタイトルが大事なのです。
付け加えるならシャーリーズ・セロン演じる隊長の名前がフュリオサなのもフューリー(復讐の女神)から名づけられています。
あくまで主観になりますが、「原題そのままでもよかったのでは?」と思う作品も多々あるものです。
「内容が伝わらないタイトルはヒットしない」と話す識者もいますが、「ジョーズ」(1975)、「E.T. 」(1982)、「グレムリン」(1984)、「ゼイリブ」(1988)など、タイトルだけ聞いても内容がまったくわからない映画でもヒットしているものはあります。
日本語のタイトルやサブタイトルを使って映画ファンに作品イメージを伝えたい気持ちはわかりますが(潤沢な広告費が捻出できない作品にありがちです)、邦題をつけることですべてが目論見通りに進むわけではありません。オリジナルのタイトルと独自の邦題をつけるかは是々非々で検討してほしいものです。
助監督より「実入り」が少ない監督業の悲哀
映画関係者以外の方にはあまり知られていない話題を、もうひとつ紹介しましょう。
「日本で活躍している映画監督と助監督、どちらが収入が多いかわかりますか?」
ある映画監督との酒席でこう聞かれました。その方は数々の著名な映画監督のもとで長年、助監督を経験した後、初めて監督として映画を撮ったばかりでした。「誰もが名前を知っているような国内トップクラスの有名監督は別だ」と前置きした上で、「助監督をやっていた頃のほうが間違いなく年収がいい」といいます。
監督より助監督の報酬が高い? そんなことがあるのかと思って話を聞いていくと、「いや、さすがにギャランティは監督のほうが貰えますよ」と笑います。
「監督のほうがギャラが高いのに助監督のほうが年収がいい」の真意はこうです。
監督が、企画段階から制作に集中して取り組むと多忙を極める。邦画界の現状として、スタッフをたくさん確保することはできないので、監督自ら行う仕事も多い。この状況を続けている期間の収入は、1本の映画監督としての報酬しかない。
一方、助監督の仕事は、撮影直前から参加する場合もあれば、現場を掛け持ちする場合もある。だから、実収入だと助監督時代のほうが明らかに年収がいいですよ、と知り合いの監督はいうのです。
日本の映画監督の作品1本の報酬は、制作費にもよりますが、平均すると300万〜500万円といわれています。企画段階からさまざまな工程を経て作品が完成するまで数年かかりますから、年収で換算すると厳しい数字になります。
そのため、ミュージシャンのMV(ミュージックビデオ)や企業コマーシャルを撮影したり、教育機関で演劇や映像を教える講師業(ワークショップ)をしたり、雑誌コラムの原稿を執筆する文筆業などで生計を立てている映画監督は少なくありません。
そもそも邦画は制作費が低く抑えられている
邦画の制作費はハリウッドなどと比較して低水準です。国内経済の影響も色濃く受けますから、低迷期であれば制作費も連動して縮小傾向になります。
ロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994)のオープニングに、開いた本の中からひとひらの羽根が舞い上がるCGのシーンがありますが、北野武監督はインタビューで、「あの羽根のシーンだけで自分の映画が1本撮れる」と話していました。日米の環境の違いを象徴するような発言です。
ハリウッドのビッグバジェット・ムービー(大作映画)は約1億ドル以上(約140億円以上。ここでは1ドル140円で換算します)の作品を指しますが、邦画は1億円未満がほとんどです。10億円超の映画は年間数本しか存在しません。アメリカでは、学生映画でも100万ドル(約1億4000万円)の制作費が標準です。
インディーズの世界にはインディペンデント・スピリット賞があり、メジャー映画会社以外の会社が制作した作品を対象にしていますが、広告宣伝費などを除いた直接制作費2000万ドル以下(約28億円以下)の作品が基準になっています。アメリカでは28億円以下の制作費の作品がインディペンデント(自主制作)映画なのです。
このように映画の制作環境には差があります。邦画の制作費は低く抑えられているので、映画監督の収入も必然的に少なくなってしまうのです。
(コトブキツカサ : 映画パーソナリティ、エンタメ評論家)