伊藤蘭が好きすぎて「腕にRANと彫った」彼の半生
キャンディーズのランに青春を捧げ、63歳の今でも応援を続ける石黒謙吾さん。追っかけ続けて半世紀、そのきっかけは意外なところにあったようです(本人提供)
アイドルをはじめ、キャバクラ、フィリピンパブ、VTuber……などなど、さまざまな異性(または同性)に“数百万円”以上を貢いできた人に、自身の半生を振り返ってもらう連載企画「貢いだ人たちの物語」。
連載初回は、伝説のアイドルグループ「キャンディーズ」のランに青春を捧げた、著述家・編集者の石黒謙吾さん(63)にお話をうかがいました。(前編はこちら)
「ランに会えるかも」と期待を胸に上京
累計90万部を記録した『盲導犬クイールの一生』をはじめ、幅広いジャンルの著書とプロデュース・編集で300冊を残してきた著述家・編集者の石黒謙吾さん。
そんな彼にはもう一つ、伊藤蘭の熱烈なファンという顔があります。応援歴はなんと50年以上。伊藤蘭の歌手復帰とともに「全ラン連」(全国伊藤蘭連盟)を立ち上げ、声援を送り続けているのです。
前編ではランとの出会いから、石黒さんが自身の身体に「RAN」と彫り、その痕に「電車でギョッとされた」というエピソードなどを紹介しました。
さて、ランが石黒さんに決意させた、もう一つの大きなことがら。それは「上京」です。きっかけは、東京からやってきた高校生との出会いにありました。
「僕が高1の夏休み、キャンディーズの小松公演があって、帰りは駅に来ると予測して、ホームで待っていたんです。すると同じように駅待ちしている、東京から来た獨協高校の2年生2人組がいたんですよ。中の1人がGARO(ガロ/『学生街の喫茶店』をヒットさせたトリオ)みたいなもじゃもじゃパーマで。ファッションも都会的でおしゃれなんです。
【画像7枚】「高校2年間で300万円以上を費やし、100公演超に参加」「腕にRANと彫った」…。63歳の今も、ランを熱烈応援する石黒謙吾さん
そんな2人から『キミもキャンのファン? 』と声をかけてきてくれて。で、話していたら『このあいだ夜のヒットスタジオを観てたらさ、ランが俺がプレゼントしたネックレスしててさあ』と言うんですよ。人生最初のカルチャーショックと言っていいでしょう。それを聞いて『東京じゃこんなすごいことがあり得るのか!?』と驚愕でしたね」
ランにも会えるまではいかなくとも、近くで同じ空気を吸いたい。幼い頃から絵を描くのが好きで、金沢の美大へ進もうと考えていた石黒さん。しかし、東京からやってきた2人組に感化されて完全に「その気」になり、一歩でも近くにいたい想いは、キャンディーズの解散を経験した高校3年生になっても消えなかったのです。
「上京するとき部屋のポスターと切り抜きを全部はがしました。少なくとも300枚あったかな。部屋中に貼っていたからすごい量でね、はがすのに苦労しました。こんなにも毎日キャンとランのことばかり考えていたんだと、感慨深かったですね」
ちなみに高校3年生までにキャンディーズにつぎ込んだお金は、コンサートにおける諸費用、レコード・雑誌の購入費など合わせて300万円に達していたはずということです。
「出版の道に進めばランを取材できるかもしれない」
上京し、倍率40倍にのぼる芸大の油画科を目指し美術系の予備校へ通うも、怠惰な生活を送るだけで浪人生活は3浪目に突入。その間、ランは映画『ヒポクラテスたち』(1980年/昭和55年)で女優・伊藤蘭として復帰を果たします。「東京に行けば、少しでもランに近づける」と熱い想いを胸に上京したものの、精神的な距離感は金沢にいた頃より遠のいたのでした。
「毎日、喫茶店のアルバイトでコーヒーを淹れて、ナポリタンを1日に何十皿も作って、それの繰り返しでした。せっかくバイトで得たお金を競馬でスッてしまう日々。『この人生、なんとかしなければ』と焦り、画家の道はあきらめて、ジャーナリスト専門学校に入学しました。ここで勉強して出版の道に進めば、復帰したランにインタビューできる日がくるのではないかと思ったから」
ジャーナリスト専門学校を卒業後、講談社の雑誌『PENTHOUSE』のフリー記者となった石黒さん。その後は、同社の『Hot-Dog PRESS』で契約編集者に。この10年近くの間で、インタビュー、グラビアなど伊藤蘭取材に漕ぎつけるべく果敢に3度のアタックを試みます。
しかし、当時の所属事務所の望む内容ではなく、実現には至りません。まるで「やさしい悪魔」が邪魔するかのように、神はなかなか石黒さんに「微笑をかえして」はくれないのでした。
自分のなかでラン/伊藤蘭は神聖な世界にいる女神である。疑似恋愛の対象ではない。そう納得しているつもりだったのに、彼女の結婚後、夫・水谷豊が出演する『相棒』は「1度も観ていない(笑)」という石黒さん。
「なぜここまで、自分はランに恋い焦がれるのか……」
30代になったある日、片時も伊藤蘭を忘れられない執着の原因と対峙することになります。きっかけは、生き別れになった母との出会いでした。
「32歳のとき、初めて(という言い方もヘンですが)生みの母に会ったんです。東京に戻って父にその話をしたら、『そうか……。伊藤蘭に似てただろう』と。
一瞬『は?』と思いましたが、言われてみれば確かに、その時点で52歳だったのですが、はっきり面影はありました。父は『お前がキャンディーズのランちゃんに夢中になってる姿を見ていて、絶対に顔を覚えているからだと思ってたけど黙ってたんだよ』と続けました。
でも、それまで母の写真は全部父が捨てて1枚もなかったので全然知らなかった。だからこそ、この話は衝撃でした。そして、『中1のときに見たランの姿は母と重なっていて、追っかけをする運命だったんだ』とすべて腑に落ちました。
そして、その後、母がかつてバスガイドをしていた頃の若かりし頃の写真を見せてくれたんですが、伊藤蘭さんにそっくりでした」
ランに似ていたという母は、2007年、ガンでお亡くなりになりました。運命というものは本当にあるのでしょう。翌2008年、石黒さんは遂に! 伊藤蘭インタビューの仕事が実現するのです。
2008年4月に解散30年記念で、「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」フィルムライブが2000人を集めて行われ、石黒さんは発起人代表を務めます。
大同窓会の際のスポーツ紙の記事(本人提供)
ちなみに、このイベントの成功を見守ってくれていたかのように、イベントの9日後に父も他界しました。そして、そこをきっかけに、5月には「新生・全キャン連」の代表となります。その流れからお声がかかったインタビューでした。
「朝日新聞社のムックの仕事で1時間半、みっちりインタビューできました。会って話ができただけではなく、撮影の際にはレフ板で光をあてさせていただき、取材後には『仕事でこんなに熱くファンだと言われたのは初めて』と向こうから握手を求められたんですよ。
大げさではなく『もう、やり残したことは何もない。いつ死んでもいい』と本気で思いました。だって、12歳から憧れ続けた人とじっくり話せる瞬間を夢見て、この仕事を始めたんですから。2008年のこの日以降の僕は完全に余生でしたね」
60代にして歌姫が復活し生涯応援を誓う
以降を余生とし、穏やかに過ごしていた石黒さん。ところが再び奮起のときが訪れます。2019年、「伊藤蘭、キャンディーズ解散以来の歌手活動再開」のニュースが飛び込んできたのです。
「青天の霹靂ですよ。報道で知って、『嘘だろう?』って。41年もの空白期間があったし、もう60代でしたから、歌手はやらないと思ってました」
そうして信じられない気持ちのままコンサートに参加した石黒さんは、伊藤蘭の圧倒的な現役感に打ちのめされるのです。女神が歌手として再生し、新たな「つばさ」を広げていたのでした。
「ステージが始まるとすげえ……と声が出ました。何がすごいって、歌のうまさもダンスのキレも、キャンディーズ時代と全然変わってないんです。大台に乗って、なお、この声、この動き、このキュートさ。生で見ると本当にすごい。敬服しますよ。
そして、こんな素敵な人を半世紀にわたって応援し続けた自分の目に狂いはなかったと自信がついたし、すべてにやる気が湧いてきたんです。『あ、オレ、老け込んでる場合じゃねえわ。余生だなんてとんでもない』って」
41年ぶりの歌手活動再開の際は、石黒さんもテレビのインタビューを受けた(本人提供)
歌で復活を遂げた伊藤蘭に負けてはならぬと、石黒さんは次のコンサートから自分のオリジナルの鉢巻きやビブスやアームカバー、リストバンド、ペンライトを携え、往年のコールに気合いを入れます。
「ラン活を始めた僕は、第2の人生を歩んでいる、そんな気がします。ランが好きで、キャンディーズ解散後は彼女が出演するお芝居も観に行きました。けれどもやっぱり、僕が熱くなれるのはコンサートの現場だった。それを再確認できた。
そうそう、ソロデビュー当時はライブで鉢巻きをしてるのは自分だけだったんです。みんな照れくさいのでしょうね。そう思うからこそ、ファンの同志にも一緒に連帯感を持って熱く応援していきたくて、自分は突き抜けていこうと思いました。そうしてライブに通っていると、回を重ねるごとに他のファンも熱くなってきて、今では僕が地味なくらいですよ(笑)」
全ラン連での1枚。石黒さんは左から2人目(本人提供)
歌手復帰を祝う気持ちと、勇気づけられたお礼を込めて、自分で作詞をして歌も歌ってレコーディングした曲『微笑の恩がえし』まで、サブスクでリリースした石黒さん。キーワードは、キャンディーズファイナルライブ後楽園でランが言った言葉「私たちは幸せでした!」への感謝のお返しとしての、「僕たちは今も幸せです!」なのだと言います。伊藤蘭本人もこの頃はステージのMCで「ラン活、頼みます〜!」と言っていたとかで、石黒さんのキーワードが当人にも伝わっていったようです。
キャンディーズがレコードデビューして51年。女神に貢ぎ続けた51年間がどんなものだったのか、振り返っていただきました。
「かけたお金よりも、費やした時間の多さこそが、僕が“貢いできたもの”です。キャンディーズのアルバム『春一番』を聴いた回数は1万ではきかないですね。1年に200回でも1万回なのでそんなもんじゃないかも。このアルバムは1枚聴くのに50分はかかるので1万時間は聴いてます。この長さは誰にも負けないのでは?
そしてキャンディーズにはアルバムに収めた曲が200ほどあるんですが、すべて歌詞カードなしで歌えます。聴きこんだ回数は自分でも相当だと思いますよ」
他アイドルには興味なし、キャン&ラン一筋
キャンディーズ以外に夢中になったアイドルはなく、アイドル系のコンサートも「仕事絡みで、森高千里を一度観ただけ」という、キャン&ラン一筋を貫く石黒さん。1人の女性アーティストが放つ光がここまで1人の男性の人生を変えてしまう事実に改めて驚かされました。
右端が、若かりし日の石黒さん。好きになった日から今日まで、胸の中の情熱はずっと燃え続けてきた。なお、写ってるのはランではなくミキ(石黒さん提供)
「人生の節目節目にいつもランがいました。ランがいなかったら、僕の人生はぜんぜん違うものになっていたでしょう。東京へは行っていなかっただろうし、出版の仕事もしていなかったでしょう。そうなるとベストセラーになり映画化されるなんてありえなかった。
『盲導犬クイールの一生』は出したいと思ってから刊行までに6年かかりました。途中で心が折れそうになったことも何度もあるけれど、愚直に突き進めばいつか報われるという気持ちがあったから完遂できました。それはキャンディーズとランをただ好きなだけでひたすら突き進んだことの自分自身の喜びが起点となっています」
全ラン連のグッズ。この先も、ランを応援していくつもりだ(本人提供)
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《前編はこちら:高校2年間で300万円「伊藤蘭」に貢いだ彼の半生 進学も、就職も動かされ…63歳の今も熱烈応援!》
(吉村 智樹 : フリーライター&放送作家)