「1年生の時から即、4年生のチームでプレー」「まだ中3で神宮球場でフェンスオーバー」中村剛也の長男・勇斗が「おかわり二世」になる日

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小学1年生から4年生のチームでプレー

夏の甲子園はベスト4が出揃い、いよいよ佳境を迎えるが、中学年代の硬式野球クラブ日本一を決める「第18回全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップ」は今日20日から戦いの火ぶたが落とされる。早ければ来夏の甲子園でも躍動する可能性を持つ逸材が多く集まっているが、大会連覇を狙う「世田谷西シニア」にもスケールの大きなスラッガーが腕を撫(ぶ)している。

先だって行われたシニアリーグの夏のチャンピオンを決める「第52回日本リトルシニア日本選手権大会」の2回戦では神宮球場の左中間席に放り込む一発を放つなど、持ち味の強打でチームの優勝に貢献したのが右の大砲の中村勇斗だ。

本塁打王6回の埼玉西武ライオンズ中村剛也を父に持ち、小学6年生のときには「埼玉西武ライオンズジュニア」に選出され、中学3年生となった現在は強豪シニアで主軸を任されている。身長はすでに父を上回る181cmで、体重は95kgの堂々とした体格。

野球を始めたきっかけは、やはり父の存在だ。

「プロとして野球をやっているお父さんを格好いいなと思い、気づいたらやっていたという感じです。記憶にはないですけど、小さいときの写真を見返すとカラーバットを振り回しているものがあります」

物心をついたときには、父の真似を始めていたのだろう。自然な形で野球を好きになり、小学1年生のときに地元の少年野球チームに入団。まだ漠然とだが、プロ野球選手を夢見るようになったのも必然と言えそうだ。

だが、チームでは異例のスタートを切る。人数が少なかったとはいえ、すぐに4年生のチームに入れられ、試合にも出ることになる。

特注サイズの制服も着れなくなる

「体が同学年の子たちより全然、大きくて、4年生ともあまり変わらなかったです。それほど強いチームではなかったんですけど、4年生の中でも普通にはできていたと思います」

生まれたときの体重は2560gで、幼稚園に入園する際には自分より背が高い子も何人かおり、特別に目立つわけではなかった。しかし、年中クラスになったあたりからグングンと成長。大きくなることを見越して1番大きいサイズを注文していた制服と体操服はすぐに小さくなってしまう。制服は特注サイズを改めて購入。これだけ大きくしておけば年長までもちますと言われていたが、アッという間にパンパンになってしまい、再度、特注サイズを作るほどの急成長だったという。

勇斗の祖父の重一さんは剛也を育てるにあたって「体重が重ければ重いほど打球が飛ぶ。動けるなら太っていても問題ない」との信念のもと、剛也にも「体重がないと打球は飛ばないぞ」と説き、食事は好きなだけ食べさせたという。

勇斗も小さいときから「よく食べたと思います」とにっこりと笑うが、そうした教えは授かってはいない。野球のことでも、父が口を出すことはあまりないという。

「たぶん他の家よりも少ないんじゃないかなと思います。たまに教えてもらうにしても難しいこととかではなくて、基本を教えてくれます。基本がしっかりできないとバッティングは良くならないですし、逆に基本ができていれば良い当たりが出る確率が上がってくるので」

チーム内のライバル

今もシーズン中はなかなか難しいものの、オフには練習や試合の応援にも駆けつけてくれるなど、父の温かい後押しも受けながら実力を伸ばしてきた勇斗。385人もの応募者の中から選ばれた16人のライオンズジュニアの一員として出場した「NPB12球団ジュニアトーナメント」では4番打者を任され、投手としてもマウンドに登った。みずからを研鑽するために、中学では「セタニシ」の呼び名でも知られる、名門の世田谷西シニアを選んだ。

「最初に体験練習で来たとき、すごく雰囲気が良かったことに加えて、とてもレベルが高かったので決めました。今も全員がライバルだと思って高い意識でやらないと抜かれてしまう。僕たちの代も、すごく良い選手がそろっていて、中でもシニア日本代表にも選ばれた東(修平)はバッティングではこのチームでもずば抜けていると思うので、一番身近な目標というか、刺激をもらっています」

その言葉は謙遜からではない。昨年のジャイアンツカップでは1歳上の先輩たちに交じってリリーフ登板の機会も得ていたが、バッティングは不調に陥っていたという。夏が終わり、自分たちの代のチームに戻っても調子は上向かず、レギュラー落ちも経験している。

「そのときはすごく苦しかったですし、このまま打てないまま終わっちゃうのかなと考えちゃうこともありました。ライオンズジュニアに入って、セタニシで試合に出られているので順調な歩みに見えるかもしれませんけど、 途中、途中では苦しかったときもありました」

その苦しみはプロ野球史に名を残す大砲の息子という宿命に起因するところもあった。

次回記事「重圧と向き合い「強豪シニア」の主砲に成長...中村剛也の長男・勇斗が描く、大きなアーチとプロ野球での夢」では、普通の中学球児は経験しなくて済む大きな重圧を、勇斗はどう受けて止めているのか。目指す頂きとともに、本人が率直な言葉で語る。

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