最も普及した3.5インチのフロッピーディスクはソニーが開発した(写真:H.Kuwagaki/PIXTA)

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左から8インチ、5.25インチ、3.5インチ(写真:George Chernilevsky)

1970年代に誕生し、パソコンのシステム(OS)起動ディスク、ソフトウェアの流通用メディア、データの受け渡しなど約50年、多様な目的で使われ続けた記録メディア、フロッピーディスク(FD)。この間、あらゆる記録メディアが登場しては消えていったが、なぜフロッピーディスクだけ長く使われ続けたのか。その謎に迫る。

河野大臣はフロッピーディスクを「アナログな手段」と述べ、そんなものを使っているからいつまで経っても業務の効率化が進まないとの持論を展開し、政府の業務を他の手段に置き換えてきた(参考リンク:脱フロッピー、月内にも デジタル相)。だが、考え方によっては、移り変わりの早いコンピューター分野で50年以上も使われ続けている、優れた記録メディアだと言うこともできるだろう。

現在も使われているフロッピーディスク

1987年に製造されたボーイング747-200型機は約20機がいまだ現役であり、主に貨物機として世界の空を飛んでいる。しかし、その大半では、ソフトウェアの更新がフロッピーディスクで行われているのだ(約20機にはアメリカ大統領専用機エアフォース・ワン2機が含まれるが、こちらはシステムが入れ替わっている可能性もある)。

工業の分野では、例えばコンピューター数値制御(CNC)式の加工機をはじめとする、多くの設備でフロッピーディスクが使われている。これらの機械は非常に高価で耐用年数が長く作られているため、企業は数十年間それらを使い続けることが多い。


(写真: H.Kuwagaki/PIXTA)

アメリカ・サンフランシスコの市営鉄道ミュニ・メトロ、その列車制御システムの一部に、また、ドイツ海軍はブランデンブルク級フリゲート艦F123の航行制御システムに、いまもフロッピーディスクを使用している。それらはいずれも2030年まで使い続けられる可能性があるという。

日本国内では、自治体や事業主が金融機関との間で行う口座振替手続きにおいて、情報の受け渡しにフロッピーディスクが使われているケースがまだ相当数あると考えられている。これについては、自治体や事業主側の事情によるものと、金融機関側の事情によるもの、両方のケースが存在するようだ。

誕生:IBMがフロッピーディスクを発明

フロッピーディスクと、それを読み書きする装置であるディスクドライブはIBMによって1971年に発売された。

IBMは、エンジニアのアラン・シュガートを責任者に据え、パンチカードや磁気テープよりも手軽にソフトウェアや更新用データを読み込ませられる記録システムを開発する「Progect Minnow(プロジェクト・ミノウ)」を立ち上げ、プロジェクトメンバーの1人が「メモリーディスク」と称するまったく新しい磁気ディスク装置を提案した。

メモリーディスクは8インチの柔らかい円盤に磁性体を塗布したもので、80kB(キロバイト)の記録容量があった。いまでは微々たる容量だが、これは当時使われていたパンチカードで言えば3000枚に相当する容量だ。ただ、ディスクにはホコリが付着しやすく、汚れやすいものだったため、チームはホコリを除去するための不織布を裏打ちした薄い樹脂製のスリーブにディスクを収めることにした。こうして開発されたのが最初の8インチフロッピーディスク(8インチFD)「IBM 23FD」になった。


フロッピーディスクに関するIBMの特許申請資料 (写真:USPTO)

8インチFDは、パンチカードなどに比べてデータの入出力が素早く簡単にできるメリットが評価され、多数のシステムで採用されるようになった。さらに1972年にはソフトウェアフォーマット方式を導入して、容量が400kB(フォーマット後は250kB)へと大きく向上した「IBM 33FD」が登場し、以後も1977年に登場した合計記憶容量1.6MB(メガバイト、フォーマット後は1.2MB)の「IBM 53FD」まで、段階的に改良が重ねられていった。

ちなみに、日本ではドクター中松こと中松義郎氏がフロッピーディスクを発明したと思っている人が多い。IBMは、ニューヨーク・タイムズの記事のなかで、フロッピーディスクはあくまで自社が発明したものだとし、中松氏といくつかの特許使用契約を結んだことはあるが、それはFDに関するものではないとしている(当時のIBMは新製品を市場投入する際、のちのち権利を主張され紛争になりそうな技術特許を調べ上げ、あらかじめ権利問題をクリアにしていたと言われおり、その一環として中松氏が所有する特許に関する使用契約も結んでいたと考えられる)。

したがって、IBMはアメリカだけでなく日本でも審査を経て、発案者としてフロッピーディスクおよびフロッピーディスクドライブ(FDD)の特許を取得している。この使用契約が逆に、中松氏が自身を発明者だと主張する根拠になったのかもしれない。

アップルが採用して身近に

企業で使われるようになった8インチFDは、当時マイクロコンピューター(マイコン)と呼ばれていた、個人向けコンピューターやワープロ用の記録メディアとするには、サイズ的に向いていなかった。

そこで、8インチFDの開発を主導したシュガートは、IBMを離れて自ら設立した会社Shugart Associates(シュガート・アソシエイツ)で、ディスクサイズを縮小した5.25インチFDを開発した。

1976年に発表された5.25インチFDと同FDDは、アップルコンピューターの共同創設者であるスティーブ・ジョブズの目に留まった。ジョブズは、1977年に発売されたパーソナルコンピューター「Apple II」に5.25インチFDを採用すべく、シュガートを何度も訪ね、安価に製造可能なドライブを作るよう頼み込んだ。そして、最終的にShugart Associatesから制御基板をはじめとする25個のコンポーネントで構成されたプロトタイプFDD、SA-390の提供を受けることとなった。

一方、もうひとりのアップル共同創設者、スティーブ・ウォズニアックは、当時のアップルCEO、マイク・マークラからディスクドライブシステムの設計をするよう依頼されて開発したディスクコントーラーをSA-390と組み合わせて、1978年に「Disk II」と名付けたフロッピーディスクシステムを開発・発売した。


5.25インチFDDはApple IIの売り上げを後押しした(写真:©Rama /Licensed under CC BY 4.0)

Apple IIと5.25インチFDDの組み合わせは、データ転送速度の遅いカセットテープを記録メディアとして使っていたユーザーの注目を集め、さらに表計算ソフト「VisiCalc(ビジカルク=エクセルの原型)」がビジネスマンを中心とする人々のニーズを捉えたことで、アップルの売り上げを大きく貢献した。こうして5.25インチFDは、ビジネス分野や家庭向け情報機器の記録メディアとして浸透していった。

普及した3.5インチFDはソニー製

FDの進化がさらに進んだ1976年、ソニーは当時新社長に就任した岩間和夫氏が「コンピューターのわからない会社は、90年代に生き残れない」との考えから、自社製コンピューターの開発を開始。1970年代末にはオフィスオートメーション(OA)分野、そしてマイクロコンピューター(MC)分野に向けたコンピューター関連機器を開発した。

そんな中、岩間氏は社内にシステム開発部を新設し「OA分野でのコンピューター機器」を開発するという目標を掲げた。そして、英文ワープロ製品のためのコンポーネントとして、それまで主流だった8インチおよび5.25インチFDを置き換える、さらにコンパクトな磁気ディスクの開発を開始した。

ソニーのエンジニアたちは、新しい磁気ディスクの仕様は3インチぐらいの大きさがいいと考え、さらに既存のフロッピーディスクでは一部磁気シート面が露出しているのを、シャッター機構で隠せるようにするため、ディスクを収めるスリーブを薄く硬いプラスチックケースに置き換えて設計した。

また、ディスクは小径化しても、記録容量は1MB以上とすることを目標に記録トラックを高密度化させた。その結果、記録および読み取りの正確性を確保するのが難しくなったが、ディスクの中心部にコインのような金属製のハブを取り付け、そこに回転用モーターの軸を固定する仕組みを採用して、ディスクの回転を安定させた。

こうした開発の結果、ソニーは1980年に3.5インチFDを発表し、これを搭載する英文ワープロシステム「シリーズ35」をアメリカ市場に投入した。

ところが、業界や市場では3.5インチFDのほうが注目を浴びることとなった。


(写真:Buntan2019/PIXTA)

ソニーはその後、アメリカでワープロ製品を継続して売るためには3.5インチFDのさらなる普及がカギになると考え、他社製品への採用を模索しはじめた。1982年には自社製パーソナルコンピューター「SMC-70」にもこの3.5インチFDを搭載して発売した。

状況が大きく動いたのは、ヒューレット・パッカード(HP)からこのディスクを採用したいという申し出が舞い込んだことだった。同年のうちにアメリカでは業界団体のマイクロフロッピー・スタンダード・コミッティ(MIC)が立ち上がり、ソニーはHPとともに3.5インチFDDの共同開発などを行いながら、ディスクの自動開閉シャッター機構など、細かい改良を加えた。

その結果、MICは3.5インチFD規格を全米規格協会(ANSI)に提案し、さらに1984年には国際標準化機構(ISO)によって国際規格としてのお墨付きも得た。アップルはこの年に発売したMacintochに3.5インチFDを採用し、さらにIBMもパソコン製品であるPC/ATにこれを採用。数多くのコンピューターメーカーが追随したことで、特にパーソナル製品向けの外部記録メディア大半が3.5インチFDという状況になっていった。


IBMも3.5インチFDDを搭載するラップトップ機を発売(写真:©Museo scienza tecnologia Milano /Licensed under CC BY 4.0)

極め付けは1995年、マイクロソフトがPC/AT互換機やNECのPC-98シリーズ向けに、GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース=マウスなどでカーソルを動かして使う操作系)を備えた画期的なOS、Windows 95を発売したことかもしれない。インターネット時代の到来とともに登場したWindows 95により、パーソナルコンピューターは一家に1台、オフィスでは1人1台という時代を迎え、人々がデータを受け渡すあらゆる場面で、フロッピーディスクが使われることとなった。

また、650MBという大容量の読み込み専用メディアであるCD-ROMも、Windows 95搭載パソコンとともに普及した。しかし、当時のPCは内蔵ハードディスクにWindowsなどのOSをインストールする際、最初にセットアッププログラムの起動ディスクとしてフロッピーディスクを使う必要があった。

1990年代の終わり頃になると、PCへOSをインストールする際の起動ディスクとして、CD-ROMが使えるようになり、PCにとってフロッピーディスクは必須のものではなくなった。また、この頃にはさまざまな大容量メディアが登場し、フロッピーディスクの需要は大きく減退。次第にメーカーはFDの生産から撤退するようになり、最後まで3.5インチFDを販売していたソニーも2011年に生産を打ち切った。

いまもフロッピーディスクを必要とすることがあるならば、それは使用するハードウェア側の事情によるケースがほとんどだと思われる。

主流になれなかった記録メディア


IomegaのZIP(写真:ZenGO/PIXTA)

3.5インチのFDの爆発的な普及に至るまで、さまざまな代替品の競争があったことも忘れてはならない。1980年代前半には、5.25インチフロッピーの代替を目指して2インチ、2.5インチ、3インチ、3.25インチといったさまざまな規格のフロッピーディスクが各社によって開発された。ただ、いずれも5.25インチのシェアを崩すことはできなかった。

ただ、ミツミ電機が開発したクイックディスクは、任天堂の大ヒットゲーム機、ファミリーコンピュータの周辺機器として発売されたディスクシステムに採用されたことで、ある程度の成功を収めたといえるかもしれない。このディスクは3.5インチFDによく似た、3×4インチサイズの外殻を持つ磁気ディスクだった。


ファミリーコンピュータ ディスクシステム(写真:任天堂)

また、3.5インチFDの登場後、さらに大容量化を目指した記録メディア、例えばIomega(アイオメガ)のZip(容量100 / 250MB)、SuperDisk(120 / 240MB)などが製品化されたが、いずれもCD-R / RWが登場した2000年前後に勢いを失い、市場から退出していった。日本では一時期、光磁気ディスクのMO(128MB〜2.3GB)なども普及したものの、やはり2000年代のうちに衰退した。

インターネット回線の高速化や、動画など大容量データを扱うサービスが増えていった結果、2024年現在は、物理的な記録メディアとしてはUSBメモリーや外付けのハードディスク・ソリッドステートドライブ(SSD)が店頭に並んでいる。またクラウドストレージサービスなども多くの人々が利用しており、フロッピーディスクを知らない若い世代も増えてきている。


知らない世代も増えてきたフロッピーディスク(写真:河野太郎 / X)

現在、新品の3.5インチFDは市場在庫のみとなっている。いまだにアマゾンなどの通販サイトで比較的安価に入手できるのが驚きだが、それでも、行政手続きなどの重要な業務に、10年以上も前に生産が終了した記録メディアを使い続けていたことは、やはり健全とは言えない状況だったというほかない。

フロッピーディスク戦争」に対し勝利宣言をした河野大臣は、別のレガシーな情報機器であるファクスをメールに切り替えるといった変更にも取り組んでいると、デジタル庁の会見で述べている。

(タニグチ ムネノリ : ウェブライター)