なぜ?教科書ではもう享保・寛政・天保の改革を「三大改革」とは教えていない!見方が変わった江戸の政治史

写真拡大 (全5枚)

「三大改革」だけじゃない

十代の頃に学校で学んだ日本史の内容として、「江戸時代の三大改革」を記憶している人も多いでしょう。

この三大改革と呼ばれた事柄は、かつては中学校の教科書には必ず載っていたものです。また高校入試などでも同様の表現で入試でも必ず出題されていました。改めてその三つを振り返ってみると、

将軍・徳川吉宗の享保の改革
老中・松平定信の寛政の改革
老中・水野忠邦の天保の改革

の三つとなります。

寿司禁止!贅沢を許さない厳しすぎた「天保の改革」とは?現代の寿司との違いも紹介

徳川吉宗像

ところが現代の教科書では、これらを「三大改革」としては説明していません。

その理由の一つは、江戸時代の改革政治をことさら強調して「三大」としてしまうと、他の改革を「その他の小さい改革」と理解させてしまうからです。そうなると、江戸時代の政治史の印象を誤らせかねません。

ですから、享保の改革・寛政の改革・天保の改革だけをことさら強調はせず、高校の教科書では「三大改革」に限らず他の改革も大きく扱っています。

例えば家綱の改革、綱吉の改革、正徳の治、享保の改革、田沼意次の政治、寛政の改革、天保の改革、文久の改革、安政の改革などです。

改革ではなく「反動」「恐怖政治」だった?

さらにもう一つ、大切な視点があります。そもそも三大改革は「改革」と呼ぶにふさわしいものだったのか、ということです。

「改革」というと、いかにも良いことをしたような印象を受けますね。それは前時代の因習や旧態依然とした体制の否定であり、次の時代にふさわしい新しい革新であるというイメージが誰でも頭に浮かぶでしょう。

しかし、三大改革と呼ばれた享保の改革・寛政の改革・天保の改革の三つは、崩れようとする幕府の体制の「ひきしめ」という要素が次第に強くあらわれるようになり、進行している貨幣経済、前期資本主義の動向に逆行しようとする政策も含まれていました。

その観点で見ると、この三大改革は改革というより「三大反動」というべき部分が多くあります。

浜松城。天保の改革を行った水野忠邦は、浜松城の城主も務めている

また、さらに見逃せないのは、寛政の改革と天保の改革では、明らかな思想・言論の弾圧なども見られたという点です。恐怖政治の一面もあったと言えるでしょう。

そして天保の改革は、水野忠邦の改革一つをさすものではなく、同時期に行われた諸藩による制度改革も含めた総称という認識に変わりつつあります。

学習内容も変わった

こうした内容を踏まえて、教科書における「三大改革」の単元配列も大きく変わりました。

かつては、「三大改革」として享保・寛政・天保の改革は「幕府政治の改革」という単元内で同時に説明していたものです。

しかし現在では、

幕府政治の改革……享保の改革・寛政の改革
ゆらぐ幕府の支配……天保の改革・諸藩の改革

というように、分割して説明されるようになったのです。

松平定信の墓(江東区霊巌寺)

改革が必ずしも良いこととは限らないという考え方や、「江戸」に限定しない日本全域における統治体制の変革期という視点が入り込んできたことによって、歴史に対する解像度は格段に上がりました。それにあわせて、教科書の内容もまた革新されているのです。

参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社