池上季実子、女優としての絶頂期に経験した大事故。馬車から空中に投げ出され…石畳に全身を強打「ずっと後遺症に苦しめられて」
1983年に公開された映画『陽暉楼』(五社英雄監督)で第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、1988年に公開された映画『華の乱』(深作欣二監督)で第12回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞し、妖艶な美貌と確かな演技力を兼ね備えた実力派女優として知られている池上季実子さん。
『名奉行遠山の金さん』シリーズ(テレビ朝日系)、『不倫調査員・片山由美』シリーズ(テレビ東京系)をはじめ2時間ドラマの主演作も多く、数々の映画、ドラマ、舞台、CMに出演。
2024年5月に舞台『後鳥羽伝説殺人事件』の公演を終えたばかり。現在、初の老け役に挑んだ映画『風の奏の君へ』(大谷健太郎監督)が公開中。
◆“マスコミ”と“結婚”
15歳で女優デビューしたときから大人びた美貌と色っぽさが注目を集め、早くから“恋多き女”と称されてきた池上さん。『陽暉楼』の宣伝アピールもあり、1カ月で13人もの男性と噂になり、『陽暉楼』公開後、半年間のストライキも敢行した。
「それまでは、私は1日でも休みになるとすごく機嫌が悪かったんです。マネジャーに『季実子ちゃん、3日後にこの撮影があるから』って言われると『3日後?その前は何でこことここ空いているの?』っていう感じで。『少し休みなさい』と言われても『いやだ』というぐらいお芝居をしていたかったから。でも、『陽暉楼』公開後は本当に頭に来て『もう仕事しない!』って半年間ストライキしました(笑)」
『陽暉楼』で注目を集めていた時期だったが、マスコミに書き立てられることもなく半年間休業した池上さんは、1984年に公開の映画『化粧』(池広一夫監督)で女優業を再開。1985年に結婚した。
度重なる虚偽の熱愛記事でマスコミ不信になっていたため、結婚式も挙げず結婚も発表せず、写真も撮らなかったという。後に映画『危険な女たち』(野村芳太郎監督)の撮影中に妊娠していることがわかり、仕方なく記者会見で発表したと話す。
「あのときは本当に頭に来ていましたからね。『他人に勝手に人格を変えられたり、私生活を勝手に変えられて書かれるなら自分で人生変えてやる!絶対にマスコミにバレないように結婚してやる!』と思って結婚しちゃったんですから、あれがなかったら結婚してなかったかもしれないですね(笑)」
同年に長女を出産後、2月に舞台、そしてテレビでは『男女7人夏物語』(TBS系)で復帰。このドラマは、7人の男女(明石家さんま、奥田瑛二、片岡鶴太郎、大竹しのぶ、賀来千香子、小川みどり、池上季実子)のひと夏の出会いと別れを描いたもの。豪華なキャストが繰り広げるリアルな恋愛描写が話題を集めた。
「以前はお休みがいやだったので、何本も掛け持ちして撮影したりしていましたけど、『男女7人夏物語』は、出産後初めての連ドラだったので掛け持ちはせずに集中していました。
さんまさんと鶴太郎さんは、レギュラー番組の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)もあったので、2人がいないシーンをその間に撮っていました。朝は7時から緑山スタジオ(横浜)に入り、日付が変わってから自宅に戻り、また朝7時に緑山入りするという繰り返し。連日寝不足でしたけど、とても楽しかった。
さんまさんとしのぶさんは来られなかったけど、六本木で待ち合わせてよく5人でご飯も食べに行きました。途中からは鶴太郎さんの奥さん(当時)も加わって。奥さんも豪快で楽しい人なの。私もよく知っているのに、鶴太郎さんとも虚偽の熱愛記事を書かれてしまって本当にあきれました」
◆海外ロケで命を落としかねない大事故
1987年5月、池上さんはテレビの旅番組の撮影で訪れたカナダで、撮影最終日に乗車した観光馬車の馬が暴走し、車に衝突する事故に遭遇してしまう。
「旅番組のリポーターでカナダに行ったのですが、石畳の道路を走る観光用の馬車に乗ることになって。でも、それが屋根のない荷車のような木製の華奢(きゃしゃ)な馬車だったから、うちのマネジャーが『危ないから、この馬車には乗せないでください』って言ったら監督も了承したんです。
それで安心してマネジャーがスケジュール調整のために国際電話をかけにホテルに一旦戻ったら、監督が『俺が責任を持つから馬車に乗って』って言って。
女優にとって監督は逆らえない存在なので、もう一人のリポーターの女優さんとカメラマンと馬車に乗ったら、それまでおとなしかった馬がいきなり立ち上がり、ものすごいスピードで暴走して車に激突して…。私の記憶は一旦そこで途切れてしまって、次に気がついたときには空中に投げ出されていました」
石畳に右側から叩きつけられた池上さんのからだは一旦跳ね上がり、今度は左側を下にして落下、さらにもう一度バウンドして左側から落ちたという。全身を強打したが、搬送された病院での診断は“異常なし”。全身に激痛が走り、歩くこともままならなかったが、帰国してすぐにドラマの撮影に入ることに。
「1週間くらいは、からだを動かすのも大変でしたが、撮影に穴をあけるわけにはいかないので、移動のときにはスタッフに抱き上げてもらったりしてやっていました。結局カナダロケの番組はお蔵入り。企画した制作会社はドロンしちゃって、事故のことはテレビ局にも報告されなかったので補償は一切なし。その後、ずっと苦しめられている後遺症の治療費も全部自前です」
帰国して1週間くらいで痛みがひいたことで安心した池上さんは、病院に行きそびれ、撮影と子育てに追われる日々を送ることに。事故の翌年に離婚。シングルマザーとなり、公私ともにさらに多忙になった池上さんに事故の後遺症が表われる。
池上さんは、1988年に公開された映画『華の乱』(深作欣二監督)に出演し、第7回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した。この映画は、大正時代、愛に芸術に社会運動に情熱を燃やした人々の姿を描いたもの。主人公は吉永小百合さん演じる与謝野晶子。池上さんは、晶子がひそかに思いを寄せる作家・有島武郎(松田優作)と心中する美人雑誌記者・波多野秋子を演じた。
「『華の乱』の撮影中のある朝、目が覚めたら首がまったく動かなくなっていて、ガチガチに固まった感じだったんです。病院で精密検査を受けたら『首の骨が一対一対全部ずれて固まって神経を圧迫している。交通事故とか相当な外力が加わらなかったら、こんなことにはならない』と言われたので、カナダの事故が原因だとわかりました」
――撮影はそのまま続けられたのですか?
「先生には即入院して、最低でも4カ月間、首にギプスをして安静にしているようにと言われて、目の前が真っ暗になりました。撮影の真っ最中なので入院するわけにもいかず、(スタッフから)専門の治療院を紹介していただいて、2日間で何とか首が少し動かせるようになって撮影に復帰しました」
――松田優作さんとはどのように?
「私の首がおかしくなって、首が動かない状態で現場に行っていたら、優作さんが『おはよう、季実子』って私の車のところに来てくれたのですが、優作さんは背が高いから顔が上になるじゃないですか。
でも、私は首が動かなくて顔を見上げられないから『どうしたんだ?』って心配してくださって。事故の後遺症で首が動かないことを話したら『作さん(深作欣二監督)に言って来てやろう』って、作さんを呼びに行ってくれたんですよ。
それで、作さんに『季実くん、どうした?何とか3カットだけ我慢してくれ』って言われたのですが、その3カットというのが、優作さんの運転するバイクに付けたサイドカーに私がゴーグルをして乗って、ガタガタの山道を走るシーンだったんです。
劇中では『キャー、キャー』って言って喜んでいるんですけど、実際にはもう地獄。ものすごく痛くて本当の悲鳴みたいな感じでした」
――優作さんはとても優しかったそうですね。
「優しかったです。まだ私の首がおかしくなる前ですけど、私が優作さんに首を絞められて心中するシーンの撮影のときに、両手の4本の指で私の首の後ろをしっかりと支えて親指で首を締める動きをしてくれて。
通常は両手で首を力いっぱい握って上下左右に揺するから首に負担がかかってダメージがすごいんですよ。でも、優作さんのやり方だと、私の頭は大げさに揺れていても、がっちり指で支えてくれているからほとんど首に負担がかからないんです。気さくで優しくて本当にステキな方でした。
またぜひ共演させていただきたいと思っていたのですが、『華の乱』が公開された翌年に病気で亡くなられてしまいました」
――事故の後遺症はどのような状態ですか?
「骨がうずくような痛みが出たり、むくみに悩まされたりしています。ひどいときは、午前中に着た衣装が午後になると入らないということもあるので、(専属の)スタイリストさんが、同じワンピースとかブーツをサイズ違いで用意してくださったりして助けていただいています」
さまざまな治療を受けながら第一線で活躍し続け、映画『極道の妻たち リベンジ』(関本郁夫監督)、『科捜研の女 第15シリーズ』(テレビ朝日系)、舞台『CHICACO 2024 Episode2』など多くの映画、ドラマ、舞台に出演。
次回は2022年に罹患して現在も後遺症を抱えている新型コロナ感染、公開中の映画『風の奏の君へ』の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
メイク:大野志穂
スタイリスト:森本美砂子