柏木陽介が選ぶ「好きなFW」ベスト5

 サンフレッチェ広島を皮切り、浦和レッズ、FC岐阜でプレーし、昨シーズンかぎりで18年のキャリアに幕を下ろした柏木陽介氏。現在は最後のクラブとなった岐阜のアンバサダーを務めるかたわら、岐阜県の魅力を発信する活動を精力的に行なっている。

 現役時代は「名パサー」として鳴らした柏木氏が、プレーしやすかったFWとは誰か──。阿吽(あうん)の呼吸で多くのゴールを生み出したストライカー5人をピックアップしてもらった。

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名パサー柏木陽介氏が選んだFWベスト5は? photo by Kondo Atsushi

── 広島、浦和、岐阜、そして日本代表でも活躍した柏木さんですが、現役時代に一緒にプレーしてやりやすかったFWはどういった選手でしたか。

「実はそんなにたくさんのFWとやっていないんですが、やっぱりプロになって最初にインパクトを受けたのは佐藤寿人さんですね。 寿人さんは動き出しが速いので、こっちが追いつかない。でも、寿人さんはとにかく『俺を見続けて、出してくれ』という要求がすごかった。だから多少無理な状況でも、パスを出すようにはしていました」

── パスを出さないと怒られるようなこともありましたか。

「怒られることはなかったですけど、動き出しをしっかりと見て、出しさえすれば、たとえそれが通らなくても『ありがとう』と言ってくれる。そういう反応をくれるので、こっちも出すようになるんですよ」

── 寿人さんにはどういうパスを出すように心がけていたんですか。

「寿人さんは足もとで受けるのがそんなに好きじゃないというか、常にゴールを狙っている人なので、ゴールに直結するようなパスを意識していました。

 ただ、あのゴールハンターの動き出しに合わせるのは、かなりハードルが高い。逆に言えば、あの人に合わせるプレーをしていたからこそ、自分のパスセンスは磨かれたし、ほかの選手に合わせることもできるようになったと思います。あと、寿人さんがすごいのは、ふだんから出し手との関係性を大事にしていたことですね」

【普通の人では届かないようなパスも出した】

── 具体的に言うと?

「ピッチ上だけではなく、日常から僕とコミュニケーションを取ろうという気持ちがあったと思うので、よくご飯に連れていってくれましたし、グアムでの自主トレにもタダで連れて行ってくれたりとか。そういうことをしてくれると、出し手側はもっといいパスを出したいという欲が高まってくるんですよ。

 そういう部分も含め、いろんなことを教えてくれた人なので、寿人さんがいなければその後のキャリアをうまく築けなかったかもしれない。パサーとしての原点を叩き込んでくれた恩人ですね」

── ふたり目は誰になりますか?

「誰もが絶対に挙げるだろうと思っているでしょうけど、興梠慎三です。彼も動き出しがすごいし、技術もあるし、もちろん一瞬のスピードもあるんですけど、一番すごいのはこっちが蹴れる体勢の時に動いてくれること。そこまで待ってから動いてくれるから、やりやすかったですね」

── そういうタイプはあまりいない?

「いないと思いますよ。どちらかというと、自分のタイミングで動き出すFWが多いから。さっき言ったように、寿人さんはまさにそういうタイプ。

 それによって鍛えられたし、いろんなパスを出せるようにはなったんですけど、慎三の場合は僕が持ったら動く準備をしていて、出せるタイミングになった瞬間に、一気に動き出す。もちろん、ほかの人が持った時も動いているけど、僕が持った時は必ず動き出すっていう意識がたぶんあったんじゃないかなと思います」

── 興梠選手にはどういうパスを意識していましたか。

「慎三だからこそ出せるパスっていうのがありましたね。普通の人では届かないようなパスでも、慎三ならいけるやろって感じで出したパスも多いですから(笑)。

 なんというか、慎三の動きに導かれる感じですね。『俺だったら間に合うぞ』って言われているような感覚です。それによって自分もいろいろと引き出されたところもあったと思います」

【ゴリゴリ系だけど、意外にテクニックもある】

── その阿吽の呼吸はどのように生まれたのでしょう?

「もちろん、練習のなかで狙い続けたっていうのはありますね。周りから狙いすぎだろって言われても、狙っていましたから(笑)。武藤(雄樹)とかチュンくん(李忠成)とか、ほかにもFWはいましたけど、『慎三ばっかり見てるよね』って言われちゃうくらい。

 でもやっぱり、こっちが出せる時に動き出してくれるから、どうしても見ちゃいますし、一番点になりやすいところに動いてくれるから、当然そっちに出す回数は増えますよね。たぶん僕のアシストで一番多いのは、慎三だと思います」

── なかでも印象的なアシストはありますか。

「2018年の神戸戦(J1第27節/9月23日/埼玉スタジアム)のアシストですね。僕がエリアの外でボールを受けて、顔を上げた瞬間に慎三が背後に飛び出して。ほとんどスペースがないところに、これ以上弱くても、強くてもダメだっていう絶妙なパスを出して、慎三がギリギリのところで触って決めたんです。

 あの時は完全にふたりのイメージが一致していたと思うし、慎三じゃなかったら合わせられなかったと思う。それくらい難易度の高いゴールでしたね」

── 3人目のストライカーはどなたでしょう?

「岡ちゃん(岡崎慎司)ですね。岡ちゃんは五輪代表と日本代表でも少し一緒にやりましたけど、彼は動き出しもするし、足もとでも受けられる。守備もひたすらがんばってくれるので、とにかく万能なストライカーでしたね。チームにひとりいたら本当に助かる選手だと思います」

── 泥臭くゴールを陥れるイメージですが。

「たしかに"ゴリゴリ系"ではあるんですけど、意外にテクニックもある。それにゴールゲッターだけど自己中心的じゃなく、常に周りのことを見ていて、チームのために献身的に戦える選手というイメージが強いですね」

── 寿人さんとも、興梠選手とも異なるタイプですか。

「ちょっと違いますね。寿人さんや慎三はラインのギリギリのところで駆け引きして、一瞬の動き出しや消える動きで勝負を決めるタイプですけど、岡ちゃんの場合は常に動きながらスペースを狙っていて、ここぞという時にグググッと出てくる感じ。

【心に響いた『もっと思いきってやっていい】

 もちろんゴール前で待っていることもあるけど、動きながら自分の出ていくスペースを作って、スプリントで入ってくる。けっこう長い距離でもスピードを落とさずスプリントできるのは、本当にすごいこと。しかも、一切の迷いなくこっちを信じて走ってくれるから、出し手の立場からするとありがたいですよね。あれはもう感覚なのか、野生の本能なのか(笑)」

── 覚えているアシストはありますか?

「キリンカップのブルガリア戦(2016年6月3日/豊田スタジアム)のアシストは覚えていますよ。僕のクロスを岡ちゃんが頭で合わせたんですが、エリアの角のところでひとりかわして顔を置上げた瞬間、岡ちゃんの動きが見えました。DFの死角から斜めに入ってくる動きはまさに岡ちゃんの真骨頂でしたね」

── 続いてまいりましょう。4人目のストライカーを教えてください。

「寿人さんと同じく、僕のデビュー当時に鍛えてくれたウェズレイです。寿人さんとウェズレイの2トップの下で、僕はプレーしていましたから。

 このふたりには、本当にいろんなことを教わりましたね。ウェズレイはシュート練習も付き合ってくれたし、当時はまだ僕がクルマの免許を持っていなかったから、練習場まで送ってくれたりしたのも印象に残っています」

── 一見怖そうですけど、優しいんですね。

「本当に優しいんですよ。安心感があったし、車のなかでもいろいろとアドバイスしてくれたり」

── どういうことを言ってくれたんですか。

「一番響いたのは、『もっと思いきってやっていいよ』と言ってくれたことですね。僕のなかでは思いきってやっていたつもりだったけど、試合中は気を遣わなくていいからって。もっと感情を出していいし、怒ったとしても問題ない。それは試合中の感情だから、そんなことはいちいち気にしなくていいみたいなことを言ってくれて。

 まだまだその頃って上下関係があったから、『先輩=怖い』みたいな時代だったわけですよ。そのなかであんなに実績のある選手がそういうことを言ってくれたのは、高校を卒業したばかりの僕にとって、本当にありがたかったですよ」

【もうちょっと一緒にやりたかった】

── プレーに関してはどうですか?

「キープ力がすごいので、困ったら簡単に預けられるし、基本的にはあまり距離を走るタイプではなかったけど、一瞬の動きは速かった。でもやっぱり、一番すごかったのはシュート力。威力も精度も高かったし、巻くボールもうまいから、いろんな種類のキックを蹴れましたよね。

 強靭さが際立っていますけど、実はプレーが優しいんですよ。強さだけでなく柔らかさもあったから、あれだけ長く日本でプレーできたし、たくさん点も取れたんだと思います。たしかJ1で100点以上取ってますよね(※歴代9位の124得点)」

── 寿人さんとウェズレイの2トップは、強烈でしたよね。ふたりとも1シーズンで15得点以上決めていましたから。

「どちらかというと、先に寿人さんが動いて、ウェズレイは寿人さんの動きを見てどうするか考えているんですよね。2トップの関係性っていうものは、あのふたりの動きを見て学びました。この場面ではどっちを選択しようかとか、こっちがこう動いたから、あっちが空くなとか。だから寿人さんもそうだけど、ウェズレイにもパサーとしての能力を引き出してもらったと思っています」

── では、最後のひとりはどなたでしょうか。

「迷いましたけど、田中達也さんです。達也さんはドリブラーのイメージが強いですけど、動き出しもうまかった。浦和で一緒にプレーした期間はそんなに長くないですけど、やりやすい選手だったし、もうちょっと一緒にやりたかったっていう意味も含めて、5人目に名前をあげさせてもらいました」

── 一緒にプレーしたのは浦和時代の3年ほど(2010年〜2012年)ですよね。

「そうですね。しかも達也さんはケガが多かったので、なかなか一緒にプレーする機会はなかったんですよ。でも、練習中から常にコミュニケーションを取っていて、フィーリングもすごく合う選手でした。お互いに要求し合える、いい関係性を築けていましたね」

【だから浦和ファンから愛され続けた】

── 田中達也さんならではのFWのすごみとは?

「達也さんもどちらかと言うと、岡ちゃんに近いタイプかな。グググッと出ていく感じが。一瞬のスピードもあるんですけど、狙って、狙って、ここぞというところで出てくる感じですね。今はこういう状況だから、こう来るだろうなっていう想定の下で動き出していると思うんですよ。そこは岡ちゃんとは少し違うかなと。予測力が高いんでしょうね」

── ふだんから仲がよかったんですよね。

「そうですね。あの人はとにかく向上心が強いので、勉強熱心でしたね。もともとはドリブラーでしたけど、動き出しのところはかなり勉強したと言っていました。熱い男ですけど、実はすごく繊細な方。そういう人だからこそ、浦和ファンから愛され続けたんだと思います」

── この5人に共通点があるとしたら、どういったところでしょうか。

「やっぱり、5人ともパスを出したいって思わせてくれる選手だったということ。信頼関係とか、お互いのリスペクトが強ければ強いほどそうなるなっていうのは、今話しながらあらためて感じたことです。いいパスを出せば、それに応えてくれる。出し手を気持ちよくさせてくれる選手っていうのは、やっぱり一緒にプレーしていて楽しいですよ」

(MF編につづく)

◆柏木陽介「脱帽したMF」ベスト5>>「この5人で中盤を組んだら、僕が興奮する(笑)」(6月7日配信)


【profile】
柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日生まれ、兵庫県神戸市出身。2006年、サンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。プロ1年目からレギュラーとしてプレーし、翌年のU−20W杯では10番を背負って「調子乗り世代」の主軸として活躍する。2009年に浦和レッズに移籍し、2010年には日本代表デビューも果たす。2021年よりFC岐阜でプレーしたのち、2023年に現役引退。国際Aマッチ出場11試合0得点。ポジション=MF。身長176cm、体重73kg。