大谷翔平の巨大壁画を描いたバルガス氏が語る、ロサンゼルスの「偉大なヒーロー」の条件
リトル東京にある都ホテルに描かれた大谷翔平の壁画像 photo by Okuda Hideki
メキシコ系アメリカ人のロバート・バルガスは、ロサンゼルスを代表するアーティストだ。ロサンゼルス市は先月、5月17日を"大谷翔平の日"と定めたが、2021年には9月8日を"ロバート・バルガスの日"としたほど、世界的に著名な壁画家で、ロサンゼルスのダウンタウンや有名なサンセット通りなどに多数の壁画を描き、同市のアートシーンの活性化に多大な貢献をしている。
2013年に完成したダウンタウンにある「Our Lady of DTLA」は、美しい女性の肖像画で、歩いていると彼女の視線が追っているように感じられ、話題になった。DTLAとは「ダウンタウン・ロサンゼルス(Down Town Los Angeles)」のことだ。ほかにもダウンタウンの観光地パーシングスクエアの向かいにある14階建てのビルに描いた巨大な壁画「エンジェラス」はロサンゼルスの歴史をテーマにした作品で、ひとりで描いたものとしては世界最大の壁画とギネスブックに認定された。2021年、サンセット通りに描いたハードロック・バンドの「ヴァン・ヘイレン」の作品も人気を集めている。
テーマは壁画を通して異なる文化をつなぐこと、そしてコミュニティに奉仕すること。そんなバルガス氏は、なぜ大谷の壁画を描こうと思いついたのか? 制作途中で水原一平氏のスキャンダルが判明し、一部で大谷の関与も疑われたが、バルガス氏はどう考えていたのか。現地でインタビューした。
LAダウンタウンのスプリング通り沿のビルに描かれた「Our Lady of DTLA」 photo Okuda Hideki
──大谷の壁画を描きたいと思いついたきっかけは?
「今、住んでいるのはロサンゼルスのダウンタウンで、リトル東京にも週3〜4回は訪れます。自分にとってはホームのようなもの。都ホテルの巨大な壁面は以前から気になっていたんだけど、そこに大谷のドジャース入団が決まって、アイデアをホテルに持ち込みました」
──ロサンゼルスにいると街のあちこちで壁画を見ます。マリリン・モンローなどハリウッドの映画スターの壁画が有名ですが、大谷もその仲間入りをしたということでしょうか。
「ロサンゼルスは確かに壁画が多く、壁画文化で世界の首都と言いきれると、私は思います。ハリウッドのスターをはじめ、ここの人たちはヒーローが好きだ。しかしながら大谷についてはただ有名で、人気があるからというのではない。
実はロサンゼルスには元レイカーズ(NBA)のコービー・ブライアントの壁画があちこちにたくさんある。なぜなら彼は、人々の心のなかのヒーローだからだ。ゲームに向かう姿勢、人生に対する態度、高潔性、そしてとても勤勉であったこと。ロサンゼルスには働く人が多いから、そういう人たちの手本となり、尊敬されていた。だから壁画として残っているが、私は、大谷もそういう存在になると思っています。
ロサンゼルスの人は、才能のある人を愛する。しかしその才能は一夜で手に入れたものではありません。長年にわたる努力、自己犠牲があって勝ち得たもの。そして野球というアメリカが生んだゲームを正しくプレーをしている。みんなが感謝しているし手本にしたいと考えているんです」
──なぜ、リトル東京で描いたのですか?
「私にとって、(大谷の壁画を描く)場所はリトル東京でなければならなかった。この場所には日系人の長い歴史がある。私のバックグラウンドであるメキシコ系アメリカ人とも関係が深い。そこに大谷翔平というロサンゼルスの人々の心をひとつにするヒーローが現れた。大谷と共に日系の人たちの歴史と築き上げてきた文化を祝福したいと思ったんだ。世界中から多様な人たちが集まるロサンゼルスの文化的な懸け橋になり得る存在です。
私はエンゼルス時代の大谷をアナハイムで描きたいとは思わなかった。アナハイムにも日系の人がいないわけではないが、アナハイムにはリトル東京はないからね」
【LAは王者の街、だからこそ──】
幼少期はバレンズエラがヒーローだったバルガス氏 photo by Okuda Hideki
──ロサンゼルス近郊のボイルハイツで生まれ育ったとのことですが、子どもの頃のスポーツヒーローは?
「フェルナンド・バレンズエラ(*1)が、ヒーローでした。私はドジャースの歴史の中には超越的な人物が3人いると思っています。ジャッキー・ロビンソン(*2)、バレンズエラ、そして大谷だ。今、ドジャースタジアムに行くと、たくさんのメキシコ系、日系のファンがいる。ドジャースタジアムは世界中の人を包み込む包括的な場所に発展し、多様な文化を包み込んでいるんだ。
ただ、50年前はそうではなかった。バレンズエラによってメキシコ系の人たちが、大谷によって日本人のファンが増えた。今、壁画を見てから球場に行き、あるいは球場に行ってから壁画を見る、そんな流れができ上がっている」
*1/メキシコ出身の左腕投手。1980年にドジャースでメジャーデビューし、81年にはサイ・ヤング賞と新人王をダブル受賞しワールドシリーズ制覇の原動力に。10年間の在籍期間で162勝を挙げ、ヒスパニック系アメリカ人の英雄的存在である。
*2/1900年以降のメジャーリーグで、初めてのアフリカ系アメリカ人の選手。走攻守揃った万能選手としてニグロリーグやマイナーリーグでの活躍したのち1947年4月にドジャースでデビューを果たし、新人王を獲得。その後アフリカ系アメリカ人の選手に道を開いた。
──壁画は3月8日に制作が始まって、3月28日の地元開幕戦の前日に除幕式が行なわれました。しかし、その途中で水原一平元通訳のスキャンダルがあり、大谷自身も関与を疑われる事態になりました。
「制作し始めた頃は、通りがかりの人が"大谷を描くのはいいね"と激励してくれていたのに、事件のニュースが出ると変わった。『描くに値するの?』、『あなたも気持ちが変わったんじゃないの?』、『(描くこと)やめたいんじゃないの?』とかね。でも私のなかで、やめるということは、絶対になかった。100%、大谷を信じていたからね。心配だったのは、除幕式の日に人々が集まらないのではないかということだったけど、ドジャースファンは大谷をサポートした。ビデオを見ればわかるが、1000人近くの人たちが集まってくれたんだ」
──今季、ドジャースタジアムで試合を見ましたか。
「4月12日のサンディエゴ・パドレス戦で、ネット裏で俳優のエドワード・ジェームズ・オルモス(『ブレードランナー』など多くの映画に出演)と一緒に見たよ。大谷はホームランを打ったね。
彼のような才能を持つ選手は、ドジャースに入ったことで次のレベルに行ける。ほかのチームとは違うんだ。NBAにたとえると、正直、レイカーズと(同じロサンゼルスの)クリッパーズくらいの違いがある」
──大谷は、今季は打者として大活躍をしています。ロサンゼルスの偉大なヒーローの仲間入りを果たしたと言えますか。
「まだ、その過程だ。ロサンゼルスはチャンピオンの町だ。優れたスポーツ選手はたくさんこの街にやって来たが、偉大なヒーローと呼ぶに値するのは、チャンピオンシップをもたらした選手だけだ。それによって人々の記憶に残る。コービー・ブライアントは3連覇したからね。大谷は勝たなければならない。3、4回は勝たないといけないね」
LAにはコービー・ブライアントの壁画が随所に数多くある photo Okuda Hideki
このインタビューのあと、5月17日が大谷翔平の日となるニュースが報道され、バルガス氏はその日が大谷のお父さんの誕生日でもあると知った。
「実は私が9月8日を自分の日に選んだのは父の誕生日だったからなんだ。偶然の一致に驚いたよ」
今年の9月8日、ドジャースは本拠地でクリーブランド・ガーディアンズ戦の予定だが、バルガス氏に始球式を務めてくれるよう打診、本人も快諾している。「まだ大谷とは直接会ったことがないから、楽しみだね」と言う。
バルガス氏は世界各地でアート活動を展開しているが、特に日本がお気に入りの地でもある。
「今、京都で町屋の購入を考えているんだ。そこも仕事場のひとつに加え、年に2回、1カ月ずつ滞在をして、京都でも腰を据えて創作活動をしたいね」
過去に札幌、東京、名古屋、大阪なども訪れてきたが、ロサンゼルスと京都を拠点にこれからも精力的な創作活動を続けていく。
バルガス氏は京都での創作活動にも力を入れている 写真/本人提供