谷口彰悟が目の当たりにした大久保嘉人のすごさ「DFよりも先にボールに触れるのには、明確な理由があった」
【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第18回>
◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第17回>>「チームメイトの意識はホリデーに気持ちが向いていた」」
2014年から川崎フロンターレでプレーすることになった谷口彰悟は、プロの高いレベルをチームメイトから学ぶことになる。日々の練習から肌で実感したなかでも、特に衝撃を受けたひとりが9歳年上の大久保嘉人だ。
出会った当時の大久保は31歳。日本代表も海外クラブも経験し、2013年から3年連続J1リーグ得点王に輝くなど、まさにストライカーとして脂の乗りきった時期。当時22歳の谷口は、フロンターレを牽引する"エース"から何を学んだのか。
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大久保嘉人(右)とは3シーズン半ともにプレーした photo by AFLO
パリ五輪への出場権をかけたAFC U-23アジアカップがカタールで開催されていたこともあり、大会前にはU-23日本代表を激励する機会に恵まれた。※谷口は現在カタールリーグのアル・ラーヤンSCでプレーしている
個人的には挨拶だけのつもりで顔を出したが、日本代表のスタッフから、年齢の若い選手たちに響く言葉があるはずだからと背中を押されて、おこがましくもみんなの前で話をさせてもらった。
大会では何が起こるかわからないこと、そのうえで、大会では出場機会を得られる選手、得られない選手が出てくること、だからこそ常に準備をし続ける大切さについて伝えた。
それは2022年のカタールワールドカップや先のAFCアジアカップで、自分が感じた経験でもあった。内容としては当たり前のことを言っただけにすぎないが、選手たちはそれぞれ何かを感じ取ってくれた表情をしていた。その目を見て、話をする機会を設けてもらえてよかったと実感した。
その場では、ほんのわずかな時間ではあったが、川崎フロンターレ時代の後輩である高井幸大と話す機会もあった。
会話としては、「調子はどう?」と聞くと、「調子はめっちゃいいです。いけます」といった、たわいもない雑談をしたくらい。でも、その返答から、あいかわらずの幸大の面白さと、大舞台にも物怖じしない性格に、大会での活躍を想起させてくれた。
【絶対的な理論を本能的に掴んでいた】自分の練習や試合の都合で、実際にスタジアムで彼らが戦う姿を見たのは、グループステージ初戦の中国戦と、2戦目のUAE戦だけに限られたが、幸大は発言どおりのパフォーマンスを見せていた。球際の厳しさ、ボールを前に持ち運ぶプレーも含め、大会が始まった初戦と優勝した決勝戦のプレーを比べても、成長している様を感じ取った。
パリ五輪への出場を勝ち獲っただけでなく、大会で優勝したU-23日本代表の選手たちには心から「おめでとう」という言葉をかけたい。同時に、彼らの成長スピードを目の当たりにして、自分自身も強い刺激を受けた。
そして、自分も多くの人たちと出会い、学び、吸収してきたことで成長し、今日の自分が形成されていることを思い出した。
振り返ると、川崎フロンターレに加入したプロ1年目の2014年に、ストライカーとしてチームを牽引していたのが大久保嘉人さんだった。
2021年をもって現役を退くまで、J1リーグ歴代1位の191得点を記録した嘉人さんは、ちょうど前年(2013年)にリーグ戦で26得点を挙げ、得点王に輝いたばかりだった。
そこから3年連続で得点王になるわけだが、とにかく日々の練習ではストライカーとしての能力の高さ、すごさをまざまざと見せつけられた。
真っ先に思い起こす姿は、毎日のようにシュート練習をしていたことだろう。あのシュート練習は、自分のなかにあるキックの感覚を確かめているのだろうと思って、いつも横目に見ていた。
実際に練習でマークした時に感じたのは、得点が生まれる場所、まるで型のようなものを、嘉人さんがものすごく理解していたことだ。
頭のなかで、DFがこう動くと、ここが空く。こういう状況では、ここに走ればボールがこぼれてくるといった、絶対的な理論を本能的に掴んでいる人だった。
そのプレーはDFの動きを計算しているため、守る側である自分にとっては勉強になった。
【「DF側も同じく足を止めてはいけない」】たとえば、嘉人さんのゴールパターンのひとつに、ファーサイドに走り込み、詰める形がある。当時ならば、レナトが左サイドからシュートを打ってボールが逸れた時、嘉人さんはゴール右に走り込み、いとも容易く見える形で得点を奪っていた。
だが、それは嘉人さんがゴール前で、いかなる時も足を止めることがないという、見えない部分での工夫から生まれたゴールだった。
嘉人さんはチームメイトがボールを持った時も、「(シュートを)打て、打て」と思っていて、「そのこぼれ球を自分が決める」と考えていると、話してくれたことがある。
DFは相手がシュートを打つ瞬間、どうしてもそのボールの軌道を見てしまうし、一瞬だが足が止まってしまう傾向にある。しかし、嘉人さんはその場面でも足を止めていないため、オフサイドにならずに裏へと抜け出し、こぼれ球に詰める時もGKがいないところに走り込むことができていた。
僕自身は、プロデビュー戦はサイドバックで出場したように、当時はセンターバックだけでなく、ボランチなど複数のポジションで起用されていたが、嘉人さんと練習するたびに「DF側も同じく足を止めてはいけない」という教訓を噛み締めた。
FWの選手がよく、「信じていればボールが転がってくる」といったコメントを残すことがある。僕自身はその発言は、抽象的すぎると思っていた。
しかし、リーグ戦でふたケタ得点を決めるようなストライカーは、「信じたところにボールがこぼれてくる」のではなく、「こぼれるところに自分が反応できている」からだという真理に気がついた。
嘉人さんがDFよりも先にボールに触れるのには、明確な理由があった。
待っているだけでは一歩目が遅れるし、一歩目の幅にも違いは出る。常に「来い、来い」と前のめりになっているから、誰よりも早くボールに反応できていたのだろう。
また、CBとして縦にパスをつけられるようになったのも、少しだけ嘉人さんの影響があるかもしれない。繰り返すが、ほんのちょっとだけ(笑)。
【若手選手にとって一種の洗脳に近かった】ほかの選手と同じように、僕も常に「俺に(ボールを)寄こせ」と言われてきた。嘉人さんにとっては、相手がマークに来ているか来ていないかは苦ではなく、むしろ相手が自分に食いついている状況を歓迎している節(ふし)すらあった。練習も含めて、何度も「マークが来ていても(パスを)出していいから」と言われていた。
だが、うしろにいる選手としては、相手が嘉人さんに食いついているということは、ほかが空くということでもある。そのため、一度は外を使って、嘉人さんが作ったスペースを狙う意図も考えていた。だから、すべての要求に応えていたわけではなく、「はい、はい」と思いながら、平然と違う選手にパスを出したこともある。
その要求にしても、嘉人さんだから語ると、賢くなさそうなわりに、いろいろと考えたうえでの行動、言動だったように思っている(笑)。うるさいくらいに要求され続けることで、うしろにいる選手たちは、まず嘉人さんを見る習慣ができていた。それは若手選手にとっては、一種の洗脳に近かったかもしれない(笑)。
常に足を止めない──自分も攻撃時のセットプレーでは、足を止めないことを意識するようになり、CBとして向き合っていくなかでは、最後の最後まであきらめずにゴール前をカバーすることで、ボールを弾き返せたり、相手の得点を防げたりする場面は増えていった。そこにCBとして手応えを実感し、自信をつけていったことを覚えている。
◆第19回につづく>>
【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。