悩む人の多い「実家の片づけ」問題。90代80代の高齢親がものを捨てずに溜め込み、いざ片づけようと思っても、どこから手をつけていいかわからない、と途方に暮れることも。ここでは、ミニマリストのponpocoさんが母親の暮らしについて書いた著書『66歳、まずやってみる。人生を愉しむシンプル暮らし』(扶桑社刊)より、築40年の一軒家に暮らす66歳のシンプル暮らしの達人・pocohahaさんの、実家の片づけについて紹介。大変だったのは、大量の服や引き出物の処分でした。

ケアホームに入居した父の実家の片づけを開始

私たち夫婦は長男長女で、夫は「両親の面倒は長子が見るもの」という価値観で育った人です。結婚してすぐに義理の両親との同居がスタート。義母は長年の人工透析の末、54歳で早逝し、義父は89歳で他界するまで私たち夫婦が生活面の支援をしてきました。
私の母は68歳で他界し、現在は89歳になる父の介護と通院を手伝っています。

父は脳梗塞を患ったことがあり、認知症の症状も見られるので、医師からサポート体制が整っている高齢者ケアホームへの入居を勧められました。

週に1回は父と一緒に食事をしたり、たまに旅行へ連れていったりしています。今後父がひとり暮らしをすることは難しいので、私は実家を掃除するついでに、父にとって不要なものを少しずつ片づけることにしました。

いちばん大変だったのは服の整理

もっとも大変だったのが、服の整理です。父は昔からおしゃれが大好きで、家中の収納を埋め尽くすほどの大量の服を持っていました。値札がついたままの新しい服もたくさんあり、どれがこれからも着る服で、どれがもう着ない服なのか、私には見分けがつかず、要不要の仕分けにとても苦労したことを覚えています。

父を施設から実家へ連れていくたびに、「この衣装タンスに入っている服はもう処分しても大丈夫?」と本人に確認しながら片づけを進めていきました。父は「そんな服あったか?」と自分が持っている服の存在を忘れていることが多く、手放すときもあっさり。長年しまい込んでいた服たちに、あまり執着はないように見えました。

父は服を着ることも好きですが、買って眺めているだけでも満足できるタイプなのかもしれません。

結局、今でも父がよく着ている服はお気に入りの十数枚だけ。枚数が少なくなったことで服を選びやすくなり、施設のスタッフの方によると、毎朝自分でコーディネートを決めておしゃれを楽しんでいるそうです。それがリハビリにも役立っているとか。「おしゃれが好きな人でも本当に好きな服が少しあれば充分なんだな」と改めて実感しました。

使わずに眠らせておくことが結局いちばんもったいない

服の次に片づけが大変だったのは、引き出物です。

父は社交的で友人も親戚も多く、結婚式に参列する機会が頻繁にあり、引き出物として食器や置物をよくいただいて帰ってきました。それを日常生活で使えば問題ないのですが、「キレイだから来客用に取っておこう」と箱に入れたまま保管し、そのうち本人も存在を忘れてしまうということが多々あったのです。

積み上げられて埃をかぶっている引き出物の中で、使えそうなものは実家の食器棚に入っている普段使いの食器と入れ替えて、それ以外は長男である弟に任せました。引き出物を整理しながら、「もっと早く箱から出していれば使う機会もいっぱいあったのに」と少し残念に感じたものです。もったいないと使わずに眠らせておくことが結局いちばんもったいないと思います。

処分したもの、取っておくもの

ほかにも、日用品や備蓄品を必要最小限まで減らしました。

キッチンにあるフライパンや鍋など同じ用途のものは1つに絞り、来客用の食器はほとんど処分。引き出しにたくさん入っていた消費期限切れの缶詰、乾物、瓶詰の調味料も全部捨てました。

古い百科事典がびっしり並んでいた背の高い本棚は、親戚がもらい受けたのですが、中身はそのまま山積みになって床に置きっぱなしなので、一時帰宅した父がつまずいたり転んだりしないように、今後はそれを処分していこうと思っています。

本格的に実家の片づけを始めて約5年。安全で快適な、父が少しでも安らげる家にしたいという気持ちで今までがんばってきました。

多くのものを処分していく中で、父の思い入れの強いものはきちんと残しておきたいと思い、父が自分で彫った火鉢や墨つぼ、大好きだった囲碁の碁石や卓上碁盤、畑仕事をしていたときに着ていた作業着、若かりし頃の父と母のツーショット写真や家族写真などは大切に飾ってあります。

私は実家の片づけを通して、これから先の自分の暮らしに活かせそうなことをいろいろと学びました。もっとも教訓になったのは、自分が経験した片づけの苦労を子どもたちにはさせたくないということです。将来の自分が快適に暮らすためにも、子どもたちに負担をかけないためにも、老前整理を進めていこうと決心したきっかけとなりました。