家のなかに物が多くなると、「捨てられない派」にとっては片づけに苦戦してしまうもの。作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんは、自他ともに認める捨てられない派。とはいえ、増え続け困った今、ようやく片づけに着手することに。そんな片づけについて振り返ります。

気がつけば家の中は物であふれてしまう…

5月も半ばになって、ああ、また梅の季節…。去年のも一昨年のも梅酒がたんまり残っているというのに一年のめぐりの早いことよ。

【写真】友人や近所の人と交換会をする高橋さん

それにしても、物が多い。家の適用量を遥かにオーバーしとる。梅干しとか、マーマレードとか、野草茶、みそ、好きがこうじてあれやこれやと手づくりするうちに、キッチンも手狭になってしまったな。

ダンボール数箱だけで上京し、18年。あの頃はなんにもなかったのに、今は自分の“好き”であふれている。それはもちろん幸せの重みでもある。

殺風景なワンルームからスタートし、物が増える度に少しでも広いところへ、収納の多いところへと引っ越し続け、ついに賃貸の一軒家がパンパンになってしまった。

たとえば食器。夫婦そろって器が好きなので、各地を旅する度に買っていたら、増えに増え食器棚を増やそうか検討中だ。使い捨てでないのだから、数枚あればいいはずだし、体はひとつなのだから服だってこんなには必要ない。でも、たまにはときめいた物を着て気持ちを上げたいし、料理は器で何倍もおいしくなるもの。

日々の生活の細やかな喜びで、私は自分自身を維持しているのだと思う。

とはいえ、パソコンが処理オーバーでカーソルがぐるぐる回りだすように、家の中もぐるぐるしているのがわかる。重い。気が重いのだ。

捨てられないタイプの無理のない手放し方とは?

捨てられない私だったが、こつこつと減らすことをがんばりはじめた。ただし、一朝一夕にはいかないですよ。間違っても、数日で全部屋をひっくり返すという荒療治をしては駄目。今日は、この引き出しだけ。今日は靴下だけ、今日は文房具だけと、一日30分と決めてコツコツ整理してみるのがいいと思う。

あけたが最後、物は想像以上に出てくる。しかも、いろんな思い出を吸って岩のようになっているから、そう簡単に捨てられるわけがない。それらと向き合うのは、気持ち的にもとても疲れるものだ。だから、小さなエリアごとにコツコツと進めるのが鉄則だ。

手放してもよいものや、リサイクルできそうなものを、ひとまずはダンボールに押し込む。よく使ったタオルは、手のひらサイズにカットし、妹の赤ちゃんのお尻ふきに。このタオル布をぬるま湯にひたしてお尻をふき、そのまま捨ててもらう。

着なくなったシャツとかセーターは、育ち盛りの甥っ子たちに写真を送り、見てもらってから、実家に帰るタイミングで持ち帰る。

そして、姉とともに「ええやん! 似合ってる」と褒めまくれば、着てくれるようになってきた(本当に私とサイズがぴったりなのだ)。

これからどんどんこだわりが出てくるだろうから、いつまで着てくれるかはわからないけど、20代の頃に下北の古着屋で買ったシャツやジャージを姉の子が着てくれるのはうれしい。

買わずに物を交換し合う、レンタルという手も

同じように、最近は読み終わってずっと開いてない本を、甥や姪に渡すようになった。本だけは全部置いときたいと思っていたけど、子どもたちが読んだ方が血肉になって本が役に立つと思ったからだった。児童書や絵本、中高生が読むのにぴったりな本をセレクトして持ち帰り、押しつけるでもなく、こんなのもあるよーと手渡してみる。

近所の大学生にも数冊貸している。中学時代、CDや本を貸し借りしたように、すべてを買わずに交換し合う文化もいいなあと思う。

貸し借りといえば、最近は服もレンタルの時代なんですね。サブスクで月額いくらかを払って、ネットで選んだ好きな服を借り、着終わったら返すというサービスがあるそう。

身にまとうものをレンタルというのは驚きだったけれど、いろんなのを手軽に着られるのは楽しそう。思春期にこのシステムがあったら私もやっていただろうなあ。気に入ったものは購入できるそうだ。

そんなわけで、私の片づけはあと何年かかるかなあ。やれそうなところから少しずつ、家から物を出していきたいと思う。