柏木由紀が赤裸々に語るAKB48で過ごした17年。「もう愛着のあるメンバーの卒業を見送るのはちょっとしんどいかな」
グループに在籍すること17年──。4月30日の劇場公演をもってAKB48を卒業する柏木由紀さん。「元祖握手会女王」と称されるなど人気メンバーとして順風満帆なアイドル人生を歩んできたかと思いきや目まぐるしいアイドルシーンの裏には、知られざる苦労や葛藤が見え隠れ。酸いも甘いも嚙み分けた“等身大”のインタビューをお届けします。
【柏木由紀さん撮り下ろし写真】
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人気メンバーの「アンダー」を経験して手ごたえを得た
──改めて、今回のタイミングで卒業を決断した理由を教えてください。
柏木 「そろそろ、卒業かな?」と思えることがいくつか重なったのがキッカケです。1つ目は私の立ち回りを代わりに担えるメンバーがそろそろ現れる頃合いだと思ったこと。最年長の私が先頭に立ってグループを引っ張っていたのがここ2〜3年でしたが、私がそうだったように、先輩たちが卒業してやらざるを得ない状況になってこそ人が成長するものだと思います。
──「立場が人を作る」わけですね?
柏木 はい! どうしても、私がいることで遠慮しちゃう子もいると思います。2つ目は単純にダンスの振付を覚えるのが大変になったこと。20代の頃には考えもしなかった体の衰えに苦労する場面が増えてきました。ただでさえ、最近は複雑なダンスが多いですし(笑)。1回のレッスンで覚えきれなくて、家に持ち帰ったり、後輩に個人レッスンをお願いしたりというのが続いて、「もう、厳しいかもな……」という気持ちがあったのは否定できません。あと、今の大好きなAKB48のメンバーに見送ってほしいのが3つ目の理由です。もう愛着のあるメンバーの卒業を見送るのはちょっとしんどいかなと。あとあと、人生の半分以上をAKB48で過ごしていて、グループ以外の柏木由紀を経験したいという思いに至ったのが昨年の春ぐらいでした。こんなにたくさんの思いが交錯することは初めてで……。
──幼い頃からアイドルを目指してきたんですか?
柏木 そうですね! 昔から、「有名になりたい」とか「テレビに出たい」というより、「ステージに立ってみたい!」というのが夢であり目標だったので、毎日、劇場公演をしていたAKB48を選びました。10代半ばの高校生の時期は学校と劇場に通う毎日でしたね。特に夏休みは1日3公演を毎日やっていて、体力的にしんどいこともありましたが、昔からの夢を叶えたばかりでめちゃくちゃ楽しい時期を過ごしていたと今でも思います。
──柏木さんにも下積み時代があったんですね。
柏木 そうなんですよ! そこから3年ぐらいすると少しずつテレビに出させていただく機会も増えてきて……、当時は「うれしい!」という感情よりも「あれ? なんかとんでもないことになっていないか?」と実は戸惑いの方が大きかったのが10代後半の記憶です。というのも、最初は高校3年間でアイドルを辞めようと考えていたんです。誤解を恐れずに表現すると「部活感覚」に近かったと思います。当時は高校に登校して夕方に劇場に通う毎日でしたからね。部活のように私の青春を捧げたのが劇場公演だったんです。
──ということは、高校を卒業して大学に進学する選択肢もあったんですか?
柏木 はい! もともと、高校を卒業したら鹿児島に帰るつもりでした。口にこそ出していませんでしたが、両親もなんとなく長続きするものだと思っていなかったみたいで……(笑)。それが、「ポニーテールとシュシュ」のMVを撮影していた高校生が終わるぐらいの時期にグループが一気に勢いづいてきて、「あれ? これじゃ大学どころか辞めるのも絶対無理だな」という心境になって。もちろん、うれしい気持ちに満たされていましたが、その反面で「これからの人生どうなるんだろう?」という不安もありました。先が見通せていたわけでもなかったですし。
──ちなみにアイドル活動を始める前にダンススクールに通われていたんですか?
柏木 見学レベルでした(笑)。幼い頃からステージに立つことが夢だったので何かしらのレッスンを受けたいと考えていた時期もありました。地元の夏祭りのステージで歌ったり踊ったりする子どもたちがいるじゃないですか? そんな子たちが通っているダンススクールが少ないながらも鹿児島にもあって、そこに私も足を踏み入れようとしたんですが、あまり馴染めなかったんですよね……。すでにコミュニティが出来ていて、その輪の中に入る度胸がなかったでしょうね。学校でも“陰キャ”と呼ばれるタイプで、本当に目立たない人間で、当時は誰にでも明るく接することができませんでしたから。いわゆる“陽キャ”の子たちがワイワイやっている雰囲気を見て、「ここじゃ、難しいかも……」と思って諦めました。ただ、そこでうまくやれていたら逆に今の私はいないかもしれません。
──どこかパッとしない少女時代を過ごした柏木さんがAKB48のオーディションを受験したんですね。
柏木 オーディションの最終で東京に行った時にも「レベル違うわ……やばいとこに来ちゃったな」と気落ちした記憶しかありません。それこそ、当たり前にメイクをしていたり、着ている服もセンスが良かったりでしたし。私も当時のとびっきりの服をオーディション用に母と買いに行って最終選考に臨んだんですけど、見るからに「田舎の女の子」丸出しでした(笑)。完全に場違いだなと。鹿児島でモーニング娘。のオーディションを受けた時の周囲はライバルだと認識できましたが、最終選考に参加していた子たちは洗練された都会の女の子過ぎて、「レベルが違うわ……」と敵前逃亡したい気持ちでした。
──それでも、オーディションに合格して、アイドル活動をしていく中で「私やっていけるかも」と手応えをつかんだ転機はいつだったんでしょうか?
柏木 劇場に立つ前に大島優子ちゃんの“アンダー”という代役として全国ツアーを回った時です。映画の撮影で優子ちゃんが福岡と名古屋の公演に出られなくなって、当時どこの誰かも分からない私が代わりに出ることになったんです。まず、「1週間以内に全部覚えてきてください」とコンサートで歌う約30曲の資料を渡されて、家でDVDを何度も巻き戻しながら練習したんですが、テレビに映る振付が実際のものと反転しているのでめちゃくちゃ大変なんですよ。それでも、アイドルファンの自分に助けられましたね。実は、地元にいた頃からテレビを見て振付を覚えるのを当たり前のようにやっていたんですよ。しかも、生意気にも同じ動きをするために反転したのを覚えていました。そんな“自主練”が役に立ちました。もちろん、レッスンについていくのには苦労しましたけど、アイドルファンをやっていて本当に良かったと思います。
──大先輩と立つステージの緊張感は想像もつきません。
柏木 優子ちゃんの代わりなので全部立ち位置がセンターなんですよ。流石にファンの方に対しても先輩メンバーに対しても申し訳ない気持ちでしたよ。繰り返しになりますが、まだ顔見せぐらいしかしていない時期でしたからね。シンメトリーになるのも前田敦子さんだったりするんですよ。前田さんと手を繋いでステージに立つ演出もありましたね。手汗もヤバかったですし、とても生きた心地がしませんでした。単純にAKB48のファンだったので、先輩メンバーと話しができることに感激していたんですが、毎日のリハーサルに行くのが少し憂鬱だったのが正直な当時の心の内でした。
リスペクトした後輩メンバーとゆきりんに憧れた「浪速のバラエティー女王」
──そこからグループの中心メンバーとして活動した20代でした。
柏木 年齢と置かれるポジションによって大変なことは変化していきました。グループ加入当初のあれこれ初めての時期もたくさん汗をかきましたけど、先輩と後輩がいる真ん中の立ち位置になった時期には違った大変さや葛藤がありました。総選挙で2位や3位になってもずっとその位置にいられない恐怖というか……、気がつくと2列目の端っこに配置されていたりするので。いつの間にか自分がグループの一員として“やれること”がなくなってしまったと考えだしたのが20代前半から半ばぐらいの頃でしょうか。
──それはグループ内での“序列”が下がったということでしょうか?
柏木 う〜ん、例えば、「RIVER」や「ヘビーローテーション」をリリースした頃はとにかくグループがイケイケでみんな頑張っている感じがあってあまり考えることはありませんでした。一方で、ある程度グループが世間に知られた後にどんどん後輩が入ってきて、中にはセンターに抜擢されるような子もいて……、そんな中で、私は前列にいたり後列にいたりで自分のポジションを見失うようになっていて、要するにAKB48に在籍する理由が分からなくなったんですよね。その時期に救いだったのは、他グループと兼任する機会に巡り合えたことですね。
──14年にNMB48、15年にNGT48と兼任しましたね。
柏木 まさに後輩の中に1人だけ先輩として入っていくのが初めての経験でした。年齢もキャリアも先輩にあたるんですけど、NMB48の中では一番の新参者になるわけで、当たり前ですけど、歌もダンスの振付も後から加入した私だけが覚える必要があって、分からないことを後輩に聞かないとレッスンにさえついていけませんでした。そういう状況に身を置いたおかげで「後輩に頼っていいんだ」、「できないことを認めることも必要なんだ」という気づきを得られたんです。
──世の中の組織人にも通じるエピソードです! どの組織にしても競争の中で後輩に抜かれることはありますもんね。
柏木 なんだかんだ言っても、後輩がセンターに抜擢されたり、自分よりも前列に配置されたりすることに折り合いがつけられなかったんでしょうね。ぜいたくな悩みではあるんですけど、「なんで2位だったのに次が11位なの?」という気持ちが頭の中を占めていたのは否定できませんし。とにかく先輩メンバーとしてのプライドやジェラシーがごった返してしたんだと思います。そんな余計な感情をNMBと兼任したことで一掃できました。
──グループ内で競争をする中でも親友と呼べるメンバーはいましたか?
柏木 同期のメンバーは今でも仲が良いですよ。中でも、すでに卒業しているんですけど、片山陽加ちゃんは大親友です。オーディションで隣の席だったことがキッカケで仲良くなって、本当に今でも毎日連絡を取り合っていて、週に1〜2回は会っています(笑)。多分、人生においても一番の親友だと思います。
──アイドル活動を一緒にやってきた、いわゆる“戦友”でもあるんですか?
柏木 いえ、そこは完全なる親友です! なんていうか……お互いに何の嫉妬もありませんし、お互いに意見が衝突して言い合いになることもなく、本当にお互いをただ真っすぐに認め合える存在なんです!! そんな親友と引き合わせてくれたAKB48には感謝しています。ついこの前も私の家に来てずっとマリオカートをやっていました(笑)。
──反対にバチバチに意識していたメンバーはいましたか?
柏木 バチバチではありませんが……(笑)。心からリスペクトしていたのはさっしー(指原莉乃)かな〜? 2期下の後輩で年齢も1つ下なんですけど、グループがブレイクする前に同じチームで活動していた頃から「なんか他の子と違うな」という目で見ていました。もちろん、いい意味ですよ。今までのグループの先輩にも同期にもいなかったキャラクターだったんですよ。とにかく「話術」が抜きん出ていました。こんなに先輩にガツガツしたツッコミを入れられるものなのかと毎日のように感心させられていました。で、徐々にグループの外でもその魅力が認知されてきて……。
──あれよあれよという間に総選挙でも1位になりました。
柏木 特にすごいと思ったのは、グループ以外の共演者の方とのコミュニケーション。よくメンバーを引き連れてあいさつしていました。あと、後輩への注意一つにしても勉強になることばかり。例えば、「私もできていないからみんなで気をつけよう!」とあくまで自分を含めたみんなの問題として後輩たちに嫌味なく注意を促す場面もしばしばでした。当時の私はあまり後輩に言えなかったので、さっしーの言うことを一番に聞くということでアシストするように意識していました。とても、後輩とは思えない存在でした。スタッフさんとの連携やコンサートの演出などさっしーの背中を見て学んだことは多かったと思います。
──柏木さんをキッカケにAKB48を志す子も多いのではないでしょうか?
柏木 ありがたいことにグループ内にも何人かいます。「坂道シリーズ」の中にも、過去に私と握手会で会ってアイドルを志したというエピソードを話してくれる子も。あと、NMB48OGの渋谷凪咲ちゃんも「ポニーテールとシュシュ」のライブ映像で私だけが映っている動画を見たのをキッカケにAKB48を好きになってくれたみたいです。学校までの通学中に私のソロ曲を聴きながら通っていたことを話してくれました。もはや、今の渋谷凪咲ちゃんの活躍を見たら「私キッカケでありがとう〜!」っていう感じです(笑)。
「職業」=「アイドル」が秘める結婚への思いは?
──卒業することを家族に話した時の反応を教えてください。
柏木 母には「○○の理由で卒業しようと思うんだけど……どう思う?」と相談したら、「全然、いいと思う!」と即答でした。母は私の行動を全部肯定してくれるタイプながら、時には意見をズバリ言ってくれる良きアドバイザー。「今まで考えたことなかったのに卒業したい気持ちが芽生えたのならタイミングなんじゃない?」と背中を押してくれました。
──お父様の方は? 当初は活動にも前向きではなかったと聞きましたが。
柏木 反対していたわけじゃなくて、父にギリギリまで私がオーディションを受けていることを黙っていたのが真実です。最終審査の前日に母が「明日、由紀がオーディションに行って、その当日中に合格かどうか発表されるらしい」と伝えてようやく知らされて。それでも、まさか両親とも私が受かるなんて思ってもいないから、「まぁ、記念に受けるぐらいいいんじゃない」とあまり真剣に考えていなかった節さえありました。口に出さないまでも「どうせ、受からないよ」という雰囲気でしたし。それが、合格してしまって「さあ大変」といったところでしょうか(笑)。父からすれば、まさか最終審査日から1か月以内に妻と一人娘が2人して東京に行ってしまうなんて微塵も頭の中になかったはず。なので、どちらかといえば、反対していたというよりは成す術がなかったのが正解です。
──そんな両親に親孝行をするプランはありますか?
柏木 両親がやりたいことをなんでも叶えてあげたい。最近は、父がゴルフにハマっているのでゴルフ用品を買い与えています(笑)。ゴルフボールは実家に届くように注文していますし、たまに帰省した時にも一緒にデパートに行ってゴルフウェアを一緒に選んでいます。私からプレゼントしてもらう時に母は遠慮するタイプなんですけど、父はちゃっかりしていて、これ見よがしにゴルフウェアも上下のセットアップを選んでくるんです(笑)。これからも、17年迷惑をかけてきただけの恩返しをしていきます。あと、メンバーにも……。
──え、メンバーにも恩返しをしているんですか?
柏木 卒業発表して5か月の間に「ご飯行きたいです!」と言ってくれた後輩とは必ずスケジュールを調整して食事に行っています。「終活」というと大げさかもしれませんが、グループを卒業するまでにやり残したことがないようにしたいんです。ある日は、レッスンが終わった深夜から早朝まで「鳥貴族」に入り浸る日もありました(笑)。
──そうは言っても、若い世代と違って朝までオールは体も悲鳴を上げているのでは?
柏木 家に帰ってから疲労がドバっとです(笑)。あと、ちゃんと時間とお金が消えていくのも怖いですね。お店の支払いはもとより帰りのタクシー代も出していますからね(笑)。でも、そこは金に糸目を付けずに後輩の願いを叶えたい一心です!
──ちなみに、30歳を超えて体のケアにも気を遣うようになりましたか?
柏木 いや、ケアをしていないからしんどくなるんだと思います。今でもめちゃくちゃ夜更かししちゃいますし、お菓子もボリボリ食べちゃいますし。定期的に体を鍛えたり、健康にも気を配った食事を摂ったりしていれば多少は違うのかもしれませんが、お仕事を頑張っている分、楽しいこともいっぱいしたいのが私なんです。親友とカラオケに行って、深夜でも好きなものを食べて、朝もギリギリまで寝ちゃう。そんなだらしない生活が17年間のアイドル生活を支えていたのは事実です(笑)。
──AKB48を卒業してもアイドルを卒業しない?
柏木 ステージで歌うことは継続したいです。やっぱり、17年間も続けてきた大好きなことなので。今でも会いに来てくれるファンの方のためにもソロでアイドル活動は続けたい。
──それでも、長くアイドルを続けていると心ない外野の声も聞こえてきそうですね。
柏木 「いつまでいるの?」、「早く後輩のために席を空けろ!」みたいな声は嫌でも耳に入ります。ついつい、エゴサーチをしてしまうので、そんなコメントをネットで目にして傷ついていたのが20代後半でした。メディアの方のインタビューでも「いつ卒業するんですか?」と毎回のように聞かれて、「やっぱり、卒業しなきゃならないのかな?」と思いながらも「でも、AKBの活動が楽しいもんな」という葛藤が頭の中でグルグル渦巻いていましたね。それが、30歳を過ぎたぐらいから気にならなくなって(笑)。「いつまでいるの?」と言われても、「私がいることでアナタに何の迷惑をかけていますか?」と心の中で言い返せるメンタルになっていました。
──秋元康プロデューサーからは「卒業」についてどんな言葉をかけられましたか?
柏木 卒業発表の前に相談しました。そのときに、「柏木の決めた人生を応援します」と温かい言葉をかけてくださりました。あとは、「卒業後も後輩のために頑張りなさい!」と秋元さんのグループへの愛情もうかがえる言葉もいただきました。
──歌手ではなく、「アイドル」を続けるこだわりがあるのでしょうか?
柏木 まず、女優やタレントあるいはアーティストと呼ばれたいのであれば、もっと早い段階で卒業を決意していたと思います。芸能界でいろいろなお仕事を経験させていただく中で、アイドルという肩書が一番しっくりきたんですよ。そもそも、人生の半分以上をアイドルとして過ごしているだけ、もはや、切っても切れないものになっています。これからもアイドルを「職業」としてやる意識でいます。
──アイドル活動を継続するということは恋愛や結婚も遠のいてしまうんでしょうか?
柏木 いえいえ! 全然、結婚するつもりですよ(笑)。とはいえ、アイドルを職業でやっていく以上はファンの方の反応を見て、結婚生活を前面に出すかどうかは考えます。実は、秋元さんも「AKBにいても結婚していいよ」と言ってくださったんですが、さすがにその前例を作るのはよくないと思って。ちなみに、結婚するかもしれないというのは私のファンの方に伝達済みです。
──まさか、すでに予定があるんですか?
柏木 え、1ミリもございません(笑)。
──ファンの方たちも了承済みなんですね。
柏木 昔から応援してくれている男性のファンからは「ステージに立つことだけはやめないでほしい」とお願いされます。ありがたいことに、結婚してもアイドルを辞めてほしくないという声ばかり寄せてくれて。都合のいい捉え方かもしれませんが「私の幸せが自分たちの幸せ」と言ってくれるような最高のファンたちが残ってくださっています。感謝の気持ちしかありません!
構成・撮影/丸山剛史 取材・文/多嶋正大