『バタアシ金魚』、『座敷女』、『ドラゴンヘッド』など、常に時代を先取りする斬新な作品で人気を博し、多くの作家に影響を与えてきた漫画家・望月ミネタロウ。

先頃刊行された文藝別冊『総特集 望月ミネタロウ』には、語り下ろし「2万5000字ロングインタビュー」、大友克洋との対談、江口寿史へのスペシャルインタビュー、また、松本大洋、浅野いにお、和山やま他豪華作家陣による特別寄稿などが収録され、望月作品の稀有な魅力に迫る一冊となっている。

近年は『東京怪童』、『ちいさこべえ』、『没有漫画 没有人生』と、一作ごとにテーマも表現スタイルも変えた意欲的な作品を発表し、現在進行形でマンガファンを瞠目させ続ける奇才を多角的に検証した本書より、これまでほとんどメディアに登場することのなかった望月自身が、その創作の源泉を縦横に語った初の本格ロングインタビューを一部抜粋してお届けする。

──デビュー作から最新作まで、まるで過去の自分を一度破壊して新たに再生するかのように、常に変化と進化を続けてこられました。それはやはり意図的というか、同じようなものは描きたくない、新しいものに挑戦したいという気持ちがあるのでしょうか。

自分でも何でかとは思います。そのたびにそれまでの読者や編集者の信用をもう一度取り返さなきゃならないのに、なんかそういうことをしちゃうんですよねぇ……。それで僕から去って行く読者や編集者もいるのに。

ただ意欲の源となるのは、ジャンルとか自分の過去作とか、その時点での自分のスキルとかあまり関係なく、純粋にそのときに描きたいと思ってたものです。だから、あとからいろいろ後悔したり恥もかいてきたけど、時間は前にしか進まんし、過ぎた作品に執着してもしょうがない、まあいいや、また次ゼロからやればいいや、と今までずっとそんな感じです。

何よりやってはいけないのは、疑問を感じてたり、つまらないと思いながら仕事をすることだと思っています。だから、描きたいものを描かせてもらえている状況というのは、大変ありがたいことだと思ってます。

昔から基本的にネームは見せない

──今は完全デジタルですよね?

そうですね。フルデジタルです。

──もう下絵の段階から紙は一切使わない感じですか?

一切使わないですね。

ただ、僕はデジタルだ、アナログだという次元では考えていなくて、どっちでも使いやすいほうを使えばいい、いいとこだけ取ればいいやと思っていて、今はたまたまフルデジタルなだけです。

──いつ頃からデジタルを導入されましたか?

『東京怪童』(講談社「モーニング」2008年〜2010年)のトーン貼りぐらいからですかね。妻が自作でパソコン組むぐらいデジタルに明るいので、いろいろ教えてもらいました。フルデジタルになったのは『犬ヶ島』(講談社「モーニング」2018年)ぐらいからかな。

──『バタアシ金魚』(講談社「ヤングマガジン」1985年〜1988年)とかの頃は当然アナログなわけですが、当時はペンは何を使っていらっしゃいました?

カブラペンです。最初Gペンで描いてたんですけど、筆圧が強いんでどんどん太くなっちゃうんですよね。それで、ちょっと硬めのペンがいいなというんでカブラペンにしました。それからずっとカブラペンです。

昔は「筆ペンはこれ!」とか職人っぽくこだわっていましたけど、今は全然こだわりないです。

──筆ペンはどこにこだわるんですか?

発色ですね。いかにムラなく塗れるかという。どこのメーカーのを使ってたか、もう忘れちゃいましたけど、一人で原稿見てほれぼれしてました。筆ペンで塗ろうがマジックで塗ろうが、印刷したら関係ないんですけどね。

「ポストプロダクション」の部分に時間をかける

──最近の『没有漫画 没有人生』(小学館「ビッグコミックオリジナル」2022年〜2023年」)だと、ネーム、下絵、ペン入れ、仕上げの時間配分ってどんな感じですか?

決まってないです。なぜ決まってないかというと、ネームをギリギリまでやっているから。いつも「もう原稿にかからなきゃヤバい!」というギリギリまでやっているので、その後のことはあまり記憶にないことが多いです。

というのも、話を考えるだけじゃなくて、映画で言うところのポストプロダクションの部分にすごく時間をかけるんですよ。読者が読むスピードや次のシーンに移る前に息を整えてもらう間とか、そういうことをすごく考えてページのアレンジやコマ割りを作るので、絵に行くまでに時間かかっちゃうんです。

ネームが早くできたら──できることないですけど──ほかのところに時間を取る感じなので、どれが何日とかはあんまり決まってないですね。


文藝別冊『総特集 望月ミネタロウ』2万5000字ロングインタビュー扉ページ(画像:河出書房新社)

──ネームに絵は入ってるほうですか?

自分だけがわかるくらいの絵しか入っていません。ずっと編集さんにはネームを見せないでやってきました。見せろと言われたら見せますけど、見せると必ず直しが入ってぐちゃぐちゃになって、結局ボツになるケースが多いんです。だから、相手がどれだけ僕のことを信用してくれるかっていう話なんですけど。

『東京怪童』のときなんかは編集さんが毎回原稿を取りに来てくれてたんですけど、いつもめちゃめちゃ不安がってましたね。

面白く読んでもらうための苦悩

──マンガを描く作業の中で好きな部分と嫌いな部分は?

基本的に全部嫌なんですけど(笑)、これしかできないからやってるだけで。

その中で何が一番嫌いかといえばネームが嫌いですね。ネームが終われば、あとの作業はあまり悩まないので存外気楽にやれます。どうやったらこの話を理解してもらえるんだろう、どうやったらこのマンガを面白く読んでもらえるんだろうということばかり考えて、ずっと苦悩しています。

──作業中に音楽とかラジオとかかけますか?

昔はFM横浜をよく聴いていました。最近はSpotifyで適当に。

──今は結構、コワーキングスペースとかでもお仕事されるとか。

そうですね。カフェでもコワーキングスペースでも、タブレットだけあればどこでもできるので。ちょっと前に流行ったノマドってやつですかね(笑)。

まあ、今はこういうエッセイマンガを描いてるからできる、というのもありますけど。

──『ドラゴンヘッド』(講談社「ヤングマガジン」1994年〜2000年)とかはもちろんアシスタントさんが入ってたと思いますけど、『バタアシ金魚』の頃のインタビューでは一人で描いてるというお話をされていましたね。

厳密に言えば友達に消しゴムかけとかベタ塗りは手伝ってもらってましたけど、正式なアシスタントはいませんでした。というか、アシスタントを雇うという概念自体がなかったです。

友達が遊びに来て横でカップラーメンとか食ってて、「消しゴムかけぐらいやってやろうか」って言うんでやってもらったら原稿ビリッて。で、「もうおまえ帰れ!」みたいな感じでしたね。

──ちゃんとアシスタントが入った作品というと、どのへんですか?

『ドラゴンヘッド』と『万祝』(講談社「ヤングマガジン」2002年〜2008年)ですね。6人ぐらいでやってました。『東京怪童』も入ってたけど、2人ぐらいですかね。

『万祝』のときなんかはトーン作業が山のようにあって、むしろトーンで描くみたいな感じで、原稿が重ね貼ったトーンで物理的に重いんです。でも、だんだんそういう作業が減ってきたので、アシスタントも減っていき……という。人に頼みたいのも本当に自分が描けないところ、描くの面倒くさいなと思うところだけですね。

──バイクや車は自分で喜んで描く感じですか?

喜んでは描かないですけど、ただバイクや車って、自分がそうなんですけど、乗ってる人から見るとディテールとかが適当に描いてあると「何これ?」って思うこと多いじゃないですか。

そう思われるのが嫌だというのがあって、自分で描いちゃいますね。

ずっとマンガで何かを表現していたい


──今(取材時)は『没有漫画 没有人生』を描かれていますけど、次に描きたい作品のイメージとかありますか?

今描いている作品、目の前のことに集中しちゃうんで、次のことはわからないし考えたことはないですね。ただ、何かチャレンジしたいとは思います。もちろんそれでうまくいったらうれしいですけど、失敗しても尊敬される人っているじゃないですか。僕もそうなれたらいいなと思います。

──では最後に、将来もしくは老後の夢みたいなものがあれば教えてください。

ちょっと質問の答えとは違いますけど、今回この特集本のお話をいただいたとき、自分はそういうものに縁がないと思っていたので正直うれしかったというのと、こういう本の形で残ることで今5歳の子供に将来、「父ちゃんはこういうことをやってきたんだよ」と見せられるなと思ったんです。

それと、漫画家は職業じゃなくて生き方だなと思い始めていて。だから、終わりはないのかなと。ずっとマンガで何かを表現することができていたらいいなと思っています。ノーコミック ノーライフ(没有漫画 没有人生)ですね。

(取材・文 南信長/2023年7月5日収録)

(望月 ミネタロウ : 漫画家)