窪塚俊介、10年以上にわたり育ててくれた大林宣彦監督への想い。一度だけ見た監督の怒る姿に「大林組ってすごい!」

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2005年に公開された映画『火火』(高橋伴明監督)で女性陶芸家の草分けであり、骨髄バンクの立ち上げに尽力した神山清子さんの白血病を患った息子役を演じ、注目を集めた窪塚俊介さん。

この作品がきっかけで大林宣彦監督と出会い、『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』に出演。以降、大林監督作品常連俳優となり6作品に出演。2017年には『花筐/HANAGATAMI』に主演することに。

 

◆ストリート・アーティスト役にチャレンジ

2006年、窪塚さんは映画『TAKI183』(小林正樹監督)に出演。この作品は、ストリート・アート(主にスプレーを使って壁や塀など公共の場に描かれた絵や文字)に夢中だった若者たちの成長や葛藤を描いたもの。

窪塚さんは、グラフィティに夢中だった5人組(塚本高史・忍成修吾・窪塚俊介・村田充・加藤ローサ)のひとりで、言うことの9割はハッタリのハッタ役を演じた。

――若者たちのはじけるようなエネルギー、疾走感がありましたね。

「たしかに。よく覚えています。懐かしいなあ(笑)。『火火』とはまったく違う作品で、同世代の若い人たちとやるのは、すごく楽しかったのですが、『これでいいのかな?』という不安は、正直ずっとありました。まだほとんど経験がない中で、比較対象もほぼなかったですし。

作品に関わってくれたヒップホップのアーティストやグラフィティ・アートの方は、その世界で有名な先輩たちでしたので、それを楽しんだというのはありますけど、自分としては、その上で遊ばせてもらったのか、その場でちょっと遊んじゃったのかって…よくない意味で。正直どうなんだろうというのは、出来上がりを見たときに思いました。

ストリートの映画じゃないですか。その当時の話ですけど、兄貴が、『ストリートの映画はすごく難しい。ストリートの奴らがやったら芝居ができないし、俳優がやったらストリートじゃないから』って言ったことを覚えています。

だから、『8 Mile』(カーティス・ハンソン監督)のエミネム、あれはすごく成功した映画だと思いますが、あのクラスまでいかないと、芝居ができるストリートの人間が出てこないと、やっぱりのっけから嘘というか、説得力がないですよね。

塚本高史くんも僕も加藤ローサちゃん、忍成(修吾)くん、村田充くんにしても、みんないわゆるストリートではないので、そんな僕たちが、あんな風にスプレーで絵を描いていても、そもそも嘘だよなあって思って。でも、役者はそういう嘘をつく仕事というか、そこでいかにリアリティーをもってできるかなんだという学びになりました。

嘘をついてやったわけではないですけど、本当に覚悟をもってやったかと言われたら、『ちょっとどうだったんですかね?』という感じで。でも、一生懸命やったのは確かなので、だからこそ学びがあったのかなって思います」

 

◆大林監督と出会った日

2007年、窪塚さんは大林宣彦監督の映画『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』に出演。この作品は、伊勢正三さんの名曲『22才の別れ』をモチーフに、母娘2代にわたる恋の物語を描いたもの。窪塚さんはこの映画で初めて大林監督に会ったという。

「東宝で大林監督と初めてお会いして、それで呼んでいただいたのですが、『何でかな?』って思っていたら大林監督が『“火火”、すごく頑張っていたね』って言ってくださって。うれしかったですね。何かそういう風に繋がっていくというか、当たり前ですけど、何事も一生懸命やらなきゃダメだなってあらためて思いました」

――大林監督は、『22才の別れ〜』以降、ずっと窪塚さんをキャスティングされて。

「はい。10年以上にわたって育ててくれて、俳優としての道しるべを教えてくださった方です」

――そして『花筐/HANAGATAMI』では主役に。

「そうですね。『その日のまえに』(2008年)の初号試写か完成披露試写会のときに、大林監督の古希のお祝いを兼ねていたのですが、ちょっと体調が悪そうにしていたのをよく覚えています。これは後年に患うガンとは関係ありませんが。

大林監督は、いつもいつも褒めてくれるんですよ。みんなにもすごく優しい“愛”の人なので。そのときに、『いつかは俊ちゃんが主役でやるんだからね』って言ってくれていて、『えー、うれしい』なんて言っていたんですけど、それから10年近く経って本当に『花筐』に主役で呼んでくださった」

――『花筐』のお話はどのように?

「(妻の)大林恭子さんから『こういう作品で、この役を俊ちゃんにお願いしたいんだけど』というお手紙をいただいて、『そういえば監督が言ってくれていたなあ』って思い出して。『花筐』があるからそう言ってくれていたわけではないと思うんですけど、うれしかったですね。

だから僕もお手紙を書いたのですが、普段書かないじゃないですか。『あれっ?手紙ってどうやって書くんだっけ?』みたいな感じになった(笑)。しかも、大先輩に書く手紙なわけで、季節の挨拶から書くのかなとか。でも、そういう“形式”の方ではないので、自分の思いを書いて、一生懸命やらせていただきますって書きました」

――お手紙で返信という誠実さも大林監督は好ましかったのでしょうね。

「どうなんでしょうかね。でも、僕が大林監督と出会ってからずっと言ってくれていたのは、『窪塚くん、俊ちゃんからは、すごく現代の雰囲気を感じるんだよ』って。

それで、監督ご夫婦を見ていても思いますけど、“品”というのをすごく大切にされていらっしゃるんですよね。自分のことというわけじゃないですけど。仮にどんなに小汚い役というか、そういうきれいじゃない役が出てきても、どこかちゃんと“品”は保てているような。何かあのご夫婦を見ているとすごくよくわかるなあと思いました」

 

◆大林監督に余命宣告

『花筐/HANAGATAMI』は、戦争の足音が迫る時代を懸命に生きる若者たちの友情や恋を描いた映画。窪塚さんは、主人公である17歳の高校生・榊山俊彦を演じた。クランクイン前に大林監督は、肺ガンで余命宣告を受けたという。

「クランクインの会議のときに、『実は余命が…』という話があって、監督は治療をしながら何とか演出補の松本(動)さんを中心にやってもらうことになった。

大林監督も最初は現場にいたのですが、初日から午前1時、2時までの撮影になってしまって。あまりにハードすぎるというので、クランクインして3日後くらいに『余命が3分の1ぐらいになっちゃった』という話が出て、一度東京に帰ることになったんです。

その間も撮影は続けていたのですが、その期間は大変でした。みんな一致団結して、『大林監督ならどういう画を撮るか、どうするんだろう?』みたいなことを考えつつ演出して撮るという感じで。

でも、ぶっちゃけ無理じゃないですか。あの唯一無二の大林監督と同じようにというのは。大林監督は、素材がいっぱいあるのが好きなので、とにかくいっぱい撮りました。それでも、たしか午前4時までやった撮影も何か違うってなって、結局もう一度撮り直すことになったのかな。でも、大林組の団結力はすごかったです。

今は病院にいても映像が見られるじゃないですか。撮影した分をすぐ監督にメールで送って確認してもらいながら、撮影の三本木さんがずっと(カメラを)回してくれていて。大林監督のためにこういうのを撮っておいたほうがいいというカットを全部撮ってくれていました。

何回も何回もやるのはあまり好きじゃない役者さんもいらっしゃったりしますけど、大林組はもう撮れるだけ撮るみたいな感じで」

――大林監督は病室から遠隔で演出みたいな感じだったわけですね。

「はい。役者陣には直接届いていないんですけど、スタッフとはやっていたと思います」

――監督が現場にいらっしゃらなかったときに撮影した分も使われていたのですか?

「ほとんど使ってくれていました。だから上映時間が3時間とかになっちゃう(笑)。どんどん長くなって、最後の『海辺の映画館〜キネマの玉手箱』も2時間という約束でスタートしたらしいんですけど、結局約3時間の179分になりましたからね(笑)。でも、やっぱりすごい監督です。すごく映画に愛された“愛”の人ですよね」

――すごいですよね。独特の世界観があって、時に見ていてわからなかったりするのですが、全部わかっていました?

「いえいえ、『何を撮っているんだろう?』みたいなことはざらでしたし、本当に監督しか編集できないという感じです(笑)。

監督は目線に関してはすごく気にされていましたね。普通だったら、こっちを向いていたら次のカットはこっちっていうのも全然違っていたりして。『いいのかな?』と思いつつも、監督は裏ですごく考えた上で演出しているから言われたようにやる(笑)」

――大林監督に怒られたりしたことは?

「それがないんです。まず、役者に対して演技の指導をしているのを見たことがないですね。演出というのはもちろんありますけど。『ここは悲しいこういうシーンだからね』って言って、『じゃあ、よーい、スタート』という感じでした。テストからカメラを回していたりするんですけど。

監督が大きな声をあげているところを一度だけ見たことがあります。僕が初めて大林組に参加させていただいた『22才の別れ〜』のときに、長門裕之さんとご一緒させてもらった焼き鳥屋さんのシーンで、助監督がカウンターの小道具のバミリでポケットから出した紙くずを置いたんですね。

良かれと思って置いたと思うんですが、監督が『お前何をやっているんだ!カメラの画面の中に収まっている、そこにゴミを置くとは、お前!』ってすごく怒っていたのが衝撃的でした。

『俳優が命をかけて芝居をしているときに、お前はそこに紙くずを、ゴミを置くのか』って。僕はそこまで言われるほどのことなのか…と驚きました。やっぱりそれぐらい緊張感をもってずっと現場にいるというところが、『大林組ってすごい!』と思ったのをよく覚えています」

――初めての大林組の作品ですごい経験ですよね。

「そうですね。そういうところを見ると、演技をする上で委縮したり、怖くなったりするじゃないですか。でも、大林組は不思議とそういうことがないんですよね。緊張しちゃって、それが悪く作用するということが本当になくて。

ただ、その反面、『もう1回やりたいな』と思うカットでも『OK』が出たりするから、常に緊張感をもってちゃんとやっていないと、『今のOKなんですか?』みたいなことになるので(笑)。監督がOKならOKなんですけど。

もちろん毎回本意気でやるんですけど、テストからカメラを回したりしているので、本当に集中してやらないといけない。当然自分も満点の状態でいきたいと思っているので、本当に緊張感がありましたね。

大林監督は撮影現場で僕を本当に一番育ててくれたというか、僕のキャリアと同じぐらいなので。これから先ずっと俳優を続けていくとあり得るかもしれないですが、同じ監督でこれだけ多くの作品に出させていただくことは初めてでしたし、本当にいろいろなことを学ばせていただきました」

窪塚さんは『花筐』でニューヨークの「ジャパン・カッツ」やオランダのロッテルダム国際映画祭にも参加。

次回はその模様、実弟でレゲエミュージシャンのRUEEDさんと兄弟役でW主演した映画『スカブロ』、公開中の映画『青すぎる、青』(今関あきよし監督)、2023年12月15日(金)に公開を控えた主演映画『未帰還の友に』(福間雄三監督)の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:森田杏子