「正直、めちゃくちゃキツい。お手上げ状態なんです」

 東京2020パラリンピックの車いすフェンシング日本代表の藤田道宣(GO)は今、自身も予想しなかった苦境に追い込まれている。車いすフェンシングの剣に関するルール変更のためだ。


アジアパラで「手応えのある試合ができた」と語った藤田道宣 photo by Uehara Yoshiharu

 フェンシングの剣は長さが5段階に分かれており、多くの選手は一番長い5号剣を使用するが、より軽い4号剣や、ジュニアが使用する短い3号剣を使用してもよいルールだった。ところが東京パラリンピックのあと、車いすフェンシングで使用する剣は「5号剣のみ」と決まった。実はほとんどの選手に影響はないのだが、対戦相手によって剣を使い分けて戦う藤田にとっては、選手生命を脅かすほどの"改悪"となってしまった。冒頭のコメントは、藤田の現在の率直な想いだ。

 車いすフェンシングは軽度な障害の「カテゴリーA」と、体幹バランスが悪い「カテゴリーB」に分かれ、それぞれで試合を行なう。頸椎損傷で胸から下の感覚がなく、剣を持つ右手の握力がゼロの藤田はカテゴリーBを主戦場とするが、本来はさらに障害が重いカテゴリーCの選手である。だが、パラリンピックではこのカテゴリーCは実施されないため、カテゴリーBにエントリーをして戦っている。

 一般のフェンシングは前後に動くステップワークをイメージするが、車いすフェンシングはピストと呼ばれる競技台に車いすを固定し、選手同士が向き合って上半身だけ動かして戦う。超至近距離で剣を交える分、より激しい剣捌きや攻防が繰り広げられるのだ。

 自分より障害が軽い相手と戦う藤田にとっては「遠くて剣が届く気がしない」というのが本音だが、「障害は言い訳にしたくないし、負ける理由にならない」と奮い立ち、メンタルも技術も鍛え、試合に勝つための、自分だけの攻略法を模索してきた。

 そのなかで最大の挑戦だったのが、4号剣や3号剣を使用して戦うことだった。剣の種類に合わせて、剣と手を固定するテーピングも使い分けた。ほかの選手にとって短い剣を使用するメリットはないが、障害で手首にも力が入らない藤田にとって、3号剣の軽さは武器となる。そして、対戦相手が経験したことがない距離感での試合展開に戸惑っている隙をついて、ポイントを重ねていくのだ。

 19歳の時に海の事故で障害を負う前、藤田はフェンシングの名門・平安高(現:龍谷大平安高)で剣を握り、龍谷大でもインカレなどで活躍した。当時のメイン種目はパワー系のエペだったが、車いすフェンシングに転向してからは繊細な技術で戦うフルーレに変更。ライバルのプレーを徹底的に研究し、緻密な戦略を立てる点では健常時代の経験値が活きる。

 そうして地道に技術面や戦術面を磨き、2018年のアジアパラ(ジャカルタ)では、男子フルーレ個人カテゴリーBで銀メダル、同エペ個人カテゴリーBとフルーレ団体で銅メダルを獲得。4号剣をメインにするという独自の戦い方を確立し、東京パラリンピック出場も叶えた。

「今から上に上がってやるぞ、と思っていた」

 その矢先に前述のルール変更により、これからは5号剣で戦うしかなくなった。

「僕の場合、5号剣を使うと剣の速度が遅くなり、力も分散されてしまうんです。握力が回復することもない。これまでのように道具の変化はできなくなったので、また新しい対策を立てる必要があります」

 東京パラリンピックの選考レースでは、ベスト16やベスト8の成績をおさめていたが、パリパラリンピックの選考レースではベスト32やベスト16に留まることが多くなった。「最近、4号剣を使っていた時代の動画を見返したんですけど、今の自分とは全然違うんです。ずいぶん弱くなってしまったな、と......。大会が終わるたびに、どうすればいいのかずっと悩んでいます」と、言葉を振り絞る。

 それでも、諦めることはしない。世界選手権やワールドカップを転戦するなかで、何か対策のヒントがないか、何か掴めないかと模索を続ける。トレーニング以外では、アタックする際の前後の動きを速くするイメージで車いすのセッティングを大きく変え、座面のクッションも変更した。

 また、今年9月には強豪・中国の上海のクラブチームへ行き、個人合宿も経験。そこでは、基礎練習に相当時間を割いていることに驚いたという。世界でメダルを獲るトップ選手も、まっすぐ突くといった基礎動作をずっと続けていたと振り返る。

「それを見て、自分は惰性で突いていたんだなと思いました。日本は選手が少ないので実戦練習が多いけれど、基礎固めがやはり大事なんだと痛感しました」

 それから1カ月間は、この基礎練習を繰り返すようにしていたといい、「まだ先は見えないけれど、この気づきが対策につながればと思っています」と藤田は言う。

 そんななか迎えた杭州アジアパラ競技大会は、浮上のきっかけになるかもしれない。藤田はフルーレで、5人総当たりの予選プールを2勝2敗で突破し、決勝トーナメントに進出。ベスト16となる1回戦では、予選免除のシードの角田成(電通デジタル)との日本人対決を15−11で制し、準々決勝に駒を進めた。

 そこで対戦したのが、中国の個人合宿で一緒に練習した秦本军(軍の異体字/QIN Benjun)だった。秦とは予選プールでも戦い、その時は0−5で藤田が敗れているが、この試合の序盤から1点を争う展開に持ち込んだ。リスクもあるが普段より距離を取り、2回、3回とフェイントを連続で入れてポイントを重ねた。後半はそのアタックで体勢が崩れたところを狙われ連続失点を許し、7−15で力尽きた。

「相手は世界選手権のエペで優勝している強い選手。合宿で一緒にトレーニングをしたのですが、彼の練習量と練習の質が圧倒的で、フェンシングへの向き合い方もしっかりしていた。彼には負けてしまったけれど、自分なりにいろいろ考えてプレーできたし、内容はわりと手ごたえがある」と振り返り、前を向く。

 この経験が、暗闇に射す一筋の光となるだろうか。パリパラリンピックの選考レースは来年の5月末まで続く。「世界ランキングは角田選手が上だし、各国の競技レベルがものすごく向上しています。来年のパリへの道のりが厳しいものであることは間違いないけれど、最後まで諦めずに頑張ろうと思います。次戦の12月のタイでのワールドカップではベスト8を目指します」

 絶望を嘆くより、希望を謳う。車いすフェンサー・藤田道宣の挑戦は続く。