背を丸め、前方に視線を定め、ヤマネコのように鋭利かつしなやかな動きで、ラケットを手にボールに飛びつく。

 打球が深く返れば迷うことなくネットへと猛進し、時に柔らかなタッチでボレーを沈め、時に豪快にスマッシュを叩き込んだ。

 初戦で世界31位のトマス・マルティン・エチェベリ(アルゼンチン)からツアー初白星を得た時も、そして2回戦で世界10位のテイラー・フリッツ(アメリカ)から大金星をもぎ取った時も、最後のポイントはスマッシュだった。

 相手のミスを待つのではない。幸運を願うのでもない。自らの手で、ウイナーを決めにいく──それが、ジャパンオープンでベスト4へと疾走した、望月慎太郎の哲学だ。


望月慎太郎はジャパンオープンでその名を一気に広めた photo by AFLO

 16歳になって間もない、2019年7月。

 彼は"テニスの聖地"のナンバー1コートで、咆哮を挙げた。小柄で細身な少年の、サーブ&ボレーを軸としたクラシカルなスタイルは、芝の上でよく映える。

 周囲は「日本人初のウインブルドン・ジュニア男子部門優勝」に、快挙だと沸き立った。ただ、その栄光の中心にいる当の本人は「快挙と言われても......」と、困ったように首を傾げる。

「世界の一番になりたくて来ている。こんなところで負けていられない」

 訥々と語るその言葉には、ドキリとさせられるほどの強い意志と渇望が宿っていた。

 それから4年──。

 今年6月の時点で世界ランク200位を切った望月の歩みを"順調"と見るかどうかは、難しいところだろう。唯一の確かな指標である本人の皮膚感覚は「苦しいところもありながら、毎回毎回、少しずつでもすごく成長している」であった。

 ただ、「プレースタイルへの自信も変わらなかったか?」と尋ねた時、彼の表情に逡巡の影がよぎった。

「そうですね......変わらないように努力しているところもありますけど。そこはもう本当に、貫いてやっていきたいと思っているんで。やっぱりいろいろと意見がありますし、自分でも考えたり迷ったりは自然と出てきちゃう。でもそこを、自分のテニスは何なのかって考えて」

 自分に問いかけるように、彼は一語一語を丁寧につむいだ。

【錦織圭も「才能ある選手」と認めるものの...】

 彼が打ち明ける「考えたり迷ったり」は、ジュニアからツアー、子どもから大人への移行期特有の悩みでもあるだろう。

 ましてや望月は、ジュニア時代から相手に応じ、戦略やプレースタイルを変えるタイプ。もちろん、攻撃性やネットプレーが軸ではあるものの、パワーで自身を大きく上回る相手に、その信念をどう貫くかが悩みの源泉だった。

 望月は13歳時に『盛田正明テニスファンド』の支援を受け、IMGアカデミーに留学している。同じ経路を歩んだ大先輩の錦織圭は、どこか自身と似た匂いを放つ天才肌の後輩について、今年8月末の時点で次のように語っていた。

「慎太郎は小さい頃からIMGで見ていて、活躍してほしい選手ではあるんですけど......何かもうひとつのピースがちゃんとくっつけば。自信だったり、重要なポイントでどうプレーするかが自分のなかでハマれば、簡単にポンポンと勝てるようになると思うんです」

 けど......と、やや間をおいて、こう続ける。

「才能のある選手なんで、いつかは来ると思います。ただ、それが来月に来るのか、2、3年後になるのか......そこがちょっと読めない選手かなと」

 錦織がそう予見していたころ、望月は北米のハードコートで苦しい戦いを強いられていた。

 今季は4月にクレーのATPチャレンジャー大会を制し、ウインブルドンでは予選を突破して本戦出場。だが、夏のハードコートシーズンに入ると「パワーのある選手にボッコボコに打たれて」太刀打ちできない試合が続いた。

 さらにアメリカとカナダのチャレンジャーでは、2大会連続で初戦敗退を喫する。本人曰く「自信もなくなっていた時期」。だがその頃......錦織の言う「ピース」を得る出会いが、望月に訪れていた。

「カナダのチャレンジャーには僕も出ていたので、その頃に慎太郎とご飯を食べたり、一緒にランドリーに行ったりと、けっこう話す機会があったんですよ」

 日に焼けた顔に柔和な笑みをたたえて語るのは、今回のジャパンオープンで望月の"コーチ"としてファミリーボックスに座った伊藤竜馬だ。

【現役の伊藤竜馬が望月のコーチに就いた理由】

 伊藤は現在、世界ランキング621位の35歳。ここ数年、ケガなどで試合から離れる日も多かったが、全盛期には60位に至った"世界を知る男"である。

「慎太郎自身は、大事なとこで勝負してエースを狙いに行きたいけど、そこがこの2カ月くらい、『ずっと入らない』と。その状況を聞いて、絶対にメンタルとリンクしていると思ったんです。

 そこのメンタルは、僕がすごい苦労してきた部分でもあったので、そういう自分の経験を伝えたり意見交換していたら、向こうも心を開いてくれて。僕の意見を聞いてくれるようになり、なんか友だちのような感じで話せるようになったのが、コーチに就いたきっかけですね」

 屈強なフィジカルと豪打を誇る伊藤だが、その内面は実に繊細だ。

 加えるなら、伊藤ほどにジャパンオープンで重圧を覚え、そして結果を残してきた選手もいない。2012年には、当時世界12位のニコラス・アルマグロ(スペイン)にストレート勝利。その2年後には、当時世界4位のスタン・ワウリンカ(スイス)にも快勝している。

 特に、伊藤にとっても忘れがたいのがアルマグロ戦。試合前日には不調と重圧が重なり、「試合がしたくない」と涙を流したこともある。

 その自身の過去も、「慎太郎に話しました」と伊藤は明かす。

「慎太郎に言ったんですよ、アルマグロ戦のこと。『前日の練習はボロボロで、俺、もうやめようとしたんやで!』って。それで開き直ってトップ選手に勝ったこともあるし、何が起きるかわからないと言ったら、『やっぱりそうですよね』みたいに聞いていました」

 伊藤から聞かされたこれらのエピソードは、ジャパンオープン直近のデビスカップ(国別対抗戦)で苦しい連敗を喫した望月の心を軽くしたかもしれない。

 伊藤が望月に伝えたことは「シンプル」だ。

「まず、迷わない。迷って打つショットは一番エラーしやすいので、しっかり振りきることの徹底です。あとは、慎太郎はミスを引きずることが多いので、それを引きずらず、シンプルに考えること」

 それらの助言は、字にするとシンプルだが、誰にどう言われるかで宿る力は変わるだろう。

【ジャパンオープンの5日間で掴んだ覚醒のカギ】

 試合中、コートサイドから「一緒に戦っている」姿勢を示す伊藤の言葉は、望月の迷いを掃う。セカンドサーブで試みるサーブ&ボレーも、相手をストロークで押し込み沈めるドロップショットも、ゆるがぬ決意の成果。そして対価として得るのは、確固たる自信だ。

 濃密な5日間で4試合を駆け抜けた望月は、覚醒のカギについて次のように言った。

「本当に今週に関しては、気持ちの面がすごく大きい。ここ最近、少し自信を失いかけていた試合があったので、まずは自分を認めるというか。自信を持って試合できた時が一番、自分をコート上で表現できるのだなと思いました」

 今回の活躍で「望月慎太郎」の名は広く知られ、今後は彼に向けられる周囲の目も変わるだろう。この先にもまだ、試練の時は訪れるかもしれない。

 それでも今回、東京で打ち立てた実績と得た戦果は、迷いそうになった時、望月の進む道を指すはずだ。