サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー11
平河悠(FC町田ゼルビア/FW)後編

◆平河悠・前編>>大学まで無名の存在「高校卒業後は普通に就職するつもりでした」

 プロになれるわけがない──。

 高校時代にはそんなことを考えていた平河悠だったが、山梨学院大の4年間で実力を蓄え、FC町田ゼルビア入り。プロ入りという夢を実現させたばかりか、1年目からチームの主力として活躍する大卒ルーキーを待っていたのは、自身も驚くU-22日本代表初選出だった。

 過去に年代別日本代表に選ばれた経験はなく、パリオリンピックを目指すU-22代表など、まったくの別世界。

 しかし、そこでも決して臆することなくプレーを続けた平河は、初招集以来、短い活動期間を過ごしただけであるにもかかわらず、確実に自身の存在価値を高めてきた。

 目覚ましい成長を遂げる22歳にとって、もはやパリオリンピック出場も十分に手が届く目標となっている。

   ※   ※   ※   ※   ※


平河悠(FC町田ゼルビア)2001年1月3日生まれ

── 今年6月のヨーロッパ遠征で初めてU-22代表に選ばれました。

「ビックリしましたね、正直。それもプロ(に入る経緯)の時と一緒で、(年齢的に)入れるチャンスはあっても、やっぱり経験がなさすぎて、『どうやったら入れるんだろう?』っていうくらいの気持ちだったので。

 ただ、すぐもう(遠征の)出発が迫っているっていうことで、ビックリはしながらも気持ちを切り替えていたのは覚えています」

── これが初の年代別代表選出でしたが、過去に選抜チームなどに選ばれた経験はあったのですか。

「早生まれ(2001年1月生まれ)なので、高2の時に高1の代の国体(佐賀県少年男子チーム)に入ったのと、あとは中学の時に県トレセンに入ったくらいです」

── だとすると、年代別代表に選ばれることなど現実味がなかった?

「まったくなかったですね」

── 高校や大学時代に、同年代のU-17やU-20代表をどう見ていたのですか。

「正直、年代別の代表の試合はほとんど見たことがないですね。興味がないわけじゃないですけど、自分はそこまでサッカーを見てこなかったというか、動画を見て勉強するより自分でボールを触りたい人だったので。

 A代表の試合は見ていましたけど、年代別はテレビ(での中継)もあまりなくて見る機会がなかったので、自分が入るまでは意識することはなかったです」

── 実際に入ってみた印象は?

「海外へ行くのも初だし、ほぼ全員が初対面でしたけど、あまり緊張はしなかったです。逆に全部が初めてすぎて、気負わずに自分なりにサッカーができて楽しめました。

 でも、年代別代表は(下の年代の時から選ばれ続けている選手が多く)メンバーが変わらないので、グループができているというか、みんなずっと同じチームのようにやってきている。自分はそこに溶け込むことに手こずりました。そういうコミュニケーションのところは、今後の自分の課題かなと思います」

──「海外へ行くのが初」というのは、プライベートな旅行も含めて、ですか。

「そうです。パスポートも初めて作りました(笑)」

── 代表招集が決まって、慌ててパスポートを作った、と。

「ギリッギリでした。1週間後に(遠征に)出発なのに(パスポートができるまでに)1週間かかるって言われて......、終わったと思いました(苦笑)」

── その海外初対戦の相手がイングランドで、現在アーセナルで10番を背負うエミール・スミス・ロウをはじめとする豪華メンバーだったわけですね。

「自分は海外の選手も全然知らないので、誰がすごいとかはわからなかったんですけど、プレミアリーグの選手ばかりだとは聞いていました。相手がうまいのは承知のうえだったので、逆に自分のプレーをするだけかなって思っていました」

── 同じ遠征で対戦したオランダも含め、同年代のヨーロッパのトップレベルと対戦して、どんなことを感じましたか。

「やっぱり海外の選手は体の作りが違うなっていうのは感じました。とにかく速いし、強い。特にイングランドとかオランダには、そういう能力に長けている選手が多かった印象はあります。海外(のクラブ)に行った日本人選手が試合に出られないとか、難しい状況になるのはそういうところ(が理由)なんだろうなっていうのも感じましたし。

 自分もそうですが、特に対人でのスピードを特長とする選手が海外に行った時は、たぶんその特長が出にくくなると思うんで、そういう時にどうプレーするのかっていう意味でも、今、日本にいる間にプレーの幅を広げておく必要があるのかなって思います」

── その一方で、手応えもあったのではないですか。

「特に6月(の遠征)はそうでしたが、初めて(の招集)だったし、チームのやりたいことを理解したうえで、やっぱり生き残るためには自分のプレーを出すことが大事だと思いました。遠慮していてもどうにもならないな、と。

 だから、自分の特長を出そうとしたし、そういった意味では通用した部分のほうが多かった印象はあります。ただ、イングランド戦に(先発で61分まで)出たあとのオランダ戦は少ししか出られなかった(73分から途中出場)ので、アピールできていないのかなっていう印象もちょっと残りましたね」

── だからこそ6月の初招集を経て、9月のU-23アジアカップ予選のメンバーに再び選ばれたことは大きかった。

「そうですね。6月(のメンバー)に入ったからには、そこ(次の活動となる9月のU-23アジアカップ予選)を目指そうと思っていました。6月がいいパフォーマンスだったかどうか、自分ではわからないですけど、(大岩剛監督に)認められたのかなとは思います」

── U-23アジアカップ予選はヨーロッパ遠征と違い、対戦相手のレベルはともかく、パリオリンピックにつながる公式戦でした。アジアならではの難しさも含めて、どんなことを感じましたか。

「より緊張感もあったし、国を背負う責任を強く感じた試合でもありました。3試合あったのに1試合しか出られない悔しさも味わえたし......、自分の実力や立ち位置とかもわかった大会でしたね。またひとついいものを積めたなって思ったし、もうひとつ上でやりたいっていうのも感じました」

── 町田と並行して、代表活動をこなす大変さも味わっているのではないですか。

「ここでやることと、代表でやることのサッカーのスタイルやコンセプトが違うということに慣れるのが、まず難しかったです。ポジショニングや動き出しなど、チームとしてやりたいことに差があるので。自分のなかでは、そこが難しかったポイントかなって思います」

── もうパリオリンピック出場は現実的な目標になっていますか。

「そのメンバーに食い込んでいくのもそうですけど、食い込んだ時に試合に出て活躍するまでが代表に選ばれる意味だと思うので、そのためにも今のままじゃダメだと思うし、もっと実力と自信をつけていきたいなと思います」

── 11月には国内(IAIスタジアム日本平)でアルゼンチンU-22代表との試合があります。身近な人たちにも代表でプレーする姿を見てもらえるチャンスでは?

「サポーターも含めて、かなり多くの町田の人たちが応援してくださっているので、自分が代表で活躍することは、その人たちへの恩返しになると思っています。それによって町田にはこういう選手がいるんだって、より注目が集まると思うし、そういった意味でも代表で結果を残して名前を広めたいなって思います」

── パリオリンピック以降も含めて、今後のサッカー人生における目標は?

「とにかく今年はふたケタ(のゴールを)獲るというのが最初の目標だったので、最後までそこを目指す。そして将来的には、ここまで来たからにはA代表に入って活躍するのが、自分のサッカー人生においての目標なのかなって思います」

── 昨年のワールドカップは見ていましたか。

「見ていました。やっぱり、ああいう舞台に立てる人は限られているし、テレビで見ているすごい人たちでも(登録メンバーから)落選してしまう難しさがあると思うので、まずはそこに食い込んでいける実力を自分はつけたい。サッカーはそれだけの実力があれば楽しめると思うので、もっとうまくなりたいなって本当に思います」

── "テレビで見るすごい人たち"から影響を受けたプレーはありますか。

「最近は、三笘(薫)選手のドリブルですね。ボールの持ち方もそうですし、すごい要素ばかりなので、そこは参考にしています」

── 年代別代表に選ばれたことで、A代表に対する意識も変わりましたか。

「今のU-22代表の人たちがA代表の(中心となる)年齢になった時、自分がA代表に入るためには自分たちの同年代に負けないようにすることも、必要なことなのかなと思っています」

<了>


【profile】
平河悠(ひらかわ・ゆう)
2001年1月3日生まれ、佐賀県鹿島市出身。佐賀東高3年時に出場したインターハイでのプレーをきっかけに卒業後は山梨学院大に進学。東京都1部リーグで3年連続得点王に輝く。在学中にFC町田ゼルビアの特別指定選手となり、2021年12月のアルビレックス新潟戦でJリーグデビュー。昨年はU23アジアカップ予選に出場するU-22日本代表メンバーに選ばれた。ポジション=FW。身長171cm、体重68kg。