町田ゼルビア快進撃に不可欠なルーキー、平河悠は大学まで無名の存在「高校卒業後は普通に就職するつもりでした」
サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー11
平河悠(FC町田ゼルビア/FW)前編
大卒選手の台頭が著しい昨今のJリーグにあって、またひとり、大卒ルーキーが際立つ活躍を見せている。
FC町田ゼルビアの平河悠である。
平河は今季、出場停止とケガとU-22日本代表への活動参加による欠場をのぞけば、J2の試合にほぼ出場。新人ながら33試合出場5ゴールと、J2首位を独走する町田にあって不可欠な戦力となっている(第38節終了時点)。
とはいえ、堂々たるプレーを見せる平河も、出身は東京都1部リーグ所属(当時)の山梨学院大。佐賀東高時代はおろか、大学時代でさえ無名の存在だったと言っていい。
にもかかわらず、大学3年にして町田入りの内定を手にすると、大学在学中の2021年に1試合、2022年に16試合と、町田の強化指定選手として早くもJ2に出場。晴れてプロとしてのルーキーシーズンを迎えた今季、その出色の働きは前述したとおりだ。
エリートとは対照的な道を歩んできた平河は現在、地道に積み上げてきた自らの実力で驚異のサクセスストーリーをつむいでいる。
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平河悠(FC町田ゼルビア)2001年1月3日生まれ
── 今季J2で33試合出場5ゴール。1年目でのこの数字をどうとらえていますか。
「昨年も(強化指定選手として町田に)いたので、2年目という感覚も少しありますが、シーズン前に自分が描いた目標を叶えながらここまで来ています。
でも、そのすべてが叶ったわけでもないし、個人としてもっとレベルアップすることは必要だと思うので、そういうところを残り試合で求めていきたい。まずはチームとして優勝できれば、と思います」
── シーズン前はどんな目標を掲げていたのですか。
「もちろん(J2全試合の)42試合に出場することがいいですが、ケガやチーム状況などもあるので、8割の34試合(出場)という数字を自分のなかで決めていました。そこはもうすぐ達成できるので、それ以上を求めてやりたいし、得点も目標にしていたふたケタにのるように最後まであきらめずにやって、アシストも含めて、ゴールに数多く絡めればいいかなと思います」
── 今季は右MFでの出場機会が多いですが、これまでの5ゴールを振り返ると、左サイドからの得点が多い。自身のポジションについてはどう感じていますか。
「左サイドの時にゴールを決めているのは、カットインから打ちやすいというのはあると思います。でも、自分としてはどっちもやりやすいので、左右差はそれほどない。大学では主に(3トップの)右でやっていた分、両サイドで決めることができると思うので、そこをもっと体現できればいいかなと思います」
── 大学時代は東京都1部リーグで2、3、4年時に3年連続得点王になっています。もっとストライカー的な役割だったのですか。
「そもそも(J2と大学では)レベルが違うというのもありますが、チームやチームメイトからの信頼も大きく、ボールが集まっていたというか、最後は自分に決めさせてくれる形がチームとしてあった分、点を獲りやすかったというのはあったかなと思います。
ディフェンスを1枚はがして決めるのが自分の一番のストロングであり、得意とするプレー。相手をはがして決めきる力を大学でつけた部分はあるので、そこをもっと体現できればいいのですが、そういうケース自体が大学時代に比べると減っているので......。これからそういうところを出していければいいかなって思います」
── J2第18節・徳島ヴォルティス戦ではイエローカード2枚を受け、退場も経験しましたね。
「レッドカードは(サッカー人生で)初だったので、あのシーンは『やっちゃった!』と思いました。1-0で勝っている状況でああいうプレー(背後からのファウル)をしてしまったことを、まずは反省しています。あれをきっかけに、さらにファウルやイエローカードに気をつけてプレーするようになりましたし、サッカー人生においてひとつの大きな学びだったかなと思います」
── ファウルになったとはいえ、高い守備意識ゆえのプレーだったとも思います。
「攻撃でも、守備でも、自分は対人プレーが好きなので、守備ではボールを奪うシーンを作れている。そういったところをサボらずやれていることはプラスに働いているんじゃないかなって思います」
── 高い守備意識はプロになって身につけたものですか。
「黒田(剛)監督に言われる分、頭のなかで(意識が)強くはなっていますけど、守備は大学時代から得意でした。(昨年町田を率いたランコ・)ポポヴィッチ監督からも守備についてはよく言われていましたし、昨年はサイドバックで出るケースも多かったので、よく考えるようになりました。それで守備能力も高くなったかなと思います」
── 小さい頃から攻撃的なポジションだったのですか。
「サッカーを始めたころから、点を獲るポジションにいましたね」
── その頃からプロサッカー選手になりたかった?
「小学生の頃は思っていなかったですね。小、中、高と来て......大学くらいから考え始めました」
── 大学で活躍して、これならプロになれるのではないか、と。
「都リーグで活躍していても、スカウトの人に見てもらう機会があまりなかったんです。大学3年のアミノバイタルカップ(関東大学サッカートーナメント)で関東1部、2部(の大学)と試合をし、その時に町田の関係者の人が見てくれたのかなと思います」
── 出身の佐賀東高も全国大会に度々出場する強豪校ですが、そこでプレーしていてもプロは現実的な目標ではなかったのですか。
「高校時代も目指していなかったわけではないですが、口だけだったのかな、と。ちょっと遠いというか、現実味がなかった。自分とプロのプレーを比較しても、逆に(自分がプロに)なれるほうがおかしいって思っていたので。山梨学院大から声をかけてもらうまでは普通に就職するつもりでしたし、サッカーも草サッカー程度のチームでしかやっていなかったと思います」
── 結果的には大学経由でプロになれたばかりか、大学3年時に早くも町田入りが内定しています。
「まず(町田の)練習参加に誘われた時、ちょっとびっくりしたのは覚えています。練習に参加して、その2週間後くらいにはオファーをいただいて、そのときに初めて『本当にプロになれるんだ!』っていう実感が湧いたというか......。
その後も(他クラブから)オファーがあるかもしれないので、ここで一旦ステイして(大学4年になる)来年までJ1(からのオファー)を待つかっていうことも考えました。ただ、3年のうちに最初のオファーをもらったクラブ(町田)に行って恩返しをしたいと思ったのと、ちょっと自分にプレッシャーをかけるっていう意味もあって、すぐに返事をしました」
── 大学4年だった昨季も、町田の強化指定選手としてJ2で16試合に出場。ふたつの活動をどう両立させていたのですか。
「大学のリーグ戦が4月2日開幕だったので、3月いっぱいまで町田で活動して、開幕に合わせて大学に戻りました。その後は行ったり来たりとなり、大学の試合が1週間空いたら町田へ来たり、試合の日が水曜と土曜でズレていたら3日間だけ来たり。コロナで(大学の)試合が延期になった時には、すぐに町田へ来たこともありましたし、2、3日刻みで行ったり来たりしていました」
── 掛け持ちは大変でしたか。
「かなり大変でした。大学に集中している時に、次の日には急に町田の分析に頭を切り替えなければいけなかったりしたので。そんなに(大学と町田の距離が)近いわけでもないので、移動疲れも多少なりともありました」
── そうした苦労があっても、高いレベルでやりたかった。
「そうですね。大学では関東2部リーグ昇格という明確な目標があったので、それを達成したい気持ちもありました。一方で、自分がより高いレベルで成長するためには、町田でやりたいっていう気持ちもありました」
── そのなかで関東2部昇格を果たして卒業できたことには、達成感もあったのではないですか。
「理想は(自分の在学中に)関東1部まで持っていきたかったですけど、(大学2、3年の)2年間は入れ替え戦を勝ち抜けませんでした......。最低限(の目標達成)でしたけど、最後の年で上げられたのは、ひとつの置き土産になったのかなと思います」
── プロ1年目も終わりに近づいていますが、シーズンを通して試合に出続けたからこそ感じたこともあるのではないですか。
「大学時代と違いレベルがかなり高いので、点を獲ることの難しさや、獲れないことの悔しさは、今年一番痛感しています。
ただ、そういう時でもブレずに自分の特長を出し続けることが、試合に出るためにはやっぱり大事なこと。1年目からこれだけ試合に出させてもらって、こういう経験ができていることに感謝して、自分の実力をつけていくしかないと思っています」
── プロになれるわけがないと思っていた高校生が、いよいよ来季はJ1でプレーできるところまで来ています。
「楽しみですね。たまたまじゃなく、自分が過信せずに少しずつ実力をつけてきた分、それが自信につながっている。これからもそれを毎日積み上げていけば、J2、J1、さらにその先っていうのも達成できると思うので、あまり先を見ず、目の前の試合や練習にこだわっていくことが大事なのかなって思います」
(後編につづく)
◆平河悠・後編>>U-22代表選出に驚き「パスポートを初めて作った」
【profile】
平河悠(ひらかわ・ゆう)
2001年1月3日生まれ、佐賀県鹿島市出身。佐賀東高3年時に出場したインターハイでのプレーをきっかけに卒業後は山梨学院大に進学。東京都1部リーグで3年連続得点王に輝く。在学中にFC町田ゼルビアの特別指定選手となり、2021年12月のアルビレックス新潟戦でJリーグデビュー。昨年はU23アジアカップ予選に出場するU-22日本代表メンバーに選ばれた。ポジション=FW。身長171cm、体重68kg。