南雄太はなぜ44歳まで戦えたのか 黄金世代のGKが引退発表の胸中を語る
<ピッチに立って何ができるか? 自分に価値はあるか? クオリティはあるか?>
南雄太は、いつだって自問自答しながら26年間の現役生活を戦ってきた。彼だけの基準が、"正義"があった。
南はJリーグのGKとして、カップ戦を含めると700試合以上、ゴールマウスを守ってきた。柏レイソル、ロアッソ熊本、横浜FC、大宮アルディージャで、それぞれハイライトになる瞬間を作った。今や44歳になるレジェンドGKだ。
ただ、本人は年齢の話を向けられてもピンとこなかった。むしろ、「50歳まで現役を!」と、年齢で自分のプレーを語られることに違和感を覚えていた。なぜなら彼は年齢と関係なく、自分の正義で戦ってきたからだ。
当然、それができなくなったら、"現役に幕を閉じよう"と心に決めていた。彼は最後の最後まで、自分を裏切らなかった。10月19日、南は現役引退を発表している。
現役引退を発表した南雄太(大宮アルディージャ)。写真は天皇杯、セレッソ大阪戦
分岐点は、9月24日の徳島ヴォルティス戦だったという。
この一戦、ファーストGKがインフルエンザで欠場が決まり、セカンドGKだった南にお鉢が回ってくるはずだった。ところが監督に呼ばれ、サードGKの起用を告げられた。その時、監督やコーチへの反発心は湧かなかったという。
「情けない。ここで試合に出られない自分には価値がない」
彼は自分自身に失望したと言う。
昨年5月、南は右足アキレス腱断裂という全治6カ月半の重傷を負っている。年齢的に考えても、すぐに引退を決断するレベルだった。たとえば、38歳でシーズン開幕直前に前十字靭帯を切ったダビド・シルバは引退を決意している。それだけの大ケガの場合、復帰してから完調になるまで約1年は時間がかかり、同じようなプレーができるかも不透明だ。
しかし、南は復活を遂げた。
「片足ジャンプは代用できないのでキツかったですね」
南は言う。
「右足の感覚はなかなか戻らなくて、ジャンプすると、地面から出てきた人に引っ張られているような感じなんです(苦笑)。跳んだ、と思ったところで、ストンと落ちるというか。"これまでの自分とは違う"というのは、やはりストレスでした」
【「やめるな」と言われてスッキリ】
しかし徳島戦に向け、ようやく調子が戻ってきた手応えを感じていた。しかし、それは自分の感覚でしかなかった。そして、チームの連勝を目の当たりにした。
「今までだったら掴み取っていたチャンスでした。引退という言葉が、初めて頭をよぎるようになりましたね。現役を続けるつもりで、クラブにも意志を伝えていたんですが......」
南は当時の心境を説明する。
「一時の感情じゃないか、とも思いました。それで信頼できるキタジ(北嶋秀朗)、松本拓也(GKコーチ)という2人に相談した。2人は案の定、『まだやれる』って励ましてくれました。キタジは、『いつもはやめないほうがいいとは言わない。それは大きな決断だから。でも、お前にはやめるなって言うわ』と言ってくれて、嬉しかったです。でも、そう言ってもらえてスッキリしちゃって」
反骨心は湧いてこなかった。決心した彼は、妻に決断を伝えた。
なぜ、彼は44歳まで最前線で戦えたのか?
南は18歳の高卒ルーキーで、いきなり柏レイソルのゴールマウスを任されている。恵まれた環境で、「やっている、と自分では思っても、やっているレベルが低かった」と言う。そしてライバル、菅野孝憲との争いでポジションを失ったとき、彼は再起を期して移籍を決めた。
「スゲ(菅野)との2年間で、自分に矢印が向きました。あれがなかったら、今の自分はないですね」
南は言う。
「ポジションを失って、『プレースタイルが違うから』とか、『監督が変われば』とか、言い訳を作っていたんです。でも、ピッチに立っていたのはスゲで......。それには理由があって、自分に何かが足りないから、ピッチに立てていない。それを認識できました。そこからはプライドを捨てるじゃないけど、ピッチに立つため、スゲを観察し、盗めるものは盗もうって。それで成長できたところはあって、今も変わらず、18、19歳のGKでも、"教えを乞い"ますよ(笑)」
J2ロアッソ熊本での1年目は、J2最高のGKと言われる活躍だった。そして30歳から、時間を逆行させるような成長曲線に入る。34歳で横浜FCに移籍後、見事にJ1昇格の立役者になった。そして40歳で再びJ1でプレー後、42歳で大宮アルディージャに移籍し、降格の危機を救ったのだ。
【『79年組』に伝える気持ち】
「自分のキャリアをグラフにすると、ずっとアップダウンですから」
南はそう言って苦笑する。
「三十代後半からは、ずっと年齢のことを言われて。だからこそ(ライバルに)少しも隙を与えちゃいけないとは思いました。練習は、少々痛めていても、休まない。監督に理由を与えることになりますからね。"将来のある若い選手にチャンスを"という流れができる(苦笑)。GKはたったひとつのポジション。FWなら途中出場でアピールとかあるんですが。でも、その危機感がずっと自分を突き動かしてきたのもあると思います」
南はプロ選手として戦い続けるため、あらゆる手を尽くしてきた。練習後、全身をアイシングして歩いていると、「ロボットのようだ」と笑われる。どうしてそこまで必死になれるのか。そう言われても、少しでもケガしないようにするのは当たり前だろ、と彼は思うのだ。
「カズさん(三浦知良)、俊さん(中村俊輔)と一緒にプレーし、間近で見たことも大きかったですね。彼らは24時間、サッカーのために生きていて、ここまでやるかって思いましたから」
そんな彼も濃厚にサッカーを生きたひとりだ。
1999年のワールドユースで準優勝した南は、いわゆる"黄金世代"のひとりである。世代の先頭を走ってきた小野伸二も、同じく今シーズン限りでの現役引退を発表した。24人で構成する『79年組』というグループラインで、引退発表前日に小野もそこで仲間たちに気持ちを伝えていた。南も、「そのつもりです」と洩らしていた。
「お世話になった方々には、引退の報告を発表前にしようと連絡を入れています。リストを作りましたよ。でも電話で久々に話すと長くなって、なかなかはかどりません」
そう言って快活に笑った顔には、少しの曇りもなかった。彼のように戦いきって幕を下ろせる選手は、ひと握りだ。
「(79年組の)曽ヶ端(準)には電話で伝えようと思っていますよ。あいつが引退する時も電話くれたんで」
それは彼らしい律儀さか。あるいはGK同士だけの呼吸だ。