斎藤佑樹の心を蝕んでいった「函館のトラウマ」 真っすぐをストライクゾーンに投げることが怖くなった
2012年5月12日、プロ2年目の斎藤佑樹がこのシーズン、7度目の先発となるライオンズ戦のマウンドに上がった。開幕投手を務めて以来、ローテーションを守り続けていた斎藤はハーラートップとなる4勝をマーク。この日も3連戦のカード頭を当たり前のように任される。舞台は、北海道沖の低気圧の影響でオホーツク海側としては16年ぶりの遅い積雪を記録した、寒い函館──しかも風の通り道として知られるオーシャンスタジアムだった。
2012年5月12日の西武戦で2回途中9失点でKOされた斎藤佑樹
函館で投げたのは曇っていて陽射しがなく、すごく風の強い日でした。電光掲示板の上に掲げられていた旗が、引きちぎられんばかりにはためいていたのを覚えています。試合前に屋内のブルペンで投げた時も、試合直前に外野で遠投をした時も、いい感じで投げられていたんですが、マウンドに立ったらホームからセンター方向へ強烈な向かい風が吹いていて、ビックリしました。
気温はそんなに低くなかった(正午は12度、風速は秒速9メートル)と思いますが、グラウンドを風が吹き抜けていく感じがして、やたらと寒く感じたんです。マウンドに立った時、試合前につくったイメージとのあまりの違いに戸惑いました。
ライオンズのトップバッターは栗山(巧)さんです。初球、アウトローを狙って真っすぐを投げましたが、インコースに外れました。2球目、またもアウトローを狙った真っすぐが、今度は高めに浮きます。3球目もストレートが暴れて、栗山さんの懐へと外れてしまいました。これでスリーボール、ノーストライクとなります。
僕はこのシーズン、いい感じのフォームで投げられていたこともあって、ストライクをとることに苦手意識はありませんでした。2球投げればストライクが1つはとれる"1−1(ワンワン)ピッチ"を徹底することができていて、優位に立ってきたんです。
ところがこのあと、栗山さんをストレートのフォアボールで歩かせます。おそらくこのシーズン、4つともボール球を投げたフォアボールは初めてだったんじゃないかな......僕はあのフォアボールに想像以上のダメージを受けてしまいました。そんなに調子が悪くなかったはずなのに、4球連続でボール球がいって、どこかがおかしいと思ったんです。わずか4球でしたが、あの4球で何かを変えようとしたことで、それまで自然にできあがっていたリズムを崩したんだと思います。
1回、栗山さんを歩かせたあと、満塁のピンチで(6番のエステバン・)ヘルマンにインコースへのストレートを詰まりながらライト前へ運ばれてしまい、2点をとられてしまいました。さらに(7番の)大粼(雄太朗)さんにも高めのストレートをライト前へ弾き返されて、さらに2点。2回にはショートの飯山(裕志)さん、ライトの糸井(嘉男)さんという守備の名手に、よもやのエラーが続きました。秋山(翔吾)にもライトオーバーのスリーベースヒットを打たれて、最後はせっかく捕ったピッチャーゴロを僕自身がサードへ悪送球。これで9点目を失って、もう、悪い流れを食い止めることはできませんでした。
2回途中でのノックアウト......あの試合は、とにかくショックでした。ピッチャーとしての恐怖心を植えつけられてしまったというか、どうしたらいいのかわからないということがあり得るんだと思わされた試合でもありました。やたらと打たれまくりましたし、自分のミスもあった。
【植えつけられた恐怖心】試合が終わったあと、吉井(理人、当時のピッチングコーチ)さんに「犬のフンを踏んだと思いなさい」と言われて、最初はその言葉の意味がよくわかりませんでしたが(苦笑)、よくよく考えたら歩いていて犬のフンを踏むことなんてそうそうあることじゃないんですよね。踏んでしまったとしても何かが変わるわけじゃないし、だったら忘れてしまえばいい、という意味だったのかな、と......吉井さんは「全部を水に流せばいい」と言ってくれたんです。
もちろんそんなふうには思えませんでしたが、「過ぎ去ったことだから、あの試合を踏まえて、何かを変えるとか、そんな必要はない」「とにかくこの試合のことは忘れなさい」という吉井さんの言葉には本当に救われました。
よし、忘れようと思いましたが、人間、あれほどのショックをそう簡単に忘れられるはずがありません。植えつけられた恐怖心は、僕のピッチングをすごく慎重にしてしまいました。真っすぐをストライクゾーンに投げることへの恐怖心......今となっては、それがいつしか僕の心を蝕んでいったような気がします。
その後、交流戦でカープの(ルーキー、この時点でリーグトップの防御率を誇っていた)野村祐輔(斎藤より1学年下で明大卒)と投げ合った時には、手応えのある内容のピッチングができました。
ともに7回で交代となって、試合は0−1で負けてしまいましたが、あの時は函館での9失点のピッチングを払拭できたのかなと思いました。でも、その次のドラゴンズとの試合(5月25日、札幌ドーム)で函館の記憶が蘇ってしまいます。それはドラゴンズ打線が意外なアプローチを仕掛けてきたからでした。
ドラゴンズ打線は僕の低めの球を捨てて高めに絞ってブンブン、強振してきたんです。荒木(雅博)さん、森野(将彦)さん、(トニ・)ブランコ、谷繁(元信)さん、井端(弘和)さんも......和田(一浩)さんに至っては高めのボール球にも手を出してきました。フルスイングのほとんどがファウルになっていたんですが、ドラゴンズの高めへのアプローチは徹底していました。
この高めへのフルスイングには、ボディブローのようなダメージを与えられた気がします。高めに投げるたびにフルスイングされるというプレッシャーが、僕のピッチングを慎重にしてしまいます。低めを突こうとしてストライクが入らず、ストライクをとろうとして、それが高めに浮くとフルスイングされる......結果的にファウルになっているんですからそんなに恐れることはないはずなのに、どうしても意識が低めに向いてしまうんです。
そうなると、ストライクを先行させるのが難しくなります。初球、ポーンとストライクがとれていたのはプロのバッターとの距離感がつかめて、ストライクゾーンに投げてもそう打たれるものじゃないという余裕を得たからでした。その気持ちのゆとりがいいリズムにつながっていたのに、函館でのトラウマが僕のピッチングを慎重にさせて、狂わせてしまったのかもしれません。
ドラゴンズとの試合では5回を投げきったところで100球を超えて(109球)、6回途中で5失点のノックアウト。最後は投げる球がなくなってしまった感じでした。
【失意の斎藤佑樹を救った吉井理人の言葉】一軍でローテーションを守って投げていると、どうしても調子の波が出てきます。この前は悪かったのに次はいいピッチングができたとか、逆にいいピッチングをしたその次がおかしくなるとか......そんな時期、僕はまた吉井さんの言葉に救われます。
いい時と悪い時がハッキリしていた頃、吉井さんが僕のところにフラッと寄ってきて、「佑ちゃん、たいしたもんやで」と言うんです。僕は何を褒められたのかわからずにいたら、吉井さんが「普通は3週間がいいとこやからな」と続けます。何が3週間なのかなと思ったら、吉井さんはその意図をこう説明してくれました。
「ピッチャーの調子の波ってな、3週間のサイクルやと思うねん。どんなにいいピッチャーでも、いい調子を持続するのは3週間がいいところや。でも佑ちゃん、開幕してからずっと調子落ちへんもんな。だから、たいしたもんなんや」
その言葉を聞いて、うれしくなりました。吉井さんの言葉って不思議な説得力があるんですよね。5月の頭(4日)に4勝目を挙げて以来、函館でメッタ打ちを喰らって、広島で好投しながら野村に投げ負けて、ドラゴンズにノックアウトされて、5月末(31日)の神宮でのスワローズ戦では早々に交代を告げられました。勝てない1カ月にモヤモヤしていた時だからこそ、そういう言葉に励まされました。
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ローテーションを守るピッチャーにとっての1カ月は"5日"にすぎない。それがプロのローテーションを担う先発ピッチャーの難しさでもある。2012年6月6日、斎藤は1カ月ぶりの勝利を目指して札幌ドームのマウンドへ上がった。相手はカープ、投げ合うのはふたたび野村。そしてこの日は斎藤の24歳の誕生日だった。1カ月ぶりの勝利をつかんだ斎藤は、お立ち台であの"言葉"を口にする──。
(次回へ続く)