元バレーボール日本代表
石井優希 引退インタビュー(後編)

前編:石井優希が初めて中田久美監督に言い返した日>>

今年の6月30日付で引退をした元バレーボール日本代表の石井優希に、改めてバレーボール人生を振り返ってもらった。昨年夏にインタビューをした時には、「引退についてはまだ決めていない」と話していた、引退までの経緯や、今後の活動、結婚についても聞いた。


引退後もバレーボールを盛り上げていきたいと語った石井優希

◇◇◇
 東京オリンピックは新型コロナウイルスの蔓延で1年の延期となり、それを受けて久光スプリングスでチームメイトの新鍋理沙が引退を表明した。

「プレーヤーとしては数字に現れないところも含めて、本当に欠かせない存在でした。それだけに引退発表にはびっくりしましたが、理沙さんの性格上、決めたらそうなんだろうなと思いました」

 石井自身も今後のキャリアを考えると1年の延期は大きく感じた。若ければより成長する時間ととらえられるが、29歳だった石井にとって、自身が衰える前に少しでも早く戦いたいという気持ちがあった。

「私のプライドとして代表を落とされるのは絶対に嫌だったんですけど、当時の自分のパフォーマンスで戦いきれる自信もなかった。だったら潔くコロナで中止にしてくれたらいいのになって......」

 石井さんはここで言葉に詰まり、涙ぐみながらこう続けた。

「1年延期になって自分の状態も上がらないままでしたが、12名に選んでいただいて。状態が上がりきってないなかでも選んでもらったのは、私にはプレー以外のところでの役割も求められているのだろうと思いました」

 東京オリンピックでは古賀紗理那が初戦でケガをして、石井が急遽出場となった。その時の心境は、「私は紗理那の代わりじゃない。やれることを全部出しきろう」というものだった。当時、石井は東京が最後のオリンピックになるだろうと考えたことで、のびのび戦えたと振り返る。

 予選ラウンド敗退という結果は残念だったが、石井自身はやりきったと後悔はしていない。

「チームに戻ったときに今の代表のコーチの川北元さんがデンソーの監督をされていて、Vリーグ期間中に会場でお会いした時に『日本のために戦ってくれてありがとう』って言ってくださった。結果があんなだったのにそういう言葉をかけてくれたことがうれしくて、そう見てくれている人もいるんだなと思ったら少しラクになれたのを覚えています」

 こう振り返るようにやりきった思いと失意が入り交じるなか、久光はチームとして久しぶりにリーグ優勝を果たした。

 石井も「久光でもう一度優勝する」という気持ちは強かったが、昔のようにスタートからの起用にはこだわらなくなった。優勝した2021−22シーズンは、どんどん若手を使って経験を積ませ、いざというときにサポートするような立ち位置がよいと酒井新悟監督と話をした。自分のそれまでの経験を若手に伝えたり、自分が出たときに見て学んでもらえたり、またバレーが楽しいと思えたシーズンだったという。

「ずっと連勝していたころの優勝と気持ちが全然違いました。Vリーグの決勝の2戦目が両チームにコロナ罹患者が出て中止になったうえでの優勝だったので、あまり実感はなかったんです。そういうこともあり、2021年12月の天皇杯優勝が一番うれしかった。五輪前の年とその前が7位8位だったので、正直、『優勝、またできたんだ』と、びっくりしたところもありました」

 この時に、「やりきった」と思えたことで引退を決意した。

【引退後もうれしいことばかり】

 引退後の現在は久光とマネージメント契約をし、バレーボールの普及や久光が現在拠点とする九州で盛り上げる活動をしている。解説については「元々しゃべりが得意なほうではなくて本当に語彙力もないので難しいなと思って、いつもゆっくり考えながらしゃべるんですけど、解説はボールが常に動いていて振られたときにパッと答えないといけないから、それが難しいですが、これも経験ですね」と微笑んだ。

 今年度のネーションズリーグ名古屋大会では、同期の長岡望悠選手がベンチ入りはしないながらも帯同し、取材者として会場を訪れた石井とこんなほのぼのとした会話が繰り広げられた。

石井「なんかこんな立場で会うの、変な感じ(笑)」
長岡「ほんとだね! なんか妙な気持ち(笑)」
石井「がんばってね!」
長岡「うん、がんばるね!」

 そして長岡選手の5年ぶり国際大会復帰の試合で、石井さんは解説を務めた。

「うれしいですよね。(長岡選手は)ケガが多かったので、復帰もその分多かった。でも毎回、望悠には感動させられて。Vリーグでの復帰もそうだったけど、今大会の復帰もうれしくて。活躍するのはもちろんうれしいんですけど、また日本を、日の丸を背負って戦ってくれているだけでうれしかった。その復帰戦に自分も直接携われたことがすごくうれしいです」

 バレーボール教室にもゲスト的な役割で関わっていけたらと考えている。伝統あるママさんバレー大会にも早々と声をかけられ、多くのオリンピアンの先輩たちと汗をかいた。「幅広い内容のお仕事を頂いているなかで、こんなに早く自分がまたプレーするとは思ってなかったですが、レジェンドのみなさんや相手チームのママさんとバレーができてすごく楽しかったです。ママさんのルールでバレーしたのは初めてだったので、新鮮な気持ちでした」

【心に残る試合と監督について】

 バレー人生を振り返って印象に残っている試合を聞くと、少し考えながらこう答えてくれた。

「まず1つ目は、2015年に久光がアジア代表として出場した世界クラブ選手権でのエジザージュバシュ(本拠地:イスタンブール)戦です」


コロナ禍でもチームで結果を残した

 相手は優勝候補だったが、粘ってこのチームを破ったことは自信につながったと振り返る。

「2つ目は2021−22シーズンでファイナル進出を決めた、東レとのゴールデンセット(25--23)。その日は久光の状態があまりよくなかったんですけど、ゴールデンセットの前の15分の空き時間で切り替えられて、楽しく試合ができました」

 なかなか絞るのが難しいと言いながら、もうひとつ挙げるとすれば、これも東レとの試合になるが、2014−2015シーズンの開幕戦だという。東京体育館で行なわれた開幕戦にフルセットで久光が勝利した。

「開幕戦なのに決勝戦なみに白熱したのを覚えていて、試合中、足がつってすごく迷惑をかけていたんですけど、仲間に助けてもらいながら、決勝戦のように戦えた開幕戦だったのですごく覚えています」

次に、これまで関わってきた監督についても聞いてみた。久光の現在の監督である酒井新悟氏については「本当にお父さんのようで、選手ファースト。選手がこうしたいって言ったら、意見をくんでくださる方」

 久光と代表で関わり、髪型をマネるくらい憧れた中田久美さんは「バレーに熱い人ので、一つひとつ厳しいですね。『なんでこういうプレーをしたの?』と追及されたのが印象に残っています。私は元々ちゃらんぽらんだったので、20代のときにそういう厳しい監督に巡り合って、久美さんだったからここまでできたんだとすごく思っています」

 最後は眞鍋政義監督。「面白いですよね。いろいろうまいなと思います。人と人とのつながりだったり、選手のことをよく見ていて、『女性はこうしたら喜ぶだろ?』みたいなのをわかっているのかなと思います。選手の引き出しがうまい監督です」

最後にプライベートでは、引退後の8月4日の一粒万倍や天赦日、大安が重なった吉日に「真面目で熱心な彼と能天気で優柔不断な私で上手くバランスを取りながら、これからは二人三脚で」と入籍したことをSNSで公表した。

 インタビュー時にはまだ公表されていなかったため、発表後に改めてうかがうと、「結婚を決めたきっかけは、一緒にいて居心地のよさがあり、安心させてくれる存在だったからです」とまっすぐなコメントが返ってきた。「子供が2人以上は欲しいと思っているので、愛がたくさん溢れる家庭を築いていきたいと思っています」

 選手としてのバレーボール人生は一旦終えても、トレードマークの笑顔でこれからも、石井優希らしくバレーボールや多くの人と関わりを持って歩んでいく。

Profile
石井優希(いしい ゆき)
1991年5月8日生まれ、岡山県出身。身長180cm。
高校卒業後、久光スプリングスに入団し、引退までの約13年間中心選手として活躍。2017−18シーズンには、久光のVリーグ王座奪還の立役者となり、最高殊勲選手賞を獲得した。日本代表としては19歳で初招集されて以降、苦しい時期を乗り越え、2016年リオ五輪、2021年東京五輪の大舞台を経験。2023年6月30日付で現役を引退し、8月には結婚を発表した。現在は、解説などを中心に活躍中。