元日本代表PG・佐古賢一インタビュー 後編

前編>>佐古賢一が振り返るバスケW杯 富樫勇樹と河村勇輝の同時招集で「トムは賭けに勝った」

 今夏に行なわれたFIBAバスケットボール・ワールドカップで大躍進を遂げた男子日本代表。そのチームの「司令塔」的な役割、いわゆるポイントガード(PG)を担ったのが30歳の富樫勇樹(千葉ジェッツ)と22歳の河村勇輝(横浜ビー・コルセアーズ)だ。

 ワールドカップ全5試合の個人成績では河村の活躍が際立ったが、富樫はチームキャプテンとしての役割を果たし、チームの勝利に貢献。2016年に統一プロリーグのBリーグが誕生して以降、その看板を背負ってきた富樫と昨季、大学を中退していきなりB リーグのMVPと新人王をさらった河村が共に日の丸を背負い、周囲の期待に応えた。

 2人はそれぞれ167cm、172cmという低身長、ゲームメイクの巧みさ、アウトサイドも含めたシュート力が武器と一見同じタイプのPGで近年、比較されることも多かったが、実際のところ、どうなのだろうか。日本代表のポイントガードとして主に1990年代に活躍した「ミスター・バスケットボール」こと佐古賢一氏(現・シーホース三河シニアプロデューサー)に、ワールドカップでのプレーぶりも含めて、ふたりの相違点を聞いた。


日本代表のPGとして活躍した富樫勇樹(左)と河村勇輝(右)

【W杯で果たしたそれぞれの役割】

――富樫選手、河村選手のワールドカップについて、あらためて振り返ってください。まずは個人成績でも強烈に印象づけた河村選手(1試合平均プレー時間23.8分、13.6得点、7.6アシスト)からお願いします。

佐古賢一(以下同)「実力は誰もが認めるところで期待は大きかったと思いますが、本当に世界に通用するのかという疑問もあるなか、期待以上の結果を出しました。172cmの河村選手の活躍は、今回日本が3勝、アジア最上位(19位)でのパリ五輪出場という結果につなげられた一番の要因だと思います。日本のテンポを作るために、(ブロックされる)リスクがありながら、中(ゴール方向)に切り込み相手を翻弄していく時間帯をあれだけつくれたことは、今後の日本のバスケットボールにとって、すごく幅を広げられたと思います」

――小さいからこそ日本らしいバスケットを目指す、ということは歴史的にずっと言われてきましたが、今回初めて結果に結びつきました。この価値は、非常に大きいと思います。

「大きいと思いますね。しかもポイントガードに求められる部分がはっきりしたじゃないですか。チームが目指すバスケットを展開すること、ゴール方向に切り込んだとき(ドライブ)のフィニッシュ力、確率の高い3ポイントシュート。オフェンスに関してはこの三つの部分で、ディフェンスではオールコートで当たれる体力、そのために必要なフィジカル(身体的強さ)、スティールを狙うなど広いエリアをカバーする機動力と判断力。これらの資質を身につければ、小さいポイントカードでも戦えることが明確になった。日本の選手は自信を持ってこのスタイルを追い求め、コーチは指導に当たっていけばいい。今回、そのことを僕らに教えてくれたのが河村選手だったのです」

――一方の富樫選手はいかがですか。今回はチームキャプテンとしての重責を果たしましたが、オフェンス面では本来の力を発揮できず(1試合平均4.0得点、3.4アシスト)、プレータイムも河村選手の方が長くなりました(平均15.0分、河村は23.8分)。

「僕は、数字云々ではなく、今回の経験を経て彼のバスケットボールがすごく深くなったんじゃないかなと思っています。これまでは彼のオフェンスに注目が集まっていたと思いますが、今回のW杯で一番彼に求められていたものはリーダーシップで、地元開催の大舞台でプレッシャーは半端なかったはずです。バスケットボールって、浅ければ浅いほど結果につながる部分、数字(スタッツ)で判断する傾向があるのですが、深くなれば深くなるほど数字やスタッツに出てこない部分で、勝利に対する貢献度などが表われてくるのです」

――達人の領域的な話ですね。もう少し具体的にお願いします。

「今回、表に見える部分(スタッツ)では河村選手や富永選手(啓生/米国・ネブラスカ大)といった若手選手が目立ちましたけど、富樫選手は試合の流れのポイントをよく抑え、チームのリズムを作った上で自らシュートを打っていました。無理やり打つ場面はほとんどなかったはずです。だから自分のシュート率が悪くても、ガードとして他の選手にいいリズムでシュートを打つ機会を作ることで貢献していたという意味です」

――順位決定戦に入ってからは、富樫選手はベンチに座る時間が長くなりました。悔しさもあったと推測しますが、声を出したり、タイムアウトの時に河村選手に声がけしている場面も印象的でした。

「同じポイントガードの選手に声がけすることって、ゲームの流れを正しく把握して、ある程度イメージができていないとできないことなんです。はっきり言って難しい。しかもチームのリーダーである以上、自分のポジション以外のことも考えなければならない。だから、富樫選手はベンチにいた時も、常に考え、自分がいつ出てもいい準備ができていたからこそ河村選手に声がけできていたんだと思います」

――それが、数字には見えない部分の貢献度。

「勝利に対しての深さ、と表現できるかもしれません。勝たせるポイントガードと魅せるポイントガードは違うという考え方になってくるので、葛藤も出てくる。比較にならないかもしれませんが、自分が若い時は、"オレオレオレオレ、オレがいすゞ(自動車)でしょ! 日本代表でしょ!"みたいところもありましたが(笑)、それだけでは勝つことが難しいことに気づく時期って絶対来るんです。そこからが本当に"沼"なんですよ、キリがない。そして沼にハマればハマるほど、人としての強さが求められてくる」

――むしろ富樫選手は、これからがさらに楽しみであると。

「そういう分岐点を今、迎えられるのって、彼は"持ってる"と思いますよ。30歳なんてめちゃめちゃいい時期ですし。それに沼だから、ゴールはないんです。ずっと追い求め続けるからこそ、奥深いんです」

【二人の相違点と今後への期待】

――富樫選手と河村選手のプレースタイルについてうかがいます。170cm前後の身長、卓越した状況判断、アウトサイドを含めたシュート力が武器と、一見似ているタイプですが、佐古さんから見ていかがですか。

「かなり違いますね。まず人間性、今まで選手として育ってきた環境が違います。河村選手は、福岡第一高時代もそうですが、勝つ環境に身を置いてきたこともあり、勝つためのルーティーンをすごく大切にしている。一方の富樫選手は自分のリズム、自分自身がこうありたいということを大切にしている印象です」

――目に見えるパフォーマンスでの違いは?

「端的に説明すると、河村選手のプレーは直線的、富樫選手のプレーは曲線的という印象です。視野の広さ、アシストのセンスは共通していますが、富樫選手は柔らかさがあり、緩急の中でチャンスを見出すスタイルで、河村選手は強引にチャンスを作り出そうとするスタイル。ターンオーバーは河村選手の方が多い印象があるのは、そうしたプレーの質によるものだと思います」

――今後の二人に期待することをお願いします。

「まず河村選手は、世の中のバスケットファンや今回W杯を見て興味を持ってくれた人間が自分に何を求めているかということを、自分自身がよく理解していると思います。そのこと以上に河村選手を育てていくために必要なものを的確にアドバイスできる人間って、この世の中にいないと思います。彼は彼のバスケットを構築していくべきだし、そのまま子どもたちのいい手本になってもらいたい。自分のやるべきこと、求められること、できること、できないことが整理されている印象です。いろんな事を迷いながらも、今自分が感じているものを率直に表現していく。その積極性を忘れたら彼らしくないと思うし、やっぱり自分のスタイルでチームを引っ張ってほしいと思います」

――富樫選手についてはいかがですか。

「僕は、変化の年になるのかなと思っています。絶対にチャレンジしてもらいたいのは、河村選手に負けないということ。勝てるバスケットを追求するなら、絶対に勝たなきゃ駄目なんです。チームの勝利はもちろんですが、1対1でもそう(直接対決は2024年2月10日・11日)。プライドを持って、やってもらいたい。バスケットボールの深みにはまっていくんだったら、もうどんどん深みにはまってほしい。今の富樫選手には試合を通じて30点を取ることではなく、それ以上のことが求められている。だから難しい挑戦になるとは思います。何を言っているんだ、と思われるかもしれませんが(笑)、コートに立っている時はいつでも、その中心で存在感を発揮してもらえることを期待したいです」

PROFILE
佐古賢一(さこ・けんいち)
1970年7月17日生まれ。シーホース三河シニアプロデューサー。北陸高校(福井)インハイ優勝→中央大(3年時に日本代表に選出。「ミスター・バスケットボール」の異名を取った日本バスケ界屈指のポイントガード。1993年〜2002年いすゞ自動車、2002〜2011年アイシンシーホースでプレーし、通算で全日本総合11回、JBL10回の優勝を経験。日本代表として活躍し、1995年福岡ユニバーシアード準優勝、1998年世界選手権出場(31年ぶり自力出場)。シーホース時代は2005年に左足アキレス腱断裂も06年に復帰。同年の世界選手権の日本代表は辞退もドーハアジア大会代表に入る。2011年3月に引退を表明。引退後は日本代表のアシスタントコーチ、2021年U19W杯日本代表ヘッドコーチ。トップリーグでは、広島、北海道などで指揮を執った。今年7月からシーホース三河シニアプロデューサーに就任。