三笘薫(ブライトン)の体調不良を受けて、森保一監督はフレッシュな選手を追加招集した。ドイツ・ブンデスリーガ2部のニュルンベルクに所属するMF奥抜侃志だ。名前は「かんじ」と読む。

 1999年8月生まれの24歳である。10月13日にカナダと、17日にチュニジアと対戦する日本代表に選出されている選手のなかでは、橋岡大樹(シント・トロイデン)と伊藤洋輝(シュツットガルト)が同学年だ。


奥抜侃志は大宮アルディージャ出身の24歳

 生まれながらのドリブラーだ。

2010年、南アフリカワールドカップをテレビ観戦した当時11歳の奥抜は、リオネル・メッシの「キレで相手を抜き去る」ドリブルに目を奪われる。

 ボディフェイントで対峙するDFの重心をずらし、瞬間的に逆を取って抜き去るドリブルは、メッシの映像を繰り返し見ることで身体に刷り込まれていった。アルゼンチン代表のレジェンドとは身体のサイズが似ている(171cm)ので、ドリブル好きの少年にとって最高のロールモデルだったに違いない。

 プロ入りへのルートに乗ったのは、中学1年の秋だ。

 春ではなく秋だったのは、理由がある。中学進学と同時に生まれ故郷の栃木県を離れ、東京ヴェルディのジュニアユースに加入することになっていたのだが、クラブの経営状況の悪化により、入団が叶わなくなってしまったのだ。

 それでも、群馬県の強豪ファナティコスで磨かれた才能は、Jクラブの下部組織にとって魅力的なものだった。複数の勧誘を受けたなかで、奥抜は大宮アルディージャのジュニアユースを選ぶ。

 実家から通えることがその理由だったものの、移動は片道2時間強に及ぶ。18時半開始の練習に慌てて駆け込み、帰宅は早くても23時だった。日付が変わることもあった。

 ジュニアユースからユースへ昇格すると、2年時からレギュラーに定着する。3年時には10番を背負ってチームの中心となる。チームメイトからは「ボールを預ければ、必ず相手のゴール前までいってくれる」と言われていた。

【自分がシュートを外したからJ1昇格を逃してしまった】

 翌2018年、奥抜はトップチームへ昇格する。プロ1年目はJ2リーグで7試合出場無得点に終わった。自身のプレーをレビューすると、明確な課題が浮かび上がってきた。

「育成年代までは、シュートを決めるよりもドリブルで相手を抜くほうが好きでした。シュートを打てるところで、もうひとつ相手を剥がそうとすることが多かった。結果的にシュートを打たなくて、それで勝てる試合に勝てなかった、ということがあったんです。

 トップチームでは、コーチングスタッフから『ドリブルで何人抜いても、点を獲らないと評価されないよ』と言われています。点を獲ることへのこだわりが、プロになってすごく強くなりました」

 勝負に目覚めた一戦がある。2018年11月25日に行なわれたJ1参入プレーオフだ。リーグ戦5位の大宮は同6位の東京Vをホームに迎えたが、0-1で敗れてしまう。ビハインドを背負った後半途中からピッチに立ったが、ゴールにつながる仕事はできなかった。

「あの試合で、シュートへの意識、ゴールへの執着心といったものが変わったんです」

 プロ2年目は25試合に出場して5ゴールをマークした。17節の京都サンガ戦でシーズン初先発を飾り、その試合で先制ゴールをマークする。1得点1アシストで勝利に貢献したこの試合をきっかけに、エースストライカーの大前元紀からポジションを奪い取り、スタメンに名を連ねていった。

 結果への責任を痛感した試合がある。40節の栃木SC戦だ。

 前半10分過ぎにカウンターから決定機を迎えたが、ペナルティエリア内からのシュートはわずかにゴール右へ逸れる。試合はスコアレスドローに終わり、大宮はJ1自動昇格圏の2位から3位に転落してしまう。そのまま3位でリーグ戦を終え、J1参入プレーオフでも敗れたのだった。シーズン終了後、奥抜は言った。

「自分が栃木戦でシュートを外したから、J1昇格を逃してしまったと思っています。得点にこだわりながら、チームに対して何ができるかを追求していきたい」

【ニュルンベルクでは特徴が発揮される左ウイング】

 2020年は23試合出場で5ゴール、2021年は17試合出場で3ゴールにとどまった。2020年から背番号11を背負ったが、どちらのシーズンもケガに見舞われ、不本意な成績に終わった。J2の中位から下位をさまよったチームの不振に、引きずられたところもあったかもしれない。

 キャリアの転機は、2022年夏に訪れる。ポーランド1部のグールニク・ザブジェからオファーが届くのだ。

 移籍のタイミングはこれ以前にもあったが、ケガなどの影響で話が進まなかった。海外への憧憬は、幼少期から育んでいる。プロ5年目を迎えていた23歳は「年齢的にもラストチャンス」との決意を固め、アカデミーから過ごしたクラブを離れた。大宮のアカデミー出身選手では、初めての海外移籍となった。

 ポーランドのサッカーは直線的だ。コンビネーションによる崩しよりも、個人での仕掛けが優先される。ドリブルで勝負することへのためらいはない。シーズン開幕後の合流となったが、奥抜は26試合に出場して4ゴールをマークした。

 グールニク・ザブジェでは複数のポジションで起用され、そのなかにはウイングバックが含まれていた。自身よりサイズの大きい選手とのマッチアップを通して、ディフェンス面での気づきを得た。欧州移籍1シーズン目にウニオン・サンジロワーズでウイングバックを務め、守備力を向上させた三笘に通じるところがある。

 そして今シーズン、ブンデスリーガ2部のニュルンベルクへ完全移籍で加入した。10月7日までに消化された全9試合に出場し、2ゴールをマークしている。カップ戦を加えると10試合2得点1アシストとなる。新天地でのシーズン序盤としては上々のスタッツだろう。ポジションは自身の特徴がもっとも発揮される左ウイングだ。

 森保監督は9月の活動後、ニュルンベルクの試合を視察した。1999年生まれの奥抜は東京五輪世代なので、大宮在籍時からそのプレーを追跡している。三笘と同じポジションでプレーする現在の奥抜をチェックしたうえで、指揮官は追加招集へ踏み切ったわけだ。

【オフザピッチでは「後輩にいじられる」天然キャラ】

 4-2-3-1でも4-3-3でも、奥抜は左サイドが適性ポジションになるはずだ。2シャドーの一角にも対応できるので、3-4-2-1にも当てはめられる。

 オフザピッチでは天然キャラで、大宮ではアカデミー出身の後輩にいじられたりしていた。年上のチームメイトに可愛がられるのは「二男ならでは」といったところだが、ピッチ上ではまったく別のキャラクターとなる。「キュッ」という音が聞こえてくるようなドリブルで、マッチアップする相手を翻弄していく。

 J1でプレーした経験のない選手が海外へ渡るのも、そこから日本代表に選出されるのも、珍しいケースと言っていい。日本代表への新たな登頂ルートを開拓した24歳は、国際Aマッチでどんなプレーを見せてくれるだろうか。途中出場でもインパクトを与えられるだけに、デビュー戦から大きな仕事をしても驚きではない。