伊藤悠一インタビュー(後編)

前編:NHKからBCリーグ監督へ 異色の転身を遂げた伊藤悠一が振り返った「前代未聞の1年」はこちら>>

 NHKで10年以上務めたディレクター職を辞し、給料が3分の1になる独立リーグの監督へ──。

 埼玉西武ライオンズで球団本部チーム統括部長兼企画室長を務める市川徹氏は、インターネットの記事で読んだ男のキャリアに注目していた。今季、BCリーグの茨城アストロプラネッツを率いた伊藤悠一監督だ。ふたりにはたまたま静岡県沼津市が同郷という縁もあった。

 今年4月下旬、三軍との練習試合(BCリーグ交流戦)でアストロプラネッツが西武のファームの本拠地・CAR3219フィールドにやって来ることになった。存在を知ってから興味を持つ伊藤監督がグラウンドでどう振る舞うのか、市川室長は目を凝らした。

「試合後のミーティングを見ると、プロ野球選手の前で堂々と立ち居振る舞っていました。その印象が強くて、面白い人材だなと」

 名刺交換して後日、伊藤監督から連絡が来た。西武の人材開発に興味を示し、ヒアリングにやって来ることになった。


茨城アストロプラネッツ監督から西武にヘッドハンティングされた伊藤悠一氏

【若手の成長が最大のミッション】

 近年、育成改革を進める西武で市川室長は中心になって動いてきた人物だ。トラックマンの導入や栄養士の招聘など、若手選手が考える力を伸ばせるような環境づくりまで、さまざまな施策を施している。

 対して、アストロプラネッツは2020年オフに就任した色川冬馬GMのもとで、成長マインドセットの構築に取り組んでいる。今季就任した伊藤監督もその重要性を感じ、西武に話を聞きにやって来た。

 それから少し時間が経った8月前半、翌年のチーム体制で人財開発部門(※西武は「人材」を「人財」と表記)のスタッフを増員したいと考える市川室長の頭に伊藤監督が浮かんだ。

「とにかくいろんな経験をしている人、さまざまな人と触れてきた人に来てほしい。いろんな人と触れ合うことで、『こいつは成功する、こいつは失敗する』というケースを多く見てきたと思うからです」

 西武の人財開発は、若手選手を成長させることが最大のミッションだ。まずは現在地を知らしめ、将来、どんな選手になりたいかとゴールを明確に設定させる。そうして目標に対し、いかに取り組ませていくか。そのアプローチの仕方を市川室長が説明する。

「目標が達成できるのであれば、手段は任せます。セミナーでも1on1の面談でも、日々の振り返りをしっかりやってフィードバックしていくことでもいい。我々は人財開発のプロを雇っているわけではないので、毎年いろいろ試行錯誤しながらブラッシュアップしていけばいいという考え方です。

 なおかつ、その取り組みを人財開発だけで行なうのではなく、コーチやS&C(ストレングス&コンディショニング)、バイオメカニクス(動作解析)やほかのスタッフとコミュニケーションをとりながら、うまく進めてほしい」

 上記の役割を任せるうえで、伊藤監督は十分な実績を備えているように市川室長の目に映った。NHK時代にはカメラマンや音声担当、脚本家など"職人"たちをうまくディレクションし、独立リーグでもその力は発揮されているように感じられたからだ。市川室長が続ける。

「野球界は選手も含めて職人が多いです。そういう人たちと、どう向き合っていけばいいか。伊藤さんはすごく知識と感性があるのではと感じています」

 かたや、伊藤監督には「NPBでチャレンジしてみたい」という願望があったが、もともと抱いていたわけではない。独立リーグの世界に飛び込み、6月頃に湧いてきた思いだ。

「とくに茨城はNPBに行きたい選手たちが集まる場所です。NPBはいかにすごい舞台なのか、目指す価値がある場所なのか、彼らと話す中で聞いていました。独立リーグもすばらしい舞台ですが、NPBという日本最高峰の選手と指導者、スタッフが集まる場所でやることで、自分自身がステップアップできるのではと思うようになりました。監督になる前や、就任してすぐの頃にそう感じたわけではなく、アストロプラネッツで1年すごし、『自分は人を育成する立場でNPBを目指したい』と思うようになりました。そんななか、たまたまライオンズからお話をいただいたという次第です」

【スタッフのキャリアアップもあと押し】

 アストロプラネッツは選手だけでなく、指導者やスタッフもキャリアアップできるようにあと押ししている。たとえば、昨季まで在籍した小山田拓夢S&Cコーチは腕を買われて日本ハムに羽ばたいた。西武のオファーに心を動かされた伊藤監督も、新たな挑戦に快く送り出されることになった。

 NHKという多くの人が羨むような職場を離れ、独立リーグというアンダーグラウンドの世界に飛び込んだことで伊藤監督の人生は大きく変わった。

「NHKから茨城に来ていなかったら、西武ライオンズへという話もなかったです。自分自身、NHKの仕事はやり切ったと思ったので野球界に来ました。自分のなかではリスクを負った挑戦であり、リスクを負えばそれだけ覚悟も増えると思います。そういったなかで1年をすごして西武からお話をいただけたのはすごくありがたいなと思うと同時に、ずっとその場所で安泰しないことが大事だとあらためて感じました」

 では、家族はどんな反応だったのだろうか。新たな子どもを出産したばかりの妻に2年連続の転職を伝えると、「NHKからアストロプラネッツに行くのが相当な驚きだったので、今回はそれほど驚かれなかったです(笑)」。

 待遇面は、西武での給料はアストロプラネッツ時代から2倍以上にアップ。NHK時代より「少し低い」が、成果を出せば上がっていくだろう。

 もっとも、人が働く上で報酬は大事な要素だが、その額は決してすべてではない。さらに言えば、異なる業界に転職すれば一時的に下がることもあるだろう。それでもキャリアを長い視点で見た場合、新たなスキルや経験を身につけることで将来のリターンになっていく可能性は十分にある。

【根底にあるディレクター魂】

 伊藤監督自身、思いきった挑戦をしたから想定外のキャリアをたどることになり、一歩踏み出す大切さを再認識している。

「NHKにいれば、ある程度転職の世界で強いんですよね。将来、40代ではこういう働き方をして、50代では......と進路が想定できるのはもちろんありました。ただ、ディレクターとしてドキュメンタリーをつくっていたこともあり、先が見えるものって最終的な満足値はそんなに高くないと思っています。アスリートの取材をしているなかでも、最後にこの試合があって、こういう結果になって、こういう結末を迎える......とイメージできてしまうと、じつはそんなに面白くないんですよね」

 独立リーグのチームを率い、西武にヘッドハンティングされた今も、伊藤監督の根底には"ディレクター魂"がある。

「『これ、どういう結末になっちゃうんだろう?』というほうが自分も頑張れるし、面白い人生に出くわせるし、周りも前向きに動いてくれる。ディレクター時代にそう感じてきました。今回も同じで、ライオンズの仕事はリスクテイクしないと得られなかったものです。先が見えない世界に飛び込んだからこそ、そういうお話が来たのかなと。見えている世界にとどまるのではなく、あえて見えない世界に飛び込むことで自分の人生が豊かになると思っています」

 西武で働くことになるとは1ミリも予想していなかった一方、伊藤監督にとってベルーナドームは慣れ親しんだ場所だ。ライオンズファンの父親に旧・西武球場や東京ドームの日本ハム戦によく連れていってもらい、小学3年生からアストロプラネッツに飛び込む昨年まで25年間、ライオンズのファンクラブに入っていた。

「清原和博選手がいた頃から西武球場に通っていたファンでした。指導者として、その球団を強くするために関われるのはすごくうれしいです」

 自分自身の人生まで綺麗にストーリーをまとめるとは、さすが元TVディレクターである。