子どもを守る政治「明石モデル」をまねる自治体が増える一方、それらが市民に響かない本当の理由〈泉房穂×安冨歩〉

3期12年にわたり兵庫県明石市長をつとめ、10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増などを実現した泉房穂氏。泉氏は疲弊しきった日本をどう考えているのか。著書『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』の刊行を機に、かつて『「子どもを守る」を政治の原則に』という理念を掲げて市長選に立候補した経験を持つ東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授との対談が実現した。(前後編の前編)

「所得制限なしの5つの無料化」など子育て施策をはじめ、国に先んじて実施してきた市民優先の施策が、明石モデルとしてじわじわと広がりつつある。

動かぬ官僚とケンカ上等で渡り合い、その大きな推進力となったのが3期12年にわたり兵庫県明石市長を務めた泉房穂氏だ。

市長退任後も、弱者を無視し、やさしい社会を阻む多数派配慮の政治に物申す。その泉流理念の詰まった『日本が滅びる前に』の刊行を機に、対談を快諾してくれた安冨歩氏(東京大学東洋文化研究所 教授)ご自身も、『「子どもを守る」を政治の原則に』という理念を掲げてかつて市長選に立候補した経験を持つ。子どものための政治こそが大人を豊かにする――その真理を理解し、まっとうな政治に転換できてこそ日本の未来は開けるという両氏の提言に、揺らぎはない。

「最後は金目」とは180度違う支援

安冨 『日本が滅びる前に』を拝読いたしましたが、泉さんがやってこられた明石市12年の市政から、何を酌み取るべきなのか、それが非常に分かりやすくまとめられていると思います。私も二度ほど選挙を経験しましたが、どちらもスローガンは「子どもを守ろう」という一点だけです。それが大人の社会を豊かにする、あらゆる政策の原則、基準になると思ったからです。

安冨先生とは何度もお話しさせていただいていますが、非常に本質の奥の部分を深掘りいただいて、助かっております。おっしゃるように、子どもというのはちいさい子という意味ではなくて未来です。あるいは他者でもあり、弱い者とも言えます。支援を必要とする対象としては、子どもだけでなく、障害者施策や犯罪被害者・加害者施策もやってきた。そういう意味で明石市は未来に向けて政治展開をしてきたといえます。他の地自体が明石の子どもに対する一部の政策だけをまねてやっても、それでは市民には響かない。根っこにある明石の理念、哲学の背景があってこそ市民に安心が生じて、まちが元気になったと私は思っている立場です。

泉房穂氏

安冨 ただ弱い人を支援するのが政治かというとそれは違うと思う。例えば石原伸晃さんが(環境相時代、福島第一原発の事故に伴う除染廃棄物の中間貯蔵施設を巡り、政府と福島県の交渉が難航している状況を)「最後は金目でしょ」とおっしゃったのが非常に象徴的でした。これは弱い人たちが悲鳴を上げているのは結局金をくれと言っているんだと理解して、金を渡して黙らせるという考え方です。

そうではなく、弱い人が声を上げているのは社会全体の歪みがそこに表現されていると考えて、そういう人たちが苦しまずに済む社会をどう作っていくか、そのフィードバックのためのセンサーだと考えるか、この違いだと思うんです。

「無料化ばかり」が強調されると明石市の成功を見誤る

そこは大変重要です。政治とは強い者のためにあるのか、弱い者のためにあるのか。今は既得権益を持つ強い者のためにあるから、弱い者に対して金で解決するといった発想になる。みんなで助け合うためにお金を持ち出し合ってつくっているのが社会であり政治で、それが本来の姿です。全員がハッピーならば社会は要らないんです。そうではないから社会が形成され、公務員がいて、政治家がいて、それを調整する。常に弱い者に向いているのが本来の政治の姿なんです。

安冨 はい。弱い人の声を酌んで、それで社会が変わることが絶対に必要なんです。例えば駅に段差があって、車椅子の方がそこで移動できなくなる。これは車椅子の人にとってはただ移動できないだけですが、健常者の酔っ払いがそこにつまずいたら転んで死んだりするかもしれない。とはいえ、段差をそのままにして、車椅子の人のためにスロープをつけると、健常者にとってはつまづくポイントが増えてしまいます。

それゆえ、段差をなくして真っ平らにするほうが、人にやさしくなるし、マジョリティにとっても大きなメリットになるのではないかと思うんです。あるとき駅でつまずきそうになって、ふとそう気がついたんですよ。弱い人の声を酌むことによってすべての人にやさしい社会に変わっていくと。

安冨歩氏

おっしゃるとおりだと思います。また明石の自慢になってしまいますが、やはりまちの市民の意識が変わったのがすごく大きい。明石は子どもにやさしいまちと言われますけど、子どもに対する気づきが生じると、お年を召した方にもやさしくなれるんですよ。お年寄りが重たい荷物を持っていると、町なかでみんなが声をかけ合っている。びっくりするぐらい変わったと多くの市民が言っています。子どもにすらやさしくできないまちが、ほかの誰にやさしくできるんだということ。そこは全部つながっていると思いますね。

安冨 弱い人が文句言っているなら金を払おうは、政策として理解されるでしょうが、まち全体が人に対してやさしくなるのはもう政策ではないと思う。

政策面で誤解を招きがちなのは、明石市の子育て5つの無料化ばかりが有名になりすぎて、ただとか無料の部分ばかりが強調されることです。そうではなくて、明石市は児童相談所の人員を倍にしたり、職員数を3倍にして家庭訪問をしたり、気づかれにくいところを一生懸命やっている。つまりお金に加えて、寄り添うとか、安心の提供とか、大丈夫というメッセージ性のほうが重要なんです。ソフトもハードも両方必要だし、とくに人の気持ちや配慮は欠かせないものなんですよ。

多数者ばかりに配慮する政治からの脱却

安冨 弱い人、痛めつけられている人たちが、痛みから逃れられるようにしようと配慮したら社会全体の構造が変わると、そこが一番重要なのですね。

そこだと思います。日本の政治は多数者ばかりに配慮して、どんどん少数者が増えていく構造になっています。最初多数の9割がセーフでも1割がアウトになる。次のテーマで9割セーフだけど、また1割がアウトで、どんどん多数派に入れない少数者が増えていく。

だから多数派ばかりに向いた政策をすると、少数派の孤立化や疎外感を招き、多数派はそれを自己責任と切り捨てる。これでは市民の安心がどんどん減っていく。でも、少数者に向けた政策をやっていくと、安心が増えていく感じになりますから、そこは相当違うと思いますね。

安冨 包摂されていくということですよね。

はい。その少数派施策は、地域特性をよく見て、ボランティア、市民と一緒にやっていかないと実現できません。自助、共助、公助と言うときに、当然私は自助派ではありませんが、公助で全部できない以上、共助、まさに地域や市民団体の力が必要で、そこをただお任せするんじゃなく、場所の確保や最低限の実費は公費負担しますよと、多くの仲間と一緒にまちづくりができるように公助している。共助を公助する。その連携が明石を強くした部分だと思います。

安冨 ボランティア団体に対して冷たい行政が多いですね。何を余計なことをしてくれているんだという態度。お金を出すときは、ちゃんと役所の言うことを聞いてくださいと言って、少しでもやり方が違うと、お金を引き揚げる。そうやって監査を入れて縛るというような習性がありますね。

市民と向き合っているのか、市民を信頼しているのかの違いでしょう。私は人口の30万人と一緒に明石のまちをつくっていると真面目に思っています。ただ、公務員は税金で養われていますから、ボランティアや市民の皆さん以上に責任感を持つべきだと思っています。責任は民間が負うんじゃなくて、行政が負うと。

民間の方は、その気持ちで子どもやお年寄りに寄り添う、それで十分。こども食堂で何かトラブルが生じたときの責任は行政が負う。それを民間に負わそうとするから広がらないんです。その覚悟がある行政があることが、明石の市民活動が盛んな理由だと思います。

子ども食堂は他の子どもたちを助けるアンテナ

安冨 市民活動はむしろ社会の最前線なんですよ。その最前線の市民活動を役所が支える。私もそれが理想だと思う。

まったくそのとおりです。明石ではもう50か所を超えるこども食堂に頑張っていただいていますが、子ども食堂は食べにくる子どもたちのためだけでなく、その地域の情報を集めるうえで大変重要な役割を果たしているんです。あの子、大丈夫かな、最近顔を見せないけどどうしてるかなという子どもの情報を行政がもらうんです。

そういう子どものところには児童相談所が訪問し、ご飯を食べてなかったら明石市が晩ご飯を届ける。つまり子ども食堂は気づきのきっかけなんです。こども食堂のアンテナで得られた情報の、一番リスクの高いところや手間暇かかるところは公がやる。しんどいところは行政がする、その手前のところを一緒にやりましょうというのが、明石市の特徴だと思います。

写真はイメージです

安冨 それが先ほどからおっしゃっている、全体性を持って特に弱い人に注目するということによって、弱くない人も助かる、包摂される社会の仕組みですね。

たった一人の子どもと言うけど、その一人の子どもを見捨てないし、放置しない。これは徹底してやってきました。例えばたった一人の子どもの顔を見るために、それこそ生まれる前から妊婦さんと1時間面談をし、中の子どもと面談するつもり話をして、しゃべった後にタクシーチケット5000円をお渡ししている。それでも、逃げて帰るような人は家庭訪問をして、マン・ツー・マンで相談に乗る。

その後健診に来なければ、児童手当の銀行振込を止めて、ちゃんと子どもに会えて初めてお金を支給するというルールにしています。さらにゼロ歳児は一番死亡のリスクが高いので、おむつの宅配の形で、研修を受けた子育て経験のある方が毎月訪問して、チェーンロックを開けてもらって面談をする。そこは、たった一人の子どもも悲しませないという根っこのところにすべてつながっています。

強い権限を持ちながらそれを行使しない市長が多い

安冨 今のお話を聞いてると、市民と役所がちゃんと接続している、職員と市長もつながっていることがよくわかります。日本社会ではそのこと自体が「異常事態」なんです。地方政府においては、まず市長は全員から排除されていて、なるべく余計なことをしないように監視されて、情報が市長に流れないように職員たちがガードしている。そのトップに副市長がいて、市民はノイジーなもめごとを持ち込んでくる厄介者であると考えている。だからできるだけ市民が市役所に来ないようにして、税金だけ取る。これが日本の地方社会、地方政治の基本だと思うんですよ。

かつて国政選挙や市長選に立候補したこともある安冨氏

そうそうそう、おっしゃるとおりです。

安冨 だからうるさいやつに金や特権を握らせる。例えば道路を敷いてもらった地主の一族は必ず就職できたり、順番を優先されたり、利権の巣窟みたいになっています。少し前までの明石市は典型的にその極限までいっているような市だったと思うんですが、それが僅か12年でここまで改革できるとは……これはもう奇跡としか言いようがない。

わずか12年と言っても最初の6年間ぐらいは完全総スカン状態で、よう持ちこたえたと思う。その時期を過ぎて明石の市民が一気に手のひら返しでいい意味でぐっと変わりましたが、明石以外は気づかないので、私への強いバッシングが続きました。今はやっと全国に広がり始めて大きな流れが来ているので、それはよかったなと心底思っています。

安冨 しかし、市長というのは非常に強い権限があるにもかかわらず、実際に行使している人はほぼいないですね。

いないですね。どなたも悪意があってそうしているわけではなく、長年やってきたことがみんなのためと思い込んでいるんですよ。特に公務員の典型は、これまでやってきたことは間違っていないから続けるという前例主義、そして、お上は賢くて正しいはずだというお上意識。そこに自分のまちだけ違うことはできないという横並び主義がしみ込んで、完全に凝り固まっている。

それに対して異論を言うと、寄ってたかってつぶされる。特殊なカルト団体の中に一人入っているようなものです。だからせっかく市民派の市長が当選しても、何もしないまま1期4年が終わって、4年後に結局は別の候補を立てられて負けていく。そんなケースばかりなので、もったいないなと思います。

構成・文=宮内千和子 撮影=野辺竜馬(泉氏)坂東望未(安冨氏)

日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来

泉 房穂

2023年9月15日発売

1,100円(税込)

208ページ

ISBN:

978-4-08-721279-2

大増税、物価高、公共事業依存、超少子高齢化の放置…

社会の好循環を絶対生まない「政治の病(やまい)」をえぐり出す

泉流ケンカ政治学のエッセンス!

◆内容紹介◆

3期12年にわたり兵庫県明石市長をつとめた著者。「所得制限なしの5つの無料化」など子育て施策の充実を図った結果、明石市は10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増などを実現した。しかし、日本全体を見渡せばこの間、出生率も人口も減り続け、「失われた30年」といわれる経済事情を背景に賃金も生活水準も上がらず、物価高、大増税の中、疲弊ムードが漂っている。なぜこうなってしまったのか?

著者が直言する閉塞打破に必要なこと、日本再生の道とは? 市民にやさしい社会を実現するための泉流ケンカ政治学、そのエッセンスが詰まった希望の一冊。