今中慎二が明かす「10.8決戦」で落合博満から仕掛けられた心理戦 「俺はカーブを狙う」の挑発に「一球も投げられなかった」
今中慎二が語る「10.8決戦」 中編
球史における伝説として語り継がれている、巨人対中日の「10.8決戦」(6−3で巨人が勝利しリーグ優勝)。その試合で先発した今中慎二氏が語るエピソードの中編では、中日のチームメイト時代に落合博満に仕掛けられた心理戦、高木守道監督の後悔、ナゴヤ球場で同試合を観戦していたイチローについて聞いた。
1994年にリーグ優勝を果たし、ビールかけをする長嶋茂雄監督(左)、落合博満(中央)ら
――3回表、落合博満さんに打たれたタイムリーで自分を見失ってしまったとのことですが、それだけ落合さんを抑えなければいけないと強く意識していたということでしょうか。
今中慎二(以下:今中) 意識していましたね。1994年は、落合さんが中日から巨人にFAで移籍して1年目のシーズン。前年の9月ぐらいには巨人に行く気満々で、「お前と対戦したら、こういうバッティングをする」みたいな話をナゴヤ球場のロッカーで頻繁にされていたんです(笑)。
年上の選手が言う言葉って耳に残るものですし、特に落合さんみたいな実績のすごい選手に言われたので、ずっと頭から離れませんでした。キャッチャーの中村武志さんも「俺はカーブを狙う」と落合さんから言われたみたいで。中村さんからそれを聞いた時に「カーブ、投げづらいな......」って思いましたね。
――10.8の試合ではカーブを投げましたか?
今中 1球も投げてないです。やっぱり落合さんの言葉が頭に残っていて、怖くて投げられませんでした。あと、僕がプロ入りして2年目の頃、シートバッティングで落合さんに「カーブを投げてくれ」と言われた時があって。それでカーブを投げると、簡単にライト前に打っちゃうんです。そのイメージも残っていたので、なおさらカーブは投げられなかったですね。
それでも、このシーズンの序盤は落合さんにあまり打たれていなかったんです。10.8以降、1995年からそこそこ打たれ始めましたけどね。とにかく落合さんには、前年からの心理戦でバッテリーごとやられた感があります。
――これまでに、落合さんと10.8のことを話す機会はありましたか?
今中 落合さんが中日の監督をされている時に度々話す機会はありましたが、決まって10.8の話をしてくるんですよ。僕は話したくないんですけど(笑)、落合さんは自分が打って活躍していますし、勝った側ですからね。
【マウンドで感じたキャッチャー中村の緊張】――試合の話に戻しますが、当時の巨人打線で落合さん以外にマークしていたバッターはいましたか? 入団2年目の松井秀喜さんが3番にいて、5番には原辰徳さん(元・巨人監督)がいました。
今中 松井に関しては"オーラ"が出る前でしたからね。落合さんが4番に君臨していれば、まだ出ませんよ。原さんはオーラはすごかったですけど、集中する時としない時の差があるんです。
この試合ではないのですが、「なんだ、このすごい集中力は? これはまずい、打たれる」と感じる時があって。キャッチャーの中村さんがマウンドに来て、「原さんめちゃめちゃ集中してるよ、どうする?」って。「ですよね、こっちまで伝わってきます」などと話した後に、勝負にいったら本当にやられちゃったんです。「引くところは引かなあかんな」と思いましたね。でも、原さんとの対戦はいつも楽しみにしていました。
――強力なクリーンナップを中心に、助っ人のヘンリー・コトー(この試合でもソロ本塁打を記録)やダン・グラッデンらも並んだ強力な打線。巨人打線に対しての攻め方は事前に中村さんと話していましたか?
今中慎二(以下:今中) 普段の試合でもそうですが、試合前に打ち合せはしなかったです。試合中に「この球がきてる、この球がきてない」とか、マウンドに来て言ってくることはありましたが、この試合ではそれすらなかった。中村さん、めちゃくちゃ緊張していましたから。
――なぜ、緊張していることがわかったのですか?
今中 サインを出すのが遅かったんです。明らかに緊張していて、こっちにも緊張感が伝染してきそうな感じでした。ランナーが出た時にアウトカウントを間違えていましたし、それを見た時に「あぁ、やっぱり緊張しているんだな」と(笑)。普段はそんなことないですし、中村さんが緊張していたのを初めて見ましたよ。
【数年後、高木守道が吐露した後悔】――先ほど(インタビュー前編)は、チームは普段通りの雰囲気だったとのことでしたが、やはり試合に入ると緊張していたのですね。ちなみに、この試合では巨人が先発の3本柱(槙原寛己さん、斎藤雅樹さん、桑田真澄さん)を投入しました。中日側はそのような継投を予想していましたか?
今中 全然予想していなかったはずです。相手のことは全然考えていなかったんじゃないかと。高木守道監督も試合前のミーティングで「とにかく自分たちの野球をやろう。普段通りにやろう」と言っていましたしね。
――対する中日は、今中さんが降板して以降、山田喜久夫さんや佐藤秀樹さんら中継ぎを投入する、いわば普段通りの継投でした。今振り返ってみて、違う戦略で臨むべきだったと思いますか?
今中 思いますね。実際に高木監督も後悔していました。僕が中日の投手コーチになった頃だったと思いますが、ときどき球場で開催されていた中日のOB会で顔を合わせた際、「あの時は巨人がしていたように、うちも主力ピッチャー(山本昌、郭源治など)たちを惜しまずに投げさせるべきだったな」と僕に言ってきましたから。ただ、山本昌さんは中1日(10月6日の阪神戦で完投勝利)でしたし、判断が難しいところだったと思いますけどね。
高木監督は2020年に亡くなられていますが、今でも後悔しているんじゃないですか。星野仙一さんが「打倒・巨人」で闘志むき出しで巨人戦に臨んでいたことはよく知られていますが、高木さんも巨人に対してはいつも熱くなっていましたから。
――中日は槙原さんから序盤に2点を奪いましたが、その後に出てきた斎藤さん(5回)、桑田さん(3回)の豪華リレーを前に反撃は1点どまり。敗れた後のチームの様子はどうでしたか?
今中 みんなロッカーでざわざわしたり、悔しくて泣いている選手もいたり......。あと、選手会長の川又米利さんをはじめ、仁村徹さん、彦野利勝さんら選手会のメンバーはすぐに監督室に行って、このシーズン限りで退任がほぼ決まっていた高木さんに「来年も一緒にやりましょう」と話をしに行っていました(結果的に1995年まで続投)。僕は選手会ではなかったので行きませんでしたが、川又さんたちも心に期するものがあったんじゃないですか。
自分は先ほどもお話したように、降板後の試合中はずっとロッカーにいて茫然としていましたし、負けた瞬間はベンチに戻って見ていましたが、「あぁ、終わった......」という感じで。帰りのタクシーでは方向が同じだった立浪和義さん(現・中日監督)と一緒だったのですが、負けたこともあってほとんど会話はなかったですね。立浪さんが「(試合で肩を脱臼したから)しばらくはゴルフができないな」みたいなことは話していたかな。
【イチローがスタンドで焼きそばを食べながら観戦】――中日の勝利に備えて祝勝会の準備も万全だったと思いますが、形を変えて集まったりしましたか?
今中 何もなかったです。シーズンが終わって休みに入った、というだけでしたね。数日後に気晴らしがてらゴルフに行ったりはしましたが、選手たちで集まることはなかったです。
――壮絶な試合でしたし、完全燃焼したということだったのかもしれませんね。ちなみに、国民的行事と言われるほど注目されたこの試合を、イチローさん(当時オリックス)が三塁側のスタンドで観戦していましたね。この試合に関して、その後イチローさんと話す機会はありましたか?
今中 いや、それはないですよ。だけど、イチローが球場のスタンドに来ているなんて誰も想像できませんよね。ビックリしました。
――試合中、来ていることに気づきましたか?
今中 気づいちゃいましたね。なんかざわざわしているなと思ってそちらを見たら、普通の席で見ていて、焼きそばを食べていました(笑)。そりゃイチローがスタンドにいたら、お客さんたちは「イチロー、イチロー」ってなりますよね。
――確かその年はイチローさんが史上初の200本安打を達成されたシーズンで、一気にスターダムを駆け上がった年でした。そんな一流選手をも夢中にさせる試合だったということですね。
今中 滅多にないことですよね。そういう話は聞いたことがありません。
(後編:「カッとなることがなくなった」 巨人との「10.8決戦」の敗戦から得たもの>>)
【プロフィール】
◆今中慎二(いまなか・しんじ)
1971年3月6日大阪府生まれ。左投左打。1989年、大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。2年目から二桁勝利を挙げ、1993年には沢村賞、最多賞(17勝)、最多奪三振賞(247個)、ゴールデングラブ賞、ベストナインと、投手タイトルを独占した。また、同年からは4年連続で開幕投手を務める。2001年シーズン終了後、現役引退を決意。現在はプロ野球解説者などで活躍中。