慶應高校&慶應大が力を発揮するために取り組むミーティングと土台にある野村克也の言葉
4季ぶりの優勝を目指す東京六大学・秋季リーグの開幕2日前の9月7日、練習を終えた夕刻、慶應義塾大学野球部の下田グラウンドでは約180人の部員が外野の人工芝に集まっていた。就職活動などで来られない者を除き、選手、マネジャー、アナリストらチーム全員が一同に会している。
「毎月、この予定を最初に立てます。リーグ戦と同等の重みを置いているんです」
2019年12月から母校を率いる堀井哲也監督がそう話したのは『木鶏会(もっけいかい)』と呼ばれるミーティングの取り組みだ。各業界で成功を収めている者たちが体験談や考え方を読み、感想文をまとめて4人1組で発表し合う。そして6人程度の代表者が前に出て、部員全員の前で、グループで話し合ったことを伝えていく。
慶應大で行なわれたミーティングの様子
慶應大でこの取り組みが始まったのは、現在トヨタ自動車でプレーする福井章吾がキャプテンだった頃、チームをまとめ上げるのに苦労している姿を見て、堀井監督が提案したことがきっかけだ。
堀井監督は社会人野球の監督時代からマネジメント法を勉強し、都市対抗優勝や数々のプロ野球選手の輩出につなげてきた。母校の慶應大学で監督に就任して以降、育成とともに重きを置くのが教育だ。その意味で、この会には2つの利点があると言う。
「我々指導者が選手に伝えたいことは、結局、先人や成功者、リーダーの言葉と共通しています。選手たちはそうした言葉を読み、自分で書いて発表する。インプット、アウトプットが同時にされることがひとつですね。
また、学年や、レギュラーか控え、マネジャーも選手も関係なく、みんなで話し合います。200人も部員がいる集団の場合、話す機会のないまま1年間が終わる人もいると思います。そうなることを比較的解消でき、チームでコミュニケーションを図ることができる。この2つが大きいですね」
学生たちの発表を聞きながら、堀井監督は気になった言葉をメモしていく。手に持つノートには、過去に選手たちが発表した言葉がいくつも書かれていた。
「自信と信念を持って、とりあえずやってみる。気がついたらすぐにやってみる。行動に移す」
「自由とは、組織のために自分に何ができるかという利他的な姿勢をもって、自らが意思決定した責任を持つことで生まれる」
「当たり前のレベルが高まって、それを伝統と言う」
以上は、まさに堀井監督が伝えたいことだった。
「最初は嫌々やっている学生もたくさんいたと思うけれど、お互いの発表について感想を書いていくのですが、『誰々がこんなに熱いヤツだとは思わなかった』などと発見があるんです。そうやってお互いを認め合っていく。
広く言えば、メンタルトレーニングの一環でもあります。自分の考え方を整理し、コミュニケーション能力、発信力、理解力が磨かれていく。みんなの前で発表するためには、頭も心も整理されていないといけないですから」
【慶應高校107年ぶり日本一にも一役】読書感想文を語り合ったあとには、2日後に始まるリーグ戦で各自がチームのために果たすべき役割を発表した。グループ内でフリートークを交わす際にはルールが2つあると、堀井監督が説明する。
「必ずいいところだけを話します。絶対に人の悪いところは見ない、言わない。あとは、自分の気持ちに素直になる。この2つがルールです」
チームが勝利を目指す上で自分が果たすべき役割を個々が宣言。その後、副キャプテンや吉岡眞司メンタルコーチ、中根慎一郎助監督、堀井監督が部員たちの前で話をすると、チームはリラックスしつつ、前向きで高揚感の漂う雰囲気に包まれていった。開幕に向けて望ましい精神状態が整い、堀井監督の顔も晴れやかだった。
「いい意味でリラックスしていますが、リーグ戦開幕の2日前の雰囲気ではないですよね(笑)。こうやってチーム全体でオープンに話し合うことで、いつもどおりの姿勢で入っていける。チーム状態が悪い時や、浮かれている時も、みんなで話し合うことでリセットできると思います」
スポーツでパフォーマンスを高めるためには「心技体」が重要と言われる。そのなかで心を整えるのは不可欠な一方、決して簡単なことではない。プレッシャーがかかればかかるほど、平常心を保つのは難しくなるからだ。
今夏、甲子園で107年ぶりの優勝を果たした慶應高校野球部は大舞台で持てる力を存分に発揮したが、その土台には吉岡メンタルコーチに学んで磨いた精神力があった。そうしたアプローチの始まりは、森林貴彦監督が堀井監督に紹介を頼んだことだった。
では、心を磨いて人として成長することは、野球とどのように関わってくるのか。三菱自動車時代に谷佳知や山口和男(ともに元オリックス)、JR東日本で田中広輔(広島)や田嶋大樹(オリックス)、伊藤将司(阪神)、慶應大学では木澤尚文(ヤクルト)、正木智也(ソフトバンク)らをプロに送り出してきた堀井監督はこう考えている。
「野村克也さんが言っていましたが、まさしく『人間的成長なくして技術的成長なし』だと。野球とどう関わるかといえば、広い意味ではそこにつながってきます。もうひとつは組織の成熟。この2つこそ、我々指導者が一番心を砕くところです。男女や年齢、ポジション、レギュラーや控えなど関係なく、フラットに話し合う。そうすることで普段から話しにくいことを堂々と言えるようになど、言動が変わってきます」
チーム全体で青空ミーティングを行なった2日後の9月9日。慶應大学は開幕戦で立教大学に勝利すると、翌日も連勝して勝ち点1を獲得。3季連覇中の明治大学の牙城を崩すべく、好スタートを切った。