「アツマーレ」を拠点に人とクラブの育成に心血を注ぐ水戸の西村卓朗GM。写真:河野正

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 浦和レッズでキャリアをスタートさせた西村卓朗は、国内外で11年間のプロ生活を送ったが、輝かしい戦歴を残せないまま2011年に引退した。しかしフロント業務に携わった途端に異能を示し、水戸ホーリーホックでは「育成」という理念の下、人とクラブと街が育つさまざま施策を打ち出して功科を挙げている。

 一浪して大学サッカーの名門、国士舘大に進んだ西村は3年生でレギュラーに定着し、夏の全日本大学トーナメントと冬の全日本大学選手権の2冠を獲得する。ユニバーシアード日本代表や関東大学選抜の経験すらなかったが、プロの一員になる情熱だけはたぎらせていた。

 4年生の夏だ。中学・高校時代に通ったクラブチーム、三菱養和SCの恩師が取り持ち、当時J2だった浦和の練習に参加した。

 9月3日の東京学芸大との練習試合では、後半から右SBで出場して切れ味鋭いプレーを披露。その後、関東大学リーグを数試合視察したスカウト担当の責任者、落合弘さんから「うちには山田暢久というすごい右サイドがいるから、彼を脅かす存在になってほしい」との下命を受け、10月末に浦和入りが内定した。

 私は同じくスカウトの宮崎義正さんに「今度入って来る西村って新人は、縦に抜け出すスピードでは暢久より速いかもしれない」と聞かされていただけに、その姿を観戦できる日を待ちわびたものだ。

 01年1月28日の加入会見で「スペースを見つけて長い距離を走るのが持ち味です。入っただけでは意味がないので、早く試合に出たい。好きな選手は元ブラジル代表のジョルジーニョと元ドイツ代表のブレーメ」と所信を述べた。

 しかしブラジル人のチッタ、ピッタ両監督が指揮した1年目は、公式戦で1度もベンチ入りできず、ハンス・オフト監督が就任した2年目は、第2ステージのヴィッセル神戸戦で帯同したものの出番はなし。03年もリーグ戦2試合、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)3試合、天皇杯1試合でメンバー入りしたが、“3年目の正直”とはいかなかった。

「山田さんの壁はすごく高かったし、2年目には平川(忠亮)も入ってさらに競争は厳しくなりました。なぜ出られないのか、出るにはどうしたらいいのかを突き詰め、2年目は寮から都内の実家に戻り、自分が所属していた少年団の早朝練習に顔を出した後、レッズの練習に電車で通ったりしました。生活リズムを変えることで現状も変わるのでは、ともがいてばかりでしたね」
 
 大学の先輩で日本代表主将も務めた柱谷哲二さんが03年、浦和のコーチとなって主にサテライトチームを指導。戦術面は柱谷コーチに、技術面は池田太コーチに徹底的に習い、怪我をするたびにトレーナーと相談しては肉体改造を試みた。