国内初のLNG燃料フェリー「さんふらわあ くれない」が就航し、大阪〜別府航路の従来船が引退の時を迎えています。そのひとつ「さんふらわあ こばると」は、旧関西汽船時代から就航している最後のフェリー。往時の面影はいまも残っています。

関西汽船時代のフェリーに乗れるのも残りわずか

 かつて瀬戸内海を中心に旅客船などの運航を手掛けていた関西汽船が最後に新造した本格的なフェリー「さんふらわあ あいぼり/こばると」が引退の時を迎えています。すでに1番船である「さんふらわあ あいぼり」は2023年1月13日、日本初の新造LNG(液化天然ガス)燃料フェリー「さんふらわあ くれない」の就航に伴って、営業航海を終えました。2番船の「さんふらわあ こばると」も、4月14日の「さんふらわあ むらさき」デビューに合わせて現役を退きます。

 フェリーさんふらわあの大阪〜別府航路に就航している関西汽船時代のフェリー、その船内を見ながら、歩んだ歴史を振り返ってみます。


さんふらわあ こばると(深水千翔撮影)。

 大阪南港さんふらわあターミナルからボーディングブリッジを抜け、「さんふらわあ こばると」の船内に入ると、まず大きな階段が目に入ります。「こばると」はこのエントランスを中心に船内のパブリックスペースと客室へ行けるようになっています。

 そのエントランスに飾られている瀬戸内海の海図には、航路が手書きで記されていました。よく見ると発着地である大阪南港と別府観光港だけでなく、別の港へも線がのびています。神戸港、小豆島の坂手港、そして愛媛県の松山観光港。いずれも今の大阪〜別府便が寄港していない港です。この海図こそが関西汽船と「さんふらわあ こばると」が歩んできた歴史の証といえます。

アフターバブルに誕生した「あいぼり/こばると」

「さんふらわあ あいぼり」は1997年12月に、「こばると」は1998年4月に相次いで就航します。建造ヤードは2隻とも三菱重工業下関造船所です。業績が低迷していた関西汽船のテコ入れ策の一環として、赤・白・赤のファンネルマークも鮮やかに花形である阪神(大阪・神戸)〜別府航路に華々しくデビューしました。

 1992年に就航した「さんふらわあ こがね/にしき」が、ダイヤモンドフェリーの「ブルーダイヤモンド」「スターダイヤモンド」と設計を共通化していたのに対し、「あいぼり/こばると」は関西汽船独自の運用思想が大きく反映されました。エンジンに日本鋼管(現JFEエンジニアリング)製の中速ディーゼルエンジンを採用し、推進システムは関西汽船伝統の2基2軸2舵を踏襲。2つのプロペラと2枚の舵という組み合わせは、コストがかかるものの操船がしやすく、安定した運航が行えるというメリットがあります。

「寄港便」華やかなりし頃 ワイワイガヤガヤ楽しい船内

「あいぼり/こばると」は、バブル景気の余力があった時代に建造された「こがね/にしき」に比べて内装のグレードは落ちたものの、乗組員からは「一番ポテンシャルがあった」「操船性はばつぐん」「汎用性があり、非常に使い勝手が良い船」と評価されていました。実際、25年間にわたる運航において、機関のトラブルなどに悩まされることが無かったといいます。

 一方で関西汽船は本四架橋の開業や運賃競争などで採算が悪化しており、定期航路の主体である大阪・神戸〜別府(別府直行便)、大阪・神戸〜松山〜別府(松山寄港便)、松山〜小倉、不定期航路である大阪・神戸〜坂手(小豆島)に集約を進めていました。

 2000年頃の年間輸送実績は旅客約70万人、車両約13万台。関西汽船は他のフェリー会社に比べて旅客の比重が大きく、阪神〜別府航路は「こがね/にしき」と「あいぼり/こばると」の4隻による1日2便体制で運航が行われていました。

 企業の団体旅行や修学旅行、旅行会社が催行するツアー旅行、卒業旅行といった大量輸送に対応するため「こばると」には大部屋のツーリストが7室、2段ベッドが並ぶツーリストベッドが34室、設けられています。幅広い年齢層が関西から四国、九州に向かうために使用していたこともあり、繁忙期の船内は人であふれかえっていたといいます。


相部屋のツーリストベッド。まだまだ相部屋が主体の時代だった(深水千翔撮影)。

 最上級の客室であるデラックスをよく見ると、ベッドの周りをカーテンで囲めるようになっていますが、これは全ての部屋が満室となった場合に、相部屋として1ベッド1人で販売することを考えていた頃の名残りです。

 繁忙期は夜行である阪神〜別府便の合間に、同じ船を使って昼行の阪神〜坂手便を運航しており、大阪南港フェリーターミナルではリネンの交換やベッドのセッティングなどを毎日、急ピッチで行っていたといいます。阪神〜別府便のレストランは今のようなバイキング形式ではなく、最初からテーブルをセッティングし、グループごとに時間を区切って料理を提供していました。

船外にも寄港時代の名残りが

「さんふらわあ こばると」のエントランスの海図はまさにこの時のもので、大阪〜別府直行便だけになった今でも、神戸港、坂手港、松山観光港の文字が表示されているわけです。そうした名残りは船の外観からも見てとれます。

 当初、車両の積み降ろしは大阪南港フェリーターミナルと松山港では船首側、神戸港中突堤では左舷側、別府港では右舷側から行っていました。そのため「あいぼり/こばると」では、各港に対応するため車両ランプが船首と左右両舷の3か所に設置されることになりました。企業の貸し切り便として和歌山港に入港したこともあり、ニーズに応じてさまざまな運用が可能な設計になっています。

 現在は大阪・別府両港ともに右舷から接岸するため、新造船の「くれない/むらさき」は車両ランプや徒歩乗船口を右側にしか設けていません。「あいぼり/こばると」も大阪〜別府直行便のみとなり、横付けする方向が限られるようになったため、さんふらわあターミナルのボーディングブリッジに対応した乗船口は右舷にしか整備されませんでした。

まもなく消える関西汽船時代の記憶


船内のイラスト。ファンネルマークは関西汽船時代のまま(深水千翔撮影)。

 2011年に関西汽船とダイヤモンドフェリーが合併し、新会社「フェリーさんふらわあ」の発足に伴って、両社に所属するフェリーのファンネルは、商船三井グループのオレンジ一色に塗り替えられました。

 ただ「さんふらわあ こばると」の船内には関西汽船時代の赤・白・赤のファンネルマークが描かれたイラストや写真が飾られており、瀬戸内海のさまざまな港に寄りながら大阪と別府を結んでいた時代を感じることができます。名門として知られた関西汽船の最後のフェリーに乗ることが出来る日も残りわずか。皆さんもぜひ乗船してみてはいかがでしょうか。