2050年までにW杯優勝を本気で狙うのなら。見逃しがちな日本の弱みとは
Jリーグの覇者(横浜F・マリノス)と天皇杯の覇者(ヴァンフォーレ甲府)が国立競技場で対戦したスーパー杯は、カタールW杯後、初めて現場で見る大きな試合だった。
30回目を迎える記念大会である。発足当時を知る者にとっては隔世の感であったと言いたいところだが、実はそれほど感激したわけではなかった。1993年当時、30年後の日本サッカー界に筆者はもっと期待していた。本場欧州にグッと近づいているものと思っていた。
スーパー杯。横浜FMが1-0リードで迎えた前半終了間際だった。甲府のエース、ピーター・ウタカがゴールを決めると、副審はオフサイドフラッグを掲げた。対象はその前のワンプレー前で、CBのエドゥアルド・マンシャが縦パスを送ったとき、前線を走ったウタカのポジションがオフサイドではなかったかと言うものである。
VARの結果、無事ゴールが認められ、試合は1-1の振り出しに戻った。甲府のファン、接戦を期待するファンには歓迎すべき判定である。筆者もその1人に属するが、現場の記者席では喜ぶどころか、こみ上げる苛立ちをこらえきれずにいた。その間5分弱。判定が下るまで遅すぎなのである。
国立競技場の電光掲示板は「オフサイド判定の確認中」という文字こそ遠目からも目視できる大きさで表示されていたが、具体的な映像は画角が小さすぎて判らず終い。
オフサイドか否か。それは極めてシンプルな問題である。その判定になぜ5分近くも費やすのか。カタールW杯でも幾度となくVARに遭遇したが、判定は実にスピーディーで、ストレスを抱くことはなかった。カタールW杯のレベルに日本のシステムは遠く及ばなかった。月とスッポン。日本の恥部を見せられた気がした。
時代から遅れる姿そのものだった。電光板には先述の通り、これまでより多くの情報が掲示された。それがJリーグの今季の新たな試みであることを後の報道で知ることになったが、前に述べたようにそれは極めて見づらく、絵に描いた餅というか、企画倒れもいいところだった。にもかかわらず、日本のメディアは大本営発表そのままに報道をした。この姿もまた情けなかった。
よいものを外から積極的に取り入れようとしなければ、本場との差は何年経っても縮まらない。日本人選手はなぜ欧州に行きたがるのか。関係者は考えなくてはならない。レベルの高い場所でプレーしたい。上手くなりたい。限界に挑戦したい。欧州組を重視する現日本代表監督の影響もあるだろう。
だが、単純に欧州へ行きたい。本場でプレーしたいと願う選手も少なくない。日本とは異なるサッカー文化の中で自分を試したい。とにかくドメスティックな日本から飛び出したいという選手もいるだろう。
筆者はかつて年間200日程度、欧州取材に費やしていた時期があったが、その理由はなによりカルチャーショックを味わいたかったからだ。ハイレベルの好勝負を見たかっただけではない。そこに漂う非日本的な常識に触れたかったからだ。日本在住の日本人には刺激的かつ魅力的に映った。高揚感に溢れる毎日を過ごすことができた。
わかりやすい例を挙げればスタジアムだ。視角鋭い急傾斜のスタンドからピッチを眺めれば、よいものがよりよいものとして目に飛び込んできた。しかし、Jリーグが発足して30年経っても、よいスタジアムの数は思いのほか増えていない。世界との比較でいえば、スタジアム貧国ぶりはいっそう顕著になっている。
欧州へ行きたがる選手の気持ちは分かっているつもりである。三浦カズがポルトガルの2部に移籍したことに懐疑的になる人は少なくない。筆者もその1人かもしれない。通じるはずがない場所になぜ出かけていくのか。単なる話題作りではないかと突っ込みたくなるが、一方で単純にもう一度欧州に出かけ、本場の空気を吸ってみたいとの欲求に駆られた末の決断であることも推測できる。試合に出場すること以前に、ポルトガルを訪れ、その空気に触れることに価値を見いだしているのではないか。
30回目を迎える記念大会である。発足当時を知る者にとっては隔世の感であったと言いたいところだが、実はそれほど感激したわけではなかった。1993年当時、30年後の日本サッカー界に筆者はもっと期待していた。本場欧州にグッと近づいているものと思っていた。
VARの結果、無事ゴールが認められ、試合は1-1の振り出しに戻った。甲府のファン、接戦を期待するファンには歓迎すべき判定である。筆者もその1人に属するが、現場の記者席では喜ぶどころか、こみ上げる苛立ちをこらえきれずにいた。その間5分弱。判定が下るまで遅すぎなのである。
国立競技場の電光掲示板は「オフサイド判定の確認中」という文字こそ遠目からも目視できる大きさで表示されていたが、具体的な映像は画角が小さすぎて判らず終い。
オフサイドか否か。それは極めてシンプルな問題である。その判定になぜ5分近くも費やすのか。カタールW杯でも幾度となくVARに遭遇したが、判定は実にスピーディーで、ストレスを抱くことはなかった。カタールW杯のレベルに日本のシステムは遠く及ばなかった。月とスッポン。日本の恥部を見せられた気がした。
時代から遅れる姿そのものだった。電光板には先述の通り、これまでより多くの情報が掲示された。それがJリーグの今季の新たな試みであることを後の報道で知ることになったが、前に述べたようにそれは極めて見づらく、絵に描いた餅というか、企画倒れもいいところだった。にもかかわらず、日本のメディアは大本営発表そのままに報道をした。この姿もまた情けなかった。
よいものを外から積極的に取り入れようとしなければ、本場との差は何年経っても縮まらない。日本人選手はなぜ欧州に行きたがるのか。関係者は考えなくてはならない。レベルの高い場所でプレーしたい。上手くなりたい。限界に挑戦したい。欧州組を重視する現日本代表監督の影響もあるだろう。
だが、単純に欧州へ行きたい。本場でプレーしたいと願う選手も少なくない。日本とは異なるサッカー文化の中で自分を試したい。とにかくドメスティックな日本から飛び出したいという選手もいるだろう。
筆者はかつて年間200日程度、欧州取材に費やしていた時期があったが、その理由はなによりカルチャーショックを味わいたかったからだ。ハイレベルの好勝負を見たかっただけではない。そこに漂う非日本的な常識に触れたかったからだ。日本在住の日本人には刺激的かつ魅力的に映った。高揚感に溢れる毎日を過ごすことができた。
わかりやすい例を挙げればスタジアムだ。視角鋭い急傾斜のスタンドからピッチを眺めれば、よいものがよりよいものとして目に飛び込んできた。しかし、Jリーグが発足して30年経っても、よいスタジアムの数は思いのほか増えていない。世界との比較でいえば、スタジアム貧国ぶりはいっそう顕著になっている。
欧州へ行きたがる選手の気持ちは分かっているつもりである。三浦カズがポルトガルの2部に移籍したことに懐疑的になる人は少なくない。筆者もその1人かもしれない。通じるはずがない場所になぜ出かけていくのか。単なる話題作りではないかと突っ込みたくなるが、一方で単純にもう一度欧州に出かけ、本場の空気を吸ってみたいとの欲求に駆られた末の決断であることも推測できる。試合に出場すること以前に、ポルトガルを訪れ、その空気に触れることに価値を見いだしているのではないか。