今こそ欲しい?「幕張新都心への鉄道」計画が頓挫したワケ “千葉から行きづらい”解消の見込みは
幕張メッセや千葉マリンスタジアムがある「幕張新都心」へ、かつて千葉駅方面から直結する鉄道の計画がありました。どんな計画で、なぜ実現しなかったのでしょうか。
鉄道は京葉線頼みな幕張新都心
千葉県美浜区の臨海エリア「幕張新都心」。様々なイベントが開催される幕張メッセ国際展示場や、プロ野球千葉ロッテマリーンズの本拠地千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)のほか、大型のオフィスや複合施設が立ち並んでいます。
東京・千葉の臨海部を走るJR京葉線(画像:写真AC)。
そんな幕張新都心の玄関口は、京葉線の海浜幕張駅ですが、総武線の主要駅である船橋、津田沼、千葉から鉄道で直接行きにくいという問題があります。たとえば千葉駅から海浜幕張駅に行くには、内・外房線で蘇我に出るか、千葉都市モノレールで千葉みなとに出るか、いずれにせよ20分近くかかり、東京駅から行くのと10分程度しか変わりません。
代わりにJR・京成の幕張本郷駅前から海浜幕張駅、幕張新都心方面に日中5分間隔という高頻度でバスが設定されており、イベント時には増発されるものの、輸送力の小さいバスでは大混雑することもしばしばです。千葉の中心地と幕張新都心を結ぶ鉄道があればと思った方もいるでしょう。実はかつて、そのような構想は確かに存在しました。
幕張新都心の歴史
幕張新都心は1967(昭和42)年、広大な埋立地に人口24万人の海浜ニュータウンを建設しようという計画からスタートしました。
1975(昭和50)年には東京一極集中に歯止めをかけるため、住宅中心の土地利用計画を大幅に見直し、業務・研究機能を持つ「幕張新都心」計画に進化しました。1980(昭和55)年に幕張地区の埋め立てが完了すると、湾岸道路、東関東自動車道、国鉄京葉線などのインフラ整備が進められ、1989(平成元)年の幕張メッセ開業に至ったのです。
幕張新都心直結も!? 千葉市の「幻の鉄道ネットワーク」とは
古くから千葉の都市交通の中心に位置付けられているのがモノレールです。その最初は1971(昭和46)年、千葉県と千葉市が「千葉都市モノレール対策協議会」を設置し、軌道系システムのマスタープランを検討しました。
千葉駅から3方向に路線が延びる千葉都市モノレール(乗りものニュース編集部撮影)。
そして1977(昭和52)年にとりまとめられた構想は、千葉みなとから千葉駅、県庁前を経て千城台に至る「1号線」と、千葉駅前からスポーツセンター、都賀駅を経て千城台に至る「2号線」から構成されています。
これにくわえ、2号線には「スポーツセンターから稲毛駅、京成稲毛駅を経て稲毛海岸駅に至る支線」、1号線には起点の千葉みなとからも京葉線に沿って延伸し、稲毛海岸駅、海浜ニュータウン稲毛地区、幕張地区、海浜幕張駅を経由して幕張本郷駅に至る延長線」の構想がありました。この延長線が実現していれば、千葉駅と幕張新都心は鉄道で直結していたはずでした。
しかし千葉都市モノレールは1999(平成11)年までに2号線と1号線千葉みなと〜県庁前間計15.2kmを全通させたものの、建設費の高騰や沿線人口の伸び悩みで経営が厳しく、債務超過に陥る苦しいスタートで、延伸どころではありませんでした。
また、計画策定後に判明した誤算もありました。千葉都市モノレールは急曲線、急勾配へ対応しやすいことや、雨や雪に強く、低騒音であるという利点を評価し、日本では珍しい「サフェージュ式懸垂モノレール」を採用しました。しかしコンクリート製の桁を走る跨座式モノレールと異なり、軌道桁や支柱が鋼鉄主体の懸垂式は塩害に弱く、沿岸部への建設には不向きだったのです。
ウヤムヤになった計画、結局落ち着いた「アクセス交通」は
実現の目途が立たないモノレール延伸構想から、重要性の高い京葉線海浜幕張〜総武線方面間を切り離した検討も始まります。2000(平成12)年の運輸政策審議会答申第18号では「幕張新都心地区へのアクセス利便性、幕張新都心の都市機能向上が期待できる」として「幕張地区の新交通システムの新設」を掲げています。具体的には次世代路面電車(LRT)や新交通システム(AGT)の導入を検討したようです。
ちなみに、この答申では各計画を「目標年次(2015年)までに開業することが適当」な「A1路線」から「整備着手することが適当」な「A2路線」、そして「今後整備について検討すべき」とされた「B路線」まで3段階に分類しましたが、「幕張地区の新交通システム」は最も重要性の低い「B路線」の扱いでした。
千葉市はいつまでたっても進まないモノレール、新交通システム、LRTの議論を待つのではなく、実際の旅客需要に対応可能な現実的な交通網の構築に着手します。首都圏から幕張新都心の訪問は幕張本郷駅からのアクセスが想定以上に多かったため、1998(平成10)年に一般路線バスとして全国で初めて連節バスを導入。その後も連節バスの増備、ICカードやバスロケーションシステムの導入など、「BRT化」を意識した輸送改善を進めてきました。
現在、バスが担う輸送量はラッシュ1時間あたり3000人以上で、朝8時台はほぼ1分に1本の頻度で運行しています。確かにこの輸送量は連節バスで対応可能な上限に近く、LRT導入が検討されてもおかしくない数字ですが、新交通システムやモノレールを整備するには物足りません。結局、連節バスを総動員する現在のスタイルが現実的と言えるでしょう。
結局、答申第18号の後継計画となる2016(平成28)年の交通政策審議会答申第198号では当計画は削除されており、「新交通システム」によるアクセス輸送については検討が頓挫したことがうかがえます。