英国戦車として最も多く造られた「バレンタイン」。自治領カナダでも造られた同車は、イギリスよりもソ連で愛され重用されたそう。最新戦車への切り替え提案も拒否し、第2次世界大戦が終わるまで使われ続けたのには理由がありました。

バレンタイン戦車が信頼性高かったワケ

 女性が意中の男性にチョコレートをプレゼントして想いを告白するというのが、日本の2月14日“バレンタイン・デー” の習慣になっています。このようなロマンチックな日と同じ名称を持つのがイギリスの「バレンタイン」歩兵戦車。

 そんな名称の戦車が、イギリスから“ギフト”として大量に供給された国があります。それは当時のソ連(現ロシア)。しかも彼の地では使い勝手に優れた戦車として重宝されたとか。一体どういうことなのか、見てみましょう。 


イギリスのバレンタイン歩兵戦車(柘植優介撮影)。

 このバレンタイン、歩兵戦車といわれる通り、歩兵を支援するために造られた戦車で、足は遅いものの、防御力に優れた分厚い装甲を持っているのが特徴です。ただ、イギリス陸軍が要求して生まれたのではなく、同国最大の兵器メーカーであるヴィッカース社が自主開発したもの。そのため陸軍側は当初、この戦車に高い評価を与えていたわけではありませんでした。

 とはいえ、当時は第2次世界大戦の開戦前夜。ドイツと一触即発という世界情勢を鑑みて、イギリス陸軍は急きょ制式採用します。ただ、同車は、もともとあった巡航戦車 Mk.Iの足回りをベースに、車体上構などを大幅に改良したうえで重装甲化する形で造られていました。

 このベースとなった巡航戦車Mk.Iが完成度の高いものであったため、バレンタインも信頼性の高い戦車として完成します。加えて生産性にも優れていたことから、同時期に誕生した「マチルダII」歩兵戦車が、改良が困難でかつ生産性もあまりよくなかったがゆえに早々と生産ラインが閉じられて第一線を退いたのに対し、バレンタインは生産が続けられました。

 しかし、アメリカから、性能・信頼性ともに上回るM4「シャーマン」中戦車が大量に供給されるようになると、バレンタイン歩兵戦車は第一線から退き、せいぜい車体だけが自走砲など派生型のベースとして用いるために生産が続くような状況となりました。

カナダ生産分のほぼ全数がソ連行き

 ただ、そういったなかでバレンタインに猛烈なラブ・コールを送る国がありました。それが、冒頭に記したようにソ連です。


イギリスのバレンタイン歩兵戦車(柘植優介撮影)。

 もともとソ連は1941年の独ソ戦勃発直後からレンドリース(武器貸与)という形でイギリスからバレンタイン歩兵戦車を数多く受け取っていました。そのようななか、ソ連は本車の機動性と機械的信頼性の高さ、小型であることなどを高く評価し、威力偵察などに重用していたのです。ゆえに、イギリスが陳腐化したバレンタインの代わりにクロムウェル巡航戦車を提供すると言ったところ、逆にソ連は古いバレンタインの方を供給し続けるよう求めたほどでした。

 このような事情から、バレンタイン歩兵戦車はイギリス本土で6855両が生産されましたが、そのうちの2394両が、またカナダでは1420両が生産されたうちの1388両が、それぞれソ連へ供与されています。特にカナダでの生産は、事実上、ソ連へ渡すためだけに行われていたといっても過言ではないほどです。

 ちなみに、これらソ連に送られた総計3782両のうち、ソ連が受領したのは3332両で、残りの450両は輸送中に失われたとも。こうした経緯も相まって、バレンタインは第2次世界大戦中、もっとも多く生産されたイギリス戦車にもなっています。

 なお、ソ連では1941年11月から実戦での運用が始まりましたが、なんと大戦末期1945年8月の満州侵攻まで使われていました。ここからも、いかにバレンタインが前線のソ連兵たちから機械的信頼性の高さで評価されていたか、垣間見ることができるでしょう。

 兵器は時として、母国よりも供与先で高い評価や優れた戦績を残すこともある――バレンタイン戦車を見るとまさにその通りだといえるのです。