日本航空協会は、鹿児島県の知覧特攻平和会館で展示されている旧日本陸軍の四式戦闘機「疾風」を、2月14日付けで「重要航空遺産」に認定すると発表しました。この戦闘機「疾風」とはどんな機体だったのでしょうか。

「大東亜決戦機」と呼ばれた期待の高性能機

 日本航空協会は2023年2月1日、鹿児島県南九州市が所有し、知覧特攻平和会館で展示されている旧日本軍陸軍の四式戦闘機「疾風」を同月14日付けで「重要航空遺産」に認定すると発表しました。


テスト機としてアメリカ本土に運ばれた「疾風」(画像:航空宇宙博物館)。

 同機は、太平洋戦争中に約3500機が製造されましたが、2023年現在、世界で唯一完全な状態で残っているのは知覧の1機のみとのこと。飛行可能な状態ではないものの、そのようなレア機ゆえに文化財としての価値が高いという点から、前出の「重要航空遺産」認定に至ったといえるでしょう。

 ただ、改めて見てみると、四式戦闘機「疾風」は戦時中、旧日本陸軍が大きな期待を寄せ「大東亜決戦機」なる愛称までつけた飛行機です。

 日本で最も多く造られた軍用機は、旧日本海軍の零式艦上戦闘機(零戦)です。同機は1万機以上の製造数を誇りますが、ここまで多い理由のひとつに挙げられるのが、海軍は後継機の開発にてこずり、開戦から終戦まで一貫して零戦を主力として使い続けたからだといわれています。それに対し陸軍は、戦争序盤の主力戦闘機である一式戦闘機「隼」を完全に置き換えることこそできませんでしたが、常に新たな戦闘機を開発・前線に投入し続けています。

 そのようななかで、「隼」に代わる主力戦闘機として、戦争後半に登場し、期待され大量生産されたのが、四式戦闘機「疾風」でした。同機は「隼」と同じ中島飛行機製で、1944(昭和19)年4月に正式採用されました。

 特徴は「隼」のもつ優れた格闘性能を維持しながら、最高速度は約660km/h、武装は機首に12.7mm機関銃を2挺、翼内に20mm機関砲2門を搭載している点でしょう。このように「疾風」は速度性と火力という、戦闘機に必須ともいえる要素が大幅に強化されていました。

 この高性能を支えていたのが、中島製の新型エンジンである「ハ45」でしたが、戦局悪化に伴う整備不足と、潤滑油やガソリンの品質低下により、稼働率は低く、カタログスペック通りの性能を発揮できる機体も少なかったといわれています。ただ、陸軍から、「大東亜決戦機」と呼ばれ、数々のエースパイロットを輩出したのは事実です。

重要遺産とされたが過去の経緯から厳しい意見も

 重要航空遺産は、文化財としての認識や理解が十分とは言えない航空遺産の文化財的価値や遺産そのものの喪失を防ぎ、価値の高い航空遺産を後世へ残すことを目的として、2007(平成19)年に設立されたものです。旧日本軍の機体でほかに認定されているのは、万世特攻平和祈念館にある零式水上偵察機、所沢航空発祥記念館の九一式戦闘機、立飛ホールディングスの所有する一式双発高等練習機が登録されています。

 今回、知覧特攻平和会館の「疾風」が同航空遺産に選ばれたことに関して、SNSでは「日本の遺産はみんなで守っていかないとね」「我が国の航空技術の発達史としても なんにせよ重要な位置にある機体だと思うので、こうやって保護されていくのは妥当だと思います」といった喜びのコメントが見受けられます。

 しかし、同機はアメリカで飛行可能な状態に復元されましたが、日本に購入され、京都嵐山美術館で展示されるようになった1973(昭和48)年以降に静態保存になってしまったことから、「動態保存できないなら 日本人が買うべきではなかった」「認定されたらちゃんと保存される保証もなさそう」といった手厳しい意見もありました。

 ただ、一部ネットで噂されているような、機体を切断したから飛べなくなってしまったとう事実はありません。同機は元々、前後に分割できる構造で、そのことを勘違いした人から誤報が広まったとされています。さらに、同機は2017(平成29)年より、専門家の手により本格的な調査や保存修復も行われており、機体の状態は良好に保たれています。今回の重要航空遺産認定でさらに手厚い保護体制が整うことも考えられます。


※一部修正しました(2月15日10時52分)。