日本人はこの30年でどれだけ貧しくなったのか。モルガン銀行(現・JPモルガン・チェース銀行)元日本代表の藤巻健史さんは「このほどアメリカに2カ月間滞在し、もはや日本は経済大国でないと実感した。ホテル代は1泊20万円だったが、それを高いと感じるのは給料の上がらない日本人だけだろう」という――。

※本稿は、藤巻健史『超インフレ時代の「お金の守り方」』(PHPビジネス新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Nelson_A_Ishikawa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nelson_A_Ishikawa

■日本はもはや経済大国ではない

私が以前アメリカに留学していたのは1978年から80年にかけてのことですが、ちょうどその頃に発刊されたのが『ジャパン・アズ・ナンバーワン アメリカへの教訓』(1979年)という本でした。

社会学者でハーバード大学教授のエズラ・ヴォーゲルが日本の高度経済成長の要因を分析し、アメリカも日本を見習うべきだと説いた本書は大ベストセラーになりました。

ちなみに私がビジネススクールを無事に卒業できたのは、日本の高度経済成長のおかげだと思っています。アメリカのビジネススクールの授業では積極的な発言をすることが求められるのですが、日本経済について何らかの発言をすれば、たいてい評価されたからです。

もちろん、当時も今も経済規模はアメリカのほうがよほど大きかったのですが、当時の日本人には私を含め「経済ではアメリカに勝った」という意識があったと思います。

その後、日本はバブル経済とその崩壊により、いわゆる「失われた30年」に突入するわけですが、私と同世代か少し下の世代の人たちの中には、いまだに「日本の経済力はアメリカに匹敵する」と考えている人も多いと思います。

マクロの数字を見れば、それが幻想だということがわかります。

私がアメリカにいた40年前と今を比較すると、日本とアメリカのGDP成長率の差は歴然としています。

■ホテル代は1泊20万円、休日料金では泊まれず…

それでも心のどこかで、日本の経済力を信じる気持ちが私にもありましたが、今回、アメリカに滞在してその幻想は吹っ飛ばされました。

圧倒的な物価の差、広がる日米賃金格差、IT化の進展。「日本はアメリカに経済的にも完全に負けた」と思わざるを得なかったのです。

象徴的だったのがホテル代です。

アメリカ滞在中、モルガン時代の古い仲間と情報交換のために会うことになりました。私はボストンに滞在しており、彼はニューヨークに住んでいたので、その中間地点くらいのホテルで落ち合おうという話になりました。

アメリカ人の友人が2つのホテルを推薦してきましたが、その料金を見てびっくり。安いほうのホテルが1泊なんと20万円。しかも、休日となるとそれが一気に40万円に跳ね上がるのです。

写真=iStock.com/Giselleflissak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Giselleflissak

それでも超高級ホテルというわけではなく、せいぜい上の下というくらい。日本なら1泊5万円といったところでしょう。

そんなホテルの料金が1泊20万円から40万円だというのです。私がアポイントを平日にしてもらったのは言うまでもありません。

もちろん、昨今の円安の影響があるとはいえ、1年ほど前の1ドル105円のレートで計算したとしても、1泊約16万円。感覚的には日本よりも3倍から4倍くらい高いイメージです。

■給料も増えているからアメリカ人には高くない

しかし、アメリカ人は決して、この値段を高いとは思っていないのです。

なぜなら、物価も上がっているけれど、彼らの給与も上がっているから。ホテル料金が3倍、4倍になっても、自分の給与もまた3倍、4倍になっていれば、体感価格は変わりません。事実、この日、ホテルは満室でした。

ちなみに現在のアメリカはかなりの人手不足ですが、そのアメリカ人の友人に会う前に言われました。

「タケシ、日本のホテルのように“おもてなし”は期待するなよ。従業員の大半が大学生のアルバイトだから」と。「えっー、1泊20万円も支払って、従業員はアルバイトなのか」と思ったものです。

かつては日本にもそんな時代がありました。私が大学を卒業して三井信託銀行に入社したのは1974年のことですが、この年、「期中改定」というものがあり、4月にもらった初任給はたしか3万円だったのに対し、6月からはなんと6万円になりました。いきなり月給が2倍になったのです。

当時、田中角栄の日本列島改造計画のもと、経済がぐんぐん成長している時代でした。当然物価も上がっていましたが、給与もこのように急激に上がっていたので、生活に困ることはなかったのです。当時の日本ほどではないにせよ、今のアメリカ人の感覚はこのようなものだと思います。

■「失われた30年」を痛感した

ちなみに私の最初のボーナスは20万円。手渡しでの現金支給でした。ところが、その当日の飲み会の帰りになんとボーナスを袋ごと落としてしまったのです。駅で気が付いて慌てて戻りましたが、後の祭り。倍になった給与とともに、いまだに忘れられない思い出です。

初代の林家三平師匠だったと思いますが、「男は泣いちゃいけない。泣いていいのはサイフを落とした時だけだ」とおっしゃっていましたが、私はこの日泣きました。

アメリカと日本のGDP成長率には大きな差がついてしまっており、アメリカがこの30年で大きくGDPを伸ばしたのに対し、日本は横ばいです。

GDP全体のパイが大きくなれば、一人当たりのパイも大きくなる。当たり前の話です。そのこと自体はマクロの数字を見ればわかることですが、その意味を肌で感じたのがこのホテルの料金だったのです。

International Monetary Fund(国際通貨基金)公式サイトより

■世界で日本語を見かけなくなっている

もう一つ、日本の地盤沈下を強く感じたことがあります。それは、世界で日本語を見かける機会が大幅に減っていることです。

アメリカ滞在中、たまには観光もしようと、「水陸両用車ツアー」というものに参加しました。軍隊でも使っていたという水陸両用車に乗って、チャールズ川のクルーズを楽しむというもので、外国人観光客も多く参加していました。しかし、10カ国語で案内がある中、日本語の案内はなかったのです。

ただし、これは数年前から世界各地で見られていたことでもあります。

例えばかつてのオーストラリアには、「ここは日本だろうか」というくらい日本語の案内が街に溢れていましたが、最近ではめっきり見かけなくなりました。代わりに目立つようになっているのが中国人観光客であり、街にも中国語が溢れていました。

日本人のメッカであるハワイでも中国人の存在感は日に日に大きくなっており、数年前にハワイでヘリコプターツアーに参加した際もお客さんのほとんどが中国人で、日本語の案内は何もありませんでした。

ちなみに水陸両用車ですが、川の真ん中に出たあとは小さな子供たちに運転させていました。運転手は助手席に移り、ハンドルからは完璧に手を離したままです。日本では遊園地ならばともかく、他の乗客が乗った水陸両用車を小さな子供に運転させるなどもっての他でしょう。これも、アメリカならでは、と思いました。

■アメリカ人が年金を「信頼している」理由

アメリカ人と話していて、日本人ともっとも大きな違いを感じたのが「将来への不安」です。昨今の日本では、あらゆるメディアが「老後不安」を掻き立てています。

いわく「年金だけでは食べていけない」「70歳以上になっても働かなくてはならない」など。そうした報道はアメリカではほとんど見ませんし、実際に話していても、多くの人が自分の老後に対して非常に楽観的だと感じます。

その最大の理由は年金でしょう。日本では「年金をあてにするな」という意見が大半なのに対して、アメリカ人は年金を心から楽しみにしているのです。

その違いを生み出しているのも経済成長です。アメリカの年金は株式等による運用が基本ですが、例えばニューヨークダウ平均の推移を見ると、30年ほど前と比べて10倍くらいになっています。つまり、掛け金に対して相当大きなリターンが期待できるのです。

アメリカ駐在経験のある日本人がアメリカの年金をもらえてずいぶん助かっているという話を聞きますが、それも当然の話でしょう。

一方の日本では、そもそも年金は「賦課方式」。つまり、現役世代が年金受給世代を支えるというモデルですから、少子高齢化が進めば進むほど脆弱(ぜいじゃく)になるのは当然の話です。

また、投資をしていたとしても、日本の株価はこの40年にわたって大して上がっていないどころか、バブル期に比べれば下がっているくらいですから、大したリターンも期待できません。これでは、老後が不安になるのも当然の話です。

結局、GDPを大きくしないことには、将来不安は決して解消しないのです。

■日本は「みんな平等に貧乏になる道」を進んでいる

それに対して、「経済成長なんて目指さなくてもいい」という主張をする人がいます。幸せとはお金ではない。お金がなくても幸せになれる。小さくても輝く国になればいい。そういう主張です。

藤巻健史『超インフレ時代の「お金の守り方」』(PHPビジネス新書)

そして、「アメリカは確かに経済的に発展しているが、格差が広がっており、国民全員が幸せなわけではない」と指摘します。

確かにアメリカで格差が大きな社会問題になっているのは事実です。驚くような大金持ちがいる一方で、毎日の生活すらままならない貧困層も数多くいます。格差の問題は社会を揺るがすほどになっており、犯罪率が日本よりも高いのは事実です。

ジャズのレコード制作で何十年とニューヨークに住んでいる高校のクラスメートに会いに行ったことがあります。その時、有名なジャズミュージシャンの家に連れていってもらいました。

一室の狭い部屋の両側に、二段ベッドが2つずつ並んでいて、8人の普段の生活空間は、二段ベッドの間の狭いスペースでした。有名ジャズミュージシャンでも、こんな生活をしているのか、と驚きました。

今でも、ボストン郊外のウースターの町の交差点にはホームレスが何人かいます。ウーバーの運転手さんは「いくらでも仕事はあるのだから、働け!」と怒っていましたが、不法移民で働くのが難しい人なのではないかと思いました。

日本でも最近は格差問題が叫ばれていますが、アメリカに比べれば圧倒的に平等だと言えるでしょう。しかし、私は今の日本は、格差を問題視するあまり「みんな平等に貧乏になる」道を選んでいるとしか思えないのです。

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藤巻 健史(ふじまき・たけし)
フジマキ・ジャパン代表取締役
1950年東京生まれ。一橋大学商学部を卒業後、三井信託銀行に入行。80年に行費留学にてMBAを取得(米ノースウエスタン大学大学院・ケロッグスクール)。85年米モルガン銀行入行。当時、東京市場唯一の外銀日本人支店長に就任。2000年に同行退行後。1999年より2012年まで一橋大学経済学部で、02年より09年まで早稲田大学大学院商学研究科で非常勤講師。日本金融学会所属。現在(株)フジマキ・ジャパン代表取締役。東洋学園大学理事。2013年から19年までは参議院議員を務めた。2020年11月、旭日中受賞受章。
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(フジマキ・ジャパン代表取締役 藤巻 健史)