うま、くい…? 都内でも屈指の読みづらい駅「馬喰町」の由来 なぜか長野に友好駅が
知らなければ「うまいくい」や「ばしょく」としか読めない馬喰町(ばくろちょう)駅、なぜこんな名前になったのでしょうか。その起源は江戸時代より前に遡るようです。
江戸時代の役職が駅名の由来だった?
JR総武線快速の駅である「馬喰町駅」、素直に読めば“うまくい”や“ばしょく”となるかもしれませんが、「ばくろちょうえき」と読みます。都内でも屈指の読みづらい駅名にして、町名でもあるこの不思議な名前、なぜできたのでしょうか。
地下にある馬喰町駅は独特の雰囲気(斎藤雅道撮影)。
その由来は、江戸幕府を開く前の徳川家康が、豊臣秀吉に関東へ領地替えを命じられた頃にさかのぼります。1590(天正18)年、家康は馬市を江戸でも行えるようにするため、高木源兵衛という人物を、馬の売買・仲介を行う博労(ばくろう)頭に任命しました。家康の天下統一がほぼ確定する、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いの際は、この地で出陣前の馬の検査や演習が行われたとされています。
この博労が、江戸幕府が開かれたあと馬労と書くようになり、正保年間(1644〜1648年)頃には既に「馬喰町」という表記になっていたようです。馬喰町とはこの馬労が集まる町という意味で、別に馬刺しを売っていた町というわけではないようです。
なお、馬喰町駅は、海抜にしてマイナス27.14mの深さにある地下駅です。この深さは、国鉄時代の開業当時は全国で一番低い位置にある駅でした。JR東日本になった後は、1990(平成2)年に完成した京葉線東京駅に抜かれますが、現在も、国鉄で一番高い野辺山駅と友好関係にあり、改札前に長野産の白樺でつくられたオブジェが設置されています。
馬喰町駅といえば、絶え間なく流れている地下水も有名です。駅に電車が来ていないときは、水の音が聞こえるほどですが、これは江戸時代から埋め立てが始まるまで、同地が海の近くだったことが関係しています。元々が海に近かったため、地下水が豊富に含まれている地盤なのです。
また、同駅は都営浅草線の東日本橋駅、都営地新宿線の馬喰横山駅と地下道で接しており、地下道を利用しての乗り換えも可能です。馬喰町駅から東日本橋駅の乗り換えは、場所によっては地上に出た方がおそらく早いですが、猛暑日や雨風をしのぎたい日はかなり便利です。また、長大な地下道は、浅草橋駅の近くまで通っており、地下道を活用すれば様々な乗り換えが可能なので、かなりの時短になるケースもあります。