アメリカが生んだ超音速戦略爆撃機B-1が1974年12月23日、初飛行しました。一度は開発キャンセルになったものの、新たな政権の発足で一転して実用化へ。その後は核攻撃任務から外れるなど、時代とともに変化し続けているそうです。

試作機と量産機で姿違うB-1爆撃機

 生まれた時の姿と成長した時の姿が異なることは、鳥類の世界ではよくあることですが、似たようなことは「人造の鳥」といえる航空機でも見られます。そのひとつが、いまから半世紀ほど前の1974年12月23日に初飛行したロックウェル・インターナショナル社(現ボーイング)のB-1「ランサー」爆撃機です。

 開発当初の、いうなれば生まれたての姿と、量産機の数がそろい、実運用が始まった後の姿が異なるという、B-1「ランサー」がたどった歴史を振り返ります。


アメリカ空軍のB-1B「ランサー」爆撃機(画像:アメリカ空軍)。

 B-1は全長約45m、重量86tもある大型の爆撃機ですが、スリムでスマートな機体形状が特徴のひとつ。一般的な爆撃機に対するイメージは「大量の爆弾を搭載しているため大きくて鈍重な機体」といったものかもしれませんが、B-1はむしろ、巨大な“スポーツカー”といった感じのスッキリとしたスタイルです。

 最高速度はマッハ1.25(約1335km/h)、胴体中央の3つの爆弾倉には最大で約34tの各種兵装が積み込めます。無誘導爆弾からGPS誘導爆弾、巡航ミサイルまで搭載可能で、機首下には自身で目標照準ができるスナイパーXR照準ポッドも装備しています。

 十分な爆弾搭載量と高速性能によって、近年の紛争では攻撃手段として重宝され、それらで記録した戦績は、この爆撃機の能力の高さを表すにふさわしいものだとか。たとえば2001年に始まったアフガニスタンでの「不朽の自由作戦」では、参加した8機のB-1が最初の半年間で約3900発ものJDAM(GPS誘導爆弾)を投下。しかも、その期間中の連合軍全体が投下した爆弾総量の4割が、このB-1によって投下された量となっています。

 B-1は爆弾の投下数だけでなく、爆撃機としての飛行時間の長さも重宝されました。当時アフガニスタンで敵対していたタリバン勢力は空軍力がなく防空能力がほぼ皆無だったため、地上支援用の爆撃機や攻撃機を同国上空で待機させることができました。

 2012年にB-1を運用する第9遠征爆撃飛行隊がアフガニスタンに展開したときは、保有する9機のB-1の1機を常にアフガニスタン上空へ飛ばす態勢を維持。これにより、アフガニスタンに派遣された友軍地上部隊は、24時間いつでもどこでも爆撃支援を受けることができたといいます。

1回はキャンセルされるも新政権が開発再開

 このように近年の紛争地域では極めて重用されたB-1ですが、この機体が開発されたときは、今とは形も任務も異なっていました。実はB-1には最初に開発されて試作で終わったA型と、後に改良されて現在運用されているB型の2種類があるのです。

 この機体の開発が始まった1960年代頃は、アメリカ空軍の爆撃機は戦略航空軍団(SAC)に所属していて、その任務は核兵器を使用した国家を対象とする戦略爆撃でした。よって、最初のタイプであるB-1Aも戦略航空軍団が運用する核攻撃のための爆撃機として生まれた経緯を持ちます。


B-1A爆撃機の初号機。スラっと伸びた胴体と白いボディーは「白鳥」を連想させるのかもしれない(画像:アメリカ空軍)。

 アメリカ本土からソビエト連邦陣営(現在のロシアとその周辺国)の国家中枢を爆撃するために、高高度超音速飛行による長い航続距離が求められ、同時に相手国に進入した時はミサイルなどの迎撃手段を回避するための低空飛行能力も必要とされました。これらは航空機の設計では相反する性能要求でしたが、B-1Aでは可変翼を採用することで対応。B-1Aは高度1万5000mをマッハ2で飛行することができたが、同時に音速以下の速度で高度150m程度の超低空を這うように飛ぶこともできました。

 B-1Aは1974年10月26日に1号機が完成し、のちに4号機まで作られます。しかし、可変翼機構や複雑なアビオニクスを搭載しているために、想定される機体コストは予定の倍近くまで高騰してしまいます。

 加えて、同時期に別の核攻撃手段として大陸間弾道ミサイル(ICBM)が発達したことも相まって、1977年にはB-1Aの開発計画はキャンセルとなってしまいました。ただ、B-1Aに使われている新技術は、今後の軍用機開発にも応用できると判断され、製造された試作機4機による飛行試験だけは続けられています。

 こうして、いったんは採用中止となったB-1ですが、1980年に転機が訪れます。この年の大統領選挙によって誕生したロナルド・レーガン政権は、ソビエト連邦を「悪の帝国」と呼び、「強いアメリカ」を強調した政策を打ち出します。その結果、B-1も次世代爆撃機として開発が再開。こうして完成したのが現在のB-1Bなのです。

現行のB-1は核兵器の運用ムリ!

 A型とB型の変更点はいくつかありますが、わかりやすいポイントは、要求最高速度の低下とそれによるエアインテーク(空気取り入れ口)周りの設計変更です。A型ではマッハ2以上の最高速度が求められましたが、B型はそれがマッハ1.25になりました。低速と高速に対応するためにA型のインテークは可変式でしたが、B型は固定式になり構造の簡略化ととともにコスト低下を実現しています。

 B型も、当初はA型が想定していた核戦力の一端を担っていたものの、冷戦終結による核兵器削減の流れによって通常兵器を運用する爆撃機へと任務の軸足を移します。その結果、前出したように次々と様々な戦争地域へ駆り出されるようになりました。


B-1B爆撃機。塗装はガンメタルグレイになり、インテークも固定式になった(画像:アメリカ空軍)。

 なお、B-1は一部メディアから「死の白鳥」という異名で呼ばれることもあります。しかし、これは最初のB-1Aが核爆発時の閃光対策で機体を白く塗っていたことと、同機が核攻撃を専門としていたことが理由だと思われます。しかし、現在のB-1B型はグレイ系の塗装が基本であり、核兵器の運用能力自体も失っています。

「死の白鳥」という言葉は詩的な表現ともいえますが、それはB-1の白鳥のような美しいスタイルと、狂気じみた核攻撃能力にマッチしていたのかもしれません。ただ、それはあくまでも最初の頃の印象であり、初飛行から半世紀近くが経った今のB-1とはかけ離れたものといえるでしょう。

 アメリカ空軍は当初100機のB-1Bを配備していましたが、近年はそれが62機まで減少。さらにアフガニスタンなどでの運用で機体疲労が進んだことが判明し、2020年にはさらに17機を早期退役させ、その大部分を残りの現役機の部品取りに使うことを決めました。ゆえに、B-1は現在開発中のB-21「レイダー」の配備と入れ替わるように2030年代前半に完全退役する予定です。