旧日本海軍の空母「葛城」が1944年の今日、竣工しました。しかし、戦歴らしい戦歴はなし。ミッドウェー海戦で主力空母を多数失った日本は中型空母の建造を急ぎ、そのなかで生まれた1隻が「葛城」でした。

終戦時、健在だったとはいえ…

 1944(昭和19)年の10月15日は、旧日本海軍の航空母艦「葛城」が竣工した日です。場所は広島県の呉。艤装工事も含め完成した旧海軍の空母としては、この「葛城」が最後です。


旧日本海軍の航空母艦「葛城」。1945年10月撮影(画像:アメリカ海軍)。

「葛城」は10隻あまりの建造が計画された雲龍型空母の3番艦。1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った日本は、中型空母の建造を急いでいました。しかし戦局の悪化などから、雲龍型は「葛城」が最後の艦となります。

 晴れて竣工までこぎつけた「葛城」でしたが、前出の通り、当時すでに戦局は悪化の一途を辿っており、そもそも搭載する艦載機や燃料も十分にありませんでした。そのため「葛城」は空母としての任務に就けないまま、呉で待機を続けます。

 そのようななか1945(昭和20)年3月、空母から発進したアメリカ軍の艦載機が呉に襲来、停泊していた「葛城」も標的になります。被弾した「葛城」は呉の南にある三ツ子島へ疎開。艦を島に偽装して留め置かれます。

 その後7月末にも空襲を受けますが、同じように出撃できず軍港に停泊していた戦艦などが撃沈されるなか、「葛城」の損害は比較的軽微でした。そのため、8月に終戦を迎えると、以降は復員兵の輸送船として活用されました。格納庫や飛行甲板を持つ空母は、多くの人員を収容するのにうってつけだったのです。

 航空戦力を増強する目的で建造されたのにもかかわらず、「葛城」には最後まで、艦載機を搭載し外洋へ進出する機会は訪れませんでした。