86年前の10月10日、中国地方のローカル線、芸備線が全通しました。

かつては鳥取〜広島の急行列車も


芸備線を走るキハ120形気動車(画像:写真AC)。

 今から86年前の1936(昭和11)年10月10日。新見駅と広島駅をむすぶ延長159.1 kmの芸備線が全通しました。

 広島駅を出ると三篠川の谷間を遡っていき、そのまま三次、塩町、備後落合と山陰・山陽方面のローカル線へ順次接続して、岡山県の新見市まで、ほぼ全線が山間部となります。

 閑散区間が多く、県境付近の東城〜備後落合は2021年度で1日あたり利用者がわずか13人と、JR西日本ワースト区間となっています。そのためたびたび廃線が取り沙汰され、沿線自治体を中心に存続のための取り組みを続けています。

 さて、芸備線のおこりは1915(大正4)年。芸備鉄道により東広島〜志和地の約59kmが開業したのがはじまりです。本当は目の前の三次まで一気に開業したかったのですが、トンネル工事で崩落事故が発生し、1か月ほどおあずけになりました。

 そこから徐々に東へ延伸。同時に国鉄も「庄原線」「三神線」として部分開業を続け、最後に小奴可〜備後落合の11kmを残すのみとなっていました。

 機関車が客車を引く列車の合間に、1929(昭和4)年からしばらくガソリンカーも走り始めます。自走する1両だけのコンパクトな列車なので、最低限の簡素なホームだけを用意したガソリンカー専用の停留場もいくつか設けられたといいます。

 1968年10月のダイヤを見ると、新見〜広島の通しダイヤは乗り継ぎ含め1日5往復。それに加え、急行が「ひば」「たいしゃく」「ちどり」「いなば」「しらぎり」と、百花繚乱の様相でした。特に「ひば」「ちどり」は、木次線を経由して米子・鳥取へ行くという、今では考えられない優等列車でした。