超人を“鳥人”と誤認、犬の育て方で飛躍… 阪神糸井“らしさ全開”の引退会見
野手転向当初は「犬のペットの育て方で僕は育てられました(笑)」
阪神・糸井嘉男外野手が13日、西宮市内のホテルで現役引退会見を行った。最後の最後まで“糸井節”を炸裂させ、会場は爆笑の渦に包まれた。2006年に投手から野手転向を告げられた時の率直な思い、恩師から告げられた“糸井攻略法”、超人と鳥人の誤認……。プロ19年目、全ての野球ファンから愛された男が語った引退会見の一問一答は以下の通り。
――19年間、練習以外に続けてきたことや信念は?
「やっぱり苦しい時が野球で多いんですけど、バットも振りたくないとか。毎日、毎日結果に追われるスポーツなので苦しい時期が多かったんですけど、それでも次の日、それでもダメならまたという向上心。諦めない気持ちというのが、自分を成長させてくれたかなと思います」
――いろんな指導者に出会った中で、覚えている言葉などは?
「本当に数々のいい指導者に恵まれました。中でも一からバットを振ることを叩き込まれた、日ハムで今オリックスGMの福良(淳一)さんだったり、大村巌コーチ、今DeNAの2軍におられるんですけど、『お前を教えるのは本当に苦労した』と言われました。本屋でペットの犬の育て方みたいなのを買って、それを読んで僕を教えるヒントを得たと。犬の育て方で僕は育てられました(笑)」
――野手に転向した際に、学ぼうとしたことは?
「ペットの飼い方の本で(笑)? それはもう必死に死にものぐるいで。手がバットから離れないくらい、離すと痛いので。離れないくらい振り込んだ。あれがなかったら今の僕はいないと思います」
ソフトバンク柳田、オリックス吉田正は「僕をどんどん超えて、雲の上の存在に」
――“超人軍団”のソフトバンク・柳田悠岐外野手、オリックス・吉田正尚外野手に連絡は?
「もちろんしました。今年で辞めると。本当に、他球団ですけど『一緒に練習しましょう』とか言って頂いて、僕もあの2人には刺激をもらいましたし、2人とも僕をどんどん超えていって、雲の上の存在になってしまった。でも、その2人、他にもいますけど、本当に出会えて良かったなと思います」
――吉田正とは、今年1月に後輩の佐藤輝明内野手を連れて自主トレも
「そうですね。僕はもう外からになりますけど、やっぱり球界を代表するバッターなので、テルと他にもいますけど、また見てもらって、たまに僕も練習行こうかなと思います」
――日本ハム・新庄剛志監督に連絡は?
「いや、あの、今からしたいなと思います」
――ここまでの野球人生を振り返り、改めて野球の魅力は?
「そうですね。小さい頃から本当に野球に情熱を注いで、41歳までやってきたなと。本当に野球から、実感するんですけど、魅力というのはやっぱり、なんでしょうね。人間、人と人との、仲間だったり。技術は進んでいますけど、自分の成長を、なんていうんですかね。自分がやった成長というのを感じられるスポーツですし、本当に魅力たっぷりだと思います」
地元の京都・宮津からの応援「田舎の声援というのはすごく力になりました」
――SMAPの「SHAKE」を登場曲として使用し球場が盛り上がった
「あれが聞けなくなるのは本当に寂しい。ファンの方に『糸井ならやれるーや!』と、フレーズをもらって、本当にありがたかったですし、あれが聞けなくなるのは寂しい」
――投手から野手に転向して活躍する姿は野球界や子どもたちにも勇気を与えた
「色々と苦しい、自分もありましたけど。そういうのは絶対に訪れるので、やっぱり野球が好きという、僕の中ではそれが絶対に心の中にあったので。何が来ても乗り越えられましたし、絶対に活躍するんだという気持ちを持っていれば、自分から努力もしますし。そういう気持ちがあれば、何でもできると思います」
――今年シーズンは「野手に転向したときの気持ちと同じ」と語っていた。改めて今季を振り返って
「そういう意味では今年、僕はすごく懸けていたというか。自分の中でけじめをつける1年にしようとしていた。キャンプもルーキーのような形でやりましたし、フルメニューもみんなに混じってやりましたし、ここ数年では絶対にあり得ないこと。そう考えるとやっぱり、また来年その気持ちでキャンプって考えた時に、ちょっと自分の中でクエスチョンが出たというのは正直なところです」
――地元の京都・宮津で応援してくれるファンに向け
「地元は田舎なんですけど、たまにバス2台くらい貸し切って大人数で応援に来てくださったりしていた。本当に感謝している。たまにやりすぎちゃう? くらい激しく動いたりしたので少し恥ずかしい思いもしました(笑)。でもやっぱり田舎の声援というのはすごく力になりました」
自分で超人と思うところは「たまに、意味の分からない発言をしたり、見た目とか」
――超人と呼ばれることをどう思っていた?
「いつからなんですかね? いつからか僕も分からないんですが、最初は“チョウジン”と言われて羽も生えてへんし、空も飛べへんし。そっちの鳥人やと思っていましたけど(笑)。でも、そうやって呼んでくださることでモチベーションは上がっていました」
――自分で超人と思うことは?
「自分でですか? ありました(笑)。たまに、意味の分からない発言をしたり。まぁ、見た目とか、そんな感じですかね」
――会見で涙を見せないのはこだわり?
「こだわりというか、本当に昨日一睡もしていないので。はい、泣きましたし。(涙は)枯れました」
――残りのシーズンでグラウンドに立つ可能性は?
「もちろん、このあと2軍で練習しますし、引退試合も今のところ控えていると思うので。練習はもちろんしますし、若手の子らとまたいろいろ話したいなと思います」
――今だから明かせる怪我は?
「やっぱり、アスリートをやっていれば怪我はつきもの。選手生命に関わるような怪我、手術もたくさんしてきました。手術の痕なんて裸になれば何個もあるくらい、あります。やっぱり怪我の時期って野球ができない苦しみがありますが、また野球をするにはそこから復活しないとできないので。そこで培った気持ちとか、忍耐力というのは、治った後につながってくると思いますね」
――将来的にはユニホームを着たい?
「そうですね。おっさんになってきたら、若手の活躍が嬉しくなってくるものかもしれないですけど。本当に嬉しかったですし、ゆくゆくは何らかの形でプロではなしに、野球の発展につながるのであれば。指導とか携われたらなと思います」
「本当のこと言うと『糸井君使えないよ』と言われたときは大嫌いでした(笑)」
――野手転向を勧めてくれた高田繁GMへの思いは?
「本当に感謝しています。自分の力を見いだしてくれましたし、本当のこと言うと『糸井君使えないよ』と言われたときは大嫌いでした(笑)。愛情の裏返しということで、ほんとに厳しくてね。僕も『2、3年は見てください』と返したんですけど『それはできない』と。この1年で結果を出さないと『野手も見切る』と言われて、そこから、必死になったというかプロの厳しさを思い知らされました。本当に感謝しています」
――昨日の涙は寂しさの涙か、達成感の涙か?
「両方ありますね。実感が沸かないというか、会見に明日行くのかという実感がなかったので、それで昨日、会見もありますし、みんなに知らされるということで実感してきました。その中で思い出や色んなことがあった中で、一睡もできませんでした」
――阪神で同僚だった福留孝介の引退をどう受け止めた?
「福留孝介さんというのは僕の中で偉大で、もちろん目標でもありましたし、参考にもさせてもらったバッターだったので。そういう方とタイガースで一緒にプレーできた時間はとても貴重でした。タイミングは同じですけど、福留さんが経験してきたことは倍ぐらい違いますし、やってきた年数も本当にすごいなと改めて思います」
――19年の現役は長かったか、短かったか?
「やっぱり長いようで、今思うと短いなと。今からの選手が1日、1日を濃いものにしていってほしいなと思います」
――稲葉GMには連絡はした
「はい。『嘉男も辞めるかぁ』と。一番近くで目標にしていた選手が稲葉さんなので、ああいう選手になりたいなと。後輩への対応を見ていても、すごく尊敬していましたので、本当に目標にしていました。本当に労いの言葉をいただきました」(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)