豪雨被災地・熊本への支援希望で客足殺到 コロナ禍の銀座でアンテナショップの売り上げ約3割増加 - 清水駿貴
※この記事は2020年10月04日にBLOGOSで公開されたものです
「被災地の商品はありますか?」
新型コロナウイルスの影響で人通りの減った夏の銀座。それでも多くの人が押し寄せた。
今年7月4日、熊本県南部を襲った記録的な豪雨。ニュースを目にした都内の人々はアンテナショップ「銀座熊本館」を訪れ、現地の名産品を次々にレジへと運んだ。多くが熊本にこれまでゆかりのない人たちだったという。
特に被害が大きかった人吉球磨(ひとよしくま)エリアで造られる“球磨焼酎”のうち、壊滅的な被害を受けた酒蔵の商品は数日で在庫が切れた。
4年前の熊本地震から復興しつつあった同県を直撃した豪雨被害から今月4日で3ヶ月。
復興はいまだ途中だが、銀座熊本館・店舗責任者の杉村輝彦さんは「遠く離れた東京から熊本を支援したいと言ってくれるお客様がたくさんいる。息の長い支援になるよう我々も力を入れていきたい」と前を向いている。
熊本地震発生時にも開店前から行列 被災地への支援殺到ふたたび
9月中旬、筆者が銀座熊本館を訪れた際、2000~2500種類の特産品が並ぶ店内は多くの買い物客で賑わっていた。
「お客さん、多いですね」。杉村さんに話を向けると「水害以降、支援したいと言って訪れてくれるお客様がすごく増えました」と口にし、水害当時のことを教えてくれた。
7月4日未明、熊本県南部に猛烈な雨が降り、日本三急流のひとつである球磨川が氾濫した。球磨郡球磨村では全世帯の約3分の1が浸水。人吉市では20人が死亡するなど大きな被害がニュースで伝えられた。
東京にいる杉村さんら銀座熊本館のスタッフ約25人は報道でしか被害の程度を知ることができない。現地は電話が通じない状況。商品を卸してくれる事業者の中には、電波の通じる隣県の宮崎県まで移動して、取引先一軒一軒に連絡をしている人もいた。
「無理しないで、まずは身の安全を第一に考えてください」。そう声をかけることしかできない。心配だが、避難の妨げになってはいけないと、東京から連絡をすることは控えた。
スタッフの頭には2016年4月、最大震度7の揺れが襲った熊本地震が報じられた際、開店前から現地を支援しようと客が足を運び、行列ができた光景が浮かんだ。
開店前、杉村さんらスタッフは、店内の正面、一番目立つ場所に、特に被害が大きいと伝えられた人吉球磨エリアの焼酎や、芦北水俣エリアの海産物や柑橘系を使った商品などを並べた。
杉村さんらスタッフにできることは、商品を買ってもらうことで現地に支援を届けることだった。
人通りの消えたコロナ禍の銀座で売り上げ約3割増加
新型コロナウイルス拡大の影響で、銀座熊本館は4~5月の2ヶ月間、一時閉館の措置をとった。6月に再開したものの、銀座全体の人通りはまばらで、売り上げは厳しいものとなった。
しかし、豪雨報道のあったその日、客足は急増した。特に大きな被害があった球磨焼酎の蔵元3蔵の商品は数日で売り切れた。
感染拡大防止のために入場制限を設けるなどしたが、客足は途絶えることなく、7月以降、客数、売り上げともに前年同期比で約3割増加した。
新聞やテレビなども、連日その様子を報じた。杉村さんは「メディアを通して首都圏の人たちが熊本に心を寄せてくれている姿が伝わった。応援してくれることを知って、気持ちの支えになったはずです」と話す。
災害支援を機に、銀座熊本館の果たす役割にも変化が生じてきた。元々、地方の事業者が首都圏でチャレンジする場であったアンテナショップ。
杉村さんは「災害などがあった際に、首都圏の人々が『被災地を支援したい』という気持ちを実現する場になりつつある」と指摘する。
ただ物を届けるだけではなく、地方と首都圏の双方向に橋を渡す。「時間が経つとどうしても被災地への関心は薄れてしまいます。その中で、長期的な支援につなげていくのが私たちの役割だと思っています」
再建しても収入は再来年 伝統ある球磨焼酎酒蔵のピンチ
「仮に今年、設備を再建して、来年仕込みを再開できたとしても、蔵元に収入が入るのは再来年以降です」
500年以上の伝統を誇る球磨焼酎文化を担ってきた酒蔵の多くもダメージを受けた。球磨川下流に位置していた大和一酒造元、渕田酒造場、渕田酒造本店の3蔵は壊滅的な被害を受け、現在も生産の目処が立っていないという。
失われた設備を元通りに戻すだけでなく、繊細な調整が必要とされる酒造りには環境の変化への対応など多くの課題が横たわる。「再建には想像を絶するほどの時間やコストがかかります」と杉村さんは言う。
だからこそ息の長い支援が必要だ。
被害を受けた蔵元(球磨焼酎酒造組合員)を支援するための義援金をはじめとして飲んで、買って、寄付して応援する「球磨焼酎支援プロジェクト」が続いており、各地で被災地支援のためのイベントも開催されるようになった。
いまはまだ「球磨焼酎」と聞いてすぐに「熊本の人吉球磨エリアで造られた米焼酎」を思い浮かべる人は多くないかもしれない。だが、被災前から全国で広がりつつあった『白岳しろ』(高橋酒造)や『鳥飼』(鳥飼酒造)をはじめとした球磨焼酎人気の認知度をむしろ、広げる好機なのではないか。
再建を目指す現地の奮闘、首都圏など様々な地域から集う応援を目の当たりして、杉村さんは希望を見出している。
「500年以上の伝統を誇る球磨焼酎は、地域のアイデンティティであり、観光資源であり、経済の中心であり誇りです。この水害は本当に大きな被害を熊本にもたらしましたが、今回、首都圏のお客様が銀座熊本館に足を運び球磨焼酎を手に取っていただけました。豪雨に負けず、人吉球磨エリアの"誇り"を少しでも広めていけるチャンスに変えていきたいと思っています」